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特別シリーズ 
社交ダンスを教えるということvol.6 

「木を見て森を見ず」のダンスレッスン

木を見て森を見ず!? ②


今回のタイトル

「木を見て森を見ず」

って、知ってます?
なんでも、イギリス生まれのことわざだそうで、
日本には明治時代に輸入されたとか。
意味は、
木の1本1本だけを見ても、
森全体を大きくつかむことができない
というところから転じて
「小さいこと(木)に心を奪われて、
全体(森)を見通さないこと」
のたとえ 
「個別の状態(木)にばかり関心が向いてしまい、
全体(森)を把握できない」
状況
例えば、会社の上司批判で
「あの人の考え方にはついていけない。
全く“木を見て森を見ず”だよ」
てな時は
「あの人の、
細かいどーでもいいことばかりが気にかかって、
組織全体や、
今後の方向について洞察できない考え方についていけない」 
と言ってるんだろうかね。

そう言えば、
この「木を見て森を見ず」の引き合い(参考例)に
良く登場するのが「西洋医学」のあり方なんだ。
ソノ筋の人たちが言うに
「西洋医学は人間のカラダを
機械の部品のよせ集めのように考え、
それが故障すると病気になるとして、
部品や病気(木)について詳しく研究してきた」

ってわけ。
だから
「森(病人)全体を見失う傾向がある」
というんだな。

さぁて、一体何が言いたいのか分かります?
そう、
なんで、このようなことわざが、
今回のタイトルになっているのか。
上記、西洋医学が本当に
「木を見て森を見ず」状態なのかどうかは定かではないけれど、
少なくともダンスのレッスンでは、
思わずやっちゃってるんやないかな?ってこと。
ソウ「木を見て森を見ず」状態じゃないかしら?って、
(ワタクシも含めて)
ダンス教師たるもの思い直しては、
反省した方がいいんじゃないですかってことなんだ。

ん、何を言っているのかピンとこない?
んじゃ、もうチョイ詳しくね。
で、ここからはジュンコ先生に登場してもらおう。


ジュンコ先生
「もともと社交(競技)ダンスのレッスンって、
スゴク

枝葉末節にとらわれやすい

類(たぐい)のモノだと思うのよ。
理由は2つ。
1つ目は各フィガーに細やかな“決まり”があるせいね。
例えば、ワルツのナチュラルターンひとつにしても、
教科書を見てみると、たった一歩のステップに、
ソレはたくさんの事項が載っているわ。
足の位置、フットワーク、アライメント、回転量、
ライズ・アンド・フォール、スウェイ・・
ソノすべてが関連しあって、
1歩ができ上がっているという観点に立てば、
どれも大切で省くことはできないってなってしまう。
ソノ上、姿勢や組み方・リード&フォローなど、
他にも重要なチェック項目はいっぱい
それら一つひとつをレッスンで
コーチャーから注意されるとするなら・・・どう思う?」



「わぁ、とてもじゃないけど、
できそうにないです」


ジュンコ先生
「そうね。
それに、一歩にこだわりすぎると、
ナチュラルターンがかえって見えてこなくなることも。
さらには、
ワルツってモノまでわからなくなっちゃう可能性もあるわ」



「音楽に合わせてなんて、
優雅に踊っていられませんよね、
ダンス自体が楽しくなくなっちゃいそう」


ジュンコ先生
「ソウね、ソレが問題ね
(ダンスのレッスンが枝葉末節にとらわれやすい)
理由の2つ目は、
もともとダンスって、非常に個人的なものであるからなの。
もっと言えば、
個人的な基準の上に成り立っているもの・・・
例えば、
あなたがルンバ・ウォークを人に教えるとする、
さぁ、まっさきに何を教えるかしら?」



「え~何だろう?! 
歩くとき、つま先から出ることかナァ。
ソレと体重が乗っている側の脚のヒザを伸ばすこと」


ジュンコ先生
「では、カカトから出て、
ヒザが曲がったマンマの人だったら?」



「モチロン、注意します」


ジュンコ先生
「ソレは、あなたが
“気になる”から注意するのね?」



「そりゃぁ、そうです」


ジュンコ先生
「それが『木を見て森を見ず』のレッスンに
なっちゃう恐れがあるってことなのよ」



「え、じゃぁ、
“つま先から出ること”や
“体重が乗っている側の脚のヒザを伸ばすこと”
ってのが“木”にあたるってことですよね?
でも、コレらは、
絶対押さえておくべき重要なテクニックで、
枝葉末節とは思えないのですが」


ジュンコ先生
「誰がソウ決めたのかしら?」



「へ?」


ジュンコ先生
「“つま先から出ること”や
“体重が乗っている側の脚のヒザを伸ばすこと”が
ルンバ・ウォークの際の重要なテクニックだって
誰が決めたのかしら?
あなたのコーチャーかしら?
テキストに書いてあるからかしら?
少なくともあなたは、ソウ思っているから教えたのよね?
でも、イイ?
ダンスのレッスンで最も重要なのは、

“正しいことを教える”ことではないのよ。

さぁ、では何が一番重要なのかわかるかしら?
ソレを押さえておかなければ、
どんな世界チャンピオンがまさに“正しいこと”を教えても
『木を見て森を見ず』のレッスンになっちゃうのよ」


      続く 第841話へ





Real Junko Voice

「もう一つの学連物語」
vol.29 ~ エエ氏の子の枠 ~
 
ワタシの実家は“映画村”の近くにあります。
映画村といっても、京都太秦(うずまさ)ではありません。
今は亡き“幻の映画村”です。 
場所は、東大阪の“長瀬(ながせ)” 
その名も「帝国キネマ長瀬撮影所」
“東洋のハリウッド”と呼ばれたほど大規模なモノだったそうです。
昭和3年に開設されるもわずか2年足らずで無念の焼失、
その後、現在の太秦映画村に移転されたといいます。

「東洋一立派な撮影所だった」
父のもっぱらの自慢です。
当時の様子が載っている雑誌などの切り抜きをたくさん集めています。
その上、
「このウチには、有名な女優さんが住んでいたんだぜ」
と誇らしげです。
ワタシが勉強部屋にしていた2階の一部屋が、
まさにその女優さんとやらの自室だったそうです。
広めの6畳に細工の施された、ユッタリした“床の間”が付いていました。
映画村の話は真実のようですが、
女優さんの件については本当の話かどうかは分かりません。
ただ、阪神大震災後、老朽化が進み家屋を建て直した後も、
2階のその“女優の間”は、そのまま残されています。

実家の自慢は他にもありました。 
一緒に暮らしていた、おじいちゃんのことです。
ナニがドウ偉い人だったかと言うことは、
父や母からもサンザン聞かされてきましたが、
コレが、なかなか覚えられません。
警察の大隊長だったとか、キンキ管区総務部長だったとか、
警察学校の校長先生だったとか・・
引退後は、藤井寺と言う場所に障害者施設を作り、
当時はまだまだ手薄だった社会福祉の事業に力を尽くしたといいます。
ワタシが小学校3年生くらいの時に亡くなってしまいましたが、
ものすごく可愛がってもらった、鮮明な記憶が残っています。

そういえば“女優の間”付きの家は、
おじいちゃんの警察の退職金で購入したものだそうです。

自慢の家、そして、自慢の祖父。
外から見れば、たいしたものではないでしょうが、
両親にとっては大切な守るべきものであったようです。
そして、自慢するものを持つことが、
そのまま、見識(けんしき)※の高さにつながり、
子供への過保護・過干渉につながっていたように思います。
両親共々「石橋を叩いてたたいて、それでも渡らない」
というような保守的性格が、それに拍車をかけたようです。

「エエ氏の子やねんから・・・」
小さい頃、両親からこういう言葉をよく聞きました。
意味は、「良い家柄の子なんだから」というようなことだと思います。
この後に続くのは、
「アァ、しなアカン」(アァいう風にしなければならない)
「こうしたら、アカン」(こういう風にしてはいけない)
ウチ独特の多くのキマリごとを課せられていたように思います。

「エエ氏の子やねんから、こうあるべき・・・」
という枠から、思い切りの解放に向かったのが、
あの学連時代だったのです。

※気位(きぐらい)。みえ



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