2008.08.02 (第557話)チョット中休み エッセイvol.13 ~タンゴに罪はない ④~
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チョット中休み エッセイvol.13
踊ると変になる人々!?
~タンゴに罪はない ④~
ワタクシ、スタジオ勤務を始めた当初、
すごく気になっていたことがあったんだな。
ウーン、ソレって、
ちょっと言いにくいんだけど、
「社交ダンスって、
ナーンか変で、
ミョーな人ばっかりやっているのかな?」
ってこと。
学生競技ダンスの世界観しか
持ち合わせていなかった私、
プロになって、一気に間口が広がり、
いろんなアマチュアさんのダンスを
目にする機会が増えたってワケなんだけど、
ダンスを興じる多くの人たちの触れるたび、
上記のような???な気持ちを抱いてしまい、
すごく困ったんだよね。
で、しばらく観察を続けていくうちに、
面白いことがわかってきたんだ。
変でイヤミに見えるのは
ダンスを踊っているときだけで、
普段は、チットモ
(変じゃない)って人が多いこと。
つまりは、豹変(ひょうへん)は、
ダンスのせいってわけ。
普段はフツーの、いや、
むしろ良いフィーリングの人でさえ、
ダンスになると一変
おかしな雰囲気をかもし出す・・・!?
でもまぁ踊っている本人は、
“これで良いハズ”
“かっこいいハズ”
“素敵なハズ”
と思ってダンスの中で
表現していることなんだから、
コッチがとやかく言うのは、
すごく失礼ってモンだし、
それがたとえ自分の生徒さんであっても、
ソコントコに注意を加えるのは、
難しいんだ。
例えば、
「アナタが女性と踊っているとき、
ものすごく、
傲慢でイヤァな目つきをしていますよ。
『どう?オレ、上手いンやで』
ッテ感じがモロ見えでカッコ悪いから
直したほうが良いと思います」
とか、
「アナタが感情をこめて
ルンバを踊るのを見ていると、
なんだが、気持ち悪くなるのです。
『私を見て~きれいでしょ~』
と思っての表現かもしれませんが、
やりすぎなのではないでしょうか・・・
もう少し控えめな表現の方が上品ですよ」
なぁんて、言えない!し、
言うべきやないでしょ!
だって、楽しみでダンスやってはるのに、
ソレは、言うたらアカンでしょ。
ソノ人の人格を否定するみたいだもの。
って、悩んだモンナァ。
でも、かくいう私の場合は、
プロだし、おまけにお師匠サンが
キビシー人だったもんで、
チョイ、不自然な表現はズバッと指摘、
ガツンガツン矯正されたんだよな。
「その、顔、鏡で見てみぃ。
ひどいヤロ」
とか
「こらっ、気分だけで踊るな。
見苦しい。社会の迷惑や」
ってな感じで、
ズケズケ言われて・・・。
いつも、
メッチャ凹みながら直してはいたけど、
ダンスを楽しむなんて心は遠くなり、
そのうち表現すること自体が怖くなり・・で、
ドンドン萎縮(いしゅく)していったモンナァ。
自分がそうだったから、
生徒サンのダンスにおける
“自己表現”に関する注意は、
ものすごくデリケートな気持ちになったもの・・・
ところが、
自らの勉強が進み、
第411話で紹介したような
「人は、人生のあらゆる体験を感情という
“彩(いろどり)”とともに記憶している」
「あらゆるシーンで引き起こされた感情は
常に何らかの筋肉反応もを伴っている」
「体験の記憶=事実+感情+筋肉反応」
「筋肉の中に潜在させている深い感情は、
ダンスをすることによって表出する」
てなモロモロを知ったとき、
あぁ、そうだったのか!!
ってヒザを打ちましたモンね。
「だから、踊ると、
ミョーになっちゃう人が多いんだ」
って。
ソレとともに、
「ダンスの中で出てきた、
不自然な表現を、
根っこから上手く矯正することができれば、
ソノ人の潜在的な問題まで一緒に
解決できるんじゃないか?」
とも、思いましたわね。
こうなれば、
顔の表情だって、
筋肉によるものでしょ?
だから、顔の表情が変・・・も侮れないわけよ。
だって、筋肉は全身につながっているんだモノ、
顔面の筋肉の不調和は、
絶対、ソノ人のダンス力を奪っているはずなんだ。
ってことは、
顔の表情が良くなれば、
ソレとともにダンスは上達、
さらには、
潜在的コンプレックスなりも
解消!!かも・・・
という思いから
その辺の勉強
(感情と筋肉のつながりみたいな)を進めてきて、
現ジュンコ先生のレッスンに至るわけなんだけどね。
さて、お話を、
今回のヒデ君・タンゴに戻しまして。
ソレは、パーティ翌日の夜のこと。
私は、ヒデ君に向かって
「(自分のタンゴの映像)DVDを見て、
アナタがすごく気になった、
顔の表情を含む“表現”について話し合おうか。
アレって実は深い意味があるからね」
マジな顔でこう切り出すと、
「え~なに?
これ以上、
まだ傷つけられる話なん?」
って、ヒデ君、チョイ引いているが
私は、負けじと
「ウーン、そうね。
でも、コレは絶対に直しておかないと、
後々苦しむよ」
「アナタのダンスを見て、
可笑しいなと思っても、
誰も何も言ってはくれないでしょ?
イヤごとを言って、
自分が嫌われたくもないからね」
で、改めて聞いてみる。
「今回の(タンゴの)表現って、
どういう気分でやっていたの?」
「全身で表現しよう。
オレのタンゴを熱演しようと、
決めてたんや。
もう思いっきり・・・」
「で、終わって、
DVDを見た感想は?
自分で良いと思った?」
「いや全然(笑)
特に顔が、イヤや。
表現したろって気持ちが前面に出てて、
とってつけたように不自然。
よう、あんなんで人前で踊ったなと・・・。
メッチャ、恥ずかしい。
アノDVD、
できたらこの世から消し去りたいわ」
と、ココで、私はこういった。
「でも、アノ表現は、
ヒデ君そのものよ。
良いも悪いも含めて。
ものすごく、
アナタらしい表現やよ」
「え~!?
オレそのものって・・・
オレの性格とか
人格とかが出てるってこと?」
「そう・・・
だから、アノ表現をあなたが嫌で、
変えていきたいのなら
その部分から変えていかなきゃ・・・」
ヒデ君、
こりゃ困ったぞという顔で・・・
続く 第558話へ
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~タンゴに罪はない ④~
ワタクシ、スタジオ勤務を始めた当初、
すごく気になっていたことがあったんだな。
ウーン、ソレって、
ちょっと言いにくいんだけど、
「社交ダンスって、
ナーンか変で、
ミョーな人ばっかりやっているのかな?」
ってこと。
学生競技ダンスの世界観しか
持ち合わせていなかった私、
プロになって、一気に間口が広がり、
いろんなアマチュアさんのダンスを
目にする機会が増えたってワケなんだけど、
ダンスを興じる多くの人たちの触れるたび、
上記のような???な気持ちを抱いてしまい、
すごく困ったんだよね。
で、しばらく観察を続けていくうちに、
面白いことがわかってきたんだ。
変でイヤミに見えるのは
ダンスを踊っているときだけで、
普段は、チットモ
(変じゃない)って人が多いこと。
つまりは、豹変(ひょうへん)は、
ダンスのせいってわけ。
普段はフツーの、いや、
むしろ良いフィーリングの人でさえ、
ダンスになると一変
おかしな雰囲気をかもし出す・・・!?
でもまぁ踊っている本人は、
“これで良いハズ”
“かっこいいハズ”
“素敵なハズ”
と思ってダンスの中で
表現していることなんだから、
コッチがとやかく言うのは、
すごく失礼ってモンだし、
それがたとえ自分の生徒さんであっても、
ソコントコに注意を加えるのは、
難しいんだ。
例えば、
「アナタが女性と踊っているとき、
ものすごく、
傲慢でイヤァな目つきをしていますよ。
『どう?オレ、上手いンやで』
ッテ感じがモロ見えでカッコ悪いから
直したほうが良いと思います」
とか、
「アナタが感情をこめて
ルンバを踊るのを見ていると、
なんだが、気持ち悪くなるのです。
『私を見て~きれいでしょ~』
と思っての表現かもしれませんが、
やりすぎなのではないでしょうか・・・
もう少し控えめな表現の方が上品ですよ」
なぁんて、言えない!し、
言うべきやないでしょ!
だって、楽しみでダンスやってはるのに、
ソレは、言うたらアカンでしょ。
ソノ人の人格を否定するみたいだもの。
って、悩んだモンナァ。
でも、かくいう私の場合は、
プロだし、おまけにお師匠サンが
キビシー人だったもんで、
チョイ、不自然な表現はズバッと指摘、
ガツンガツン矯正されたんだよな。
「その、顔、鏡で見てみぃ。
ひどいヤロ」
とか
「こらっ、気分だけで踊るな。
見苦しい。社会の迷惑や」
ってな感じで、
ズケズケ言われて・・・。
いつも、
メッチャ凹みながら直してはいたけど、
ダンスを楽しむなんて心は遠くなり、
そのうち表現すること自体が怖くなり・・で、
ドンドン萎縮(いしゅく)していったモンナァ。
自分がそうだったから、
生徒サンのダンスにおける
“自己表現”に関する注意は、
ものすごくデリケートな気持ちになったもの・・・
ところが、
自らの勉強が進み、
第411話で紹介したような
「人は、人生のあらゆる体験を感情という
“彩(いろどり)”とともに記憶している」
「あらゆるシーンで引き起こされた感情は
常に何らかの筋肉反応もを伴っている」
「体験の記憶=事実+感情+筋肉反応」
「筋肉の中に潜在させている深い感情は、
ダンスをすることによって表出する」
てなモロモロを知ったとき、
あぁ、そうだったのか!!
ってヒザを打ちましたモンね。
「だから、踊ると、
ミョーになっちゃう人が多いんだ」
って。
ソレとともに、
「ダンスの中で出てきた、
不自然な表現を、
根っこから上手く矯正することができれば、
ソノ人の潜在的な問題まで一緒に
解決できるんじゃないか?」
とも、思いましたわね。
こうなれば、
顔の表情だって、
筋肉によるものでしょ?
だから、顔の表情が変・・・も侮れないわけよ。
だって、筋肉は全身につながっているんだモノ、
顔面の筋肉の不調和は、
絶対、ソノ人のダンス力を奪っているはずなんだ。
ってことは、
顔の表情が良くなれば、
ソレとともにダンスは上達、
さらには、
潜在的コンプレックスなりも
解消!!かも・・・
という思いから
その辺の勉強
(感情と筋肉のつながりみたいな)を進めてきて、
現ジュンコ先生のレッスンに至るわけなんだけどね。
さて、お話を、
今回のヒデ君・タンゴに戻しまして。
ソレは、パーティ翌日の夜のこと。
私は、ヒデ君に向かって
「(自分のタンゴの映像)DVDを見て、
アナタがすごく気になった、
顔の表情を含む“表現”について話し合おうか。
アレって実は深い意味があるからね」
マジな顔でこう切り出すと、
「え~なに?
これ以上、
まだ傷つけられる話なん?」
って、ヒデ君、チョイ引いているが
私は、負けじと
「ウーン、そうね。
でも、コレは絶対に直しておかないと、
後々苦しむよ」
「アナタのダンスを見て、
可笑しいなと思っても、
誰も何も言ってはくれないでしょ?
イヤごとを言って、
自分が嫌われたくもないからね」
で、改めて聞いてみる。
「今回の(タンゴの)表現って、
どういう気分でやっていたの?」
「全身で表現しよう。
オレのタンゴを熱演しようと、
決めてたんや。
もう思いっきり・・・」
「で、終わって、
DVDを見た感想は?
自分で良いと思った?」
「いや全然(笑)
特に顔が、イヤや。
表現したろって気持ちが前面に出てて、
とってつけたように不自然。
よう、あんなんで人前で踊ったなと・・・。
メッチャ、恥ずかしい。
アノDVD、
できたらこの世から消し去りたいわ」
と、ココで、私はこういった。
「でも、アノ表現は、
ヒデ君そのものよ。
良いも悪いも含めて。
ものすごく、
アナタらしい表現やよ」
「え~!?
オレそのものって・・・
オレの性格とか
人格とかが出てるってこと?」
「そう・・・
だから、アノ表現をあなたが嫌で、
変えていきたいのなら
その部分から変えていかなきゃ・・・」
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