2008.03.31 (第433話)社交ダンスを教えるということ vol.3 教育実習の思い出
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特別シリーズ
社交ダンスを教えるということ vol.3
教育実習の思い出
~グループレッスンの怪③~
かつて(大学に入学する頃)
中学校の国語の教師になるのが夢だった私は、
教育課程をとっていたんだよね。
4回生のとき、その一環として、
母校の中学校に教育実習に行ったわけ。
ダンスばっかで、ほとんど授業にも出ていない
それゆえ、学問的には
ナーンも身についてはいない・・・
ってな、大学生活4年間の中で、
唯一にして
最高の学びを得た2週間
だったんだ。
グループレッスンに行き詰った私は、
フトそのときのことを思い出したんだな。
中学生と大人
国 語とダンス
教える対象、内容は変わっても、
一人の教師が
多人数を教えていくと言う授業形態は一緒、
通じるものはきっとアルハズ。
そんな直感めいたものがあったんだ。
さて、教育実習期間中の“担当教諭”であった、
松尾先生を紹介しよう。
2週間、私に“付きっきり”で、
指導要綱から学習指導案の作り方、
実際の授業の進め方 など、
現場の教師として働くための、
心構え・実践を指導してくれた、
その人・・・。
失礼を許していただけるなら、コウ言いたい。
「エエ先生に当って、
ムッチャ、ラッキーでした!!」
今でも思い出すたび
「先生、あのときはホンマ、ありがとう」
って気持ちになるんだな。
松尾先生って、
30代後半~40代前半かな?の小柄な女性。
初めて会った時の印象は、
ズバリ“厳しそう~”
なぜって、
とにかく“目力”がすごいんだもん。
って言っても、化粧がどうのという話ではなく、
“眼光”が鋭いんだな。
で、
非常に良く通るやや低めの声で、
生徒を “呼び捨て”るんだ。
つまり “くん、さん”をつけないわけ。
女性の先生だからって、
絶対にバカにされない!ってタイプ。
イヤ、それどころか
表向きにはあんまし見えないが、
生徒から非常に信頼を受けている稀有な先生・・・
ってわかったのは、
初日、松尾先生の授業を参観したときだった。
なんでってね、
とにかく授業が、ウ・マ・イ。
素晴らしかった。
感心したし、感動した。
しかし、奇をてらう授業では決してなく、
あくまでオーソドックスなんだ。
具体的に言えば、
・説明に無駄な言い回しが一切なく、
要点を得ていて、非常に分かりやすい。
・クラスによって、また時間帯によって、
(朝、最初の授業・昼食後すぐの授業etc.)
バラエティに富んだ授業を展開する。
(同じ教材の授業を何度聞いていても、
飽きないし、楽しいんだ)
・生徒が積極的に授業に参加できる工夫をしながらも
(先生対生徒ではなく、
生徒対生徒の質疑応答のカタチをつくるなど・・)
生徒の意見・発言を上手く授業に盛り込んで、
流れを自由に変えてゆき、
しかも終わった後にはキッチリと、
学習目標は達している。
みたいな、
スペシャルな授業をサラリとやってのけるのだ。
生徒は、といえば、
全員が“ちゃんと”授業を聞き、
そして自主的に参加しているんだな。
「ソコっ!静かにしなさい!」
なぁんて注意は全くする必要ナシ。
だって、みーんな静かナンだもん。
適度の緊張感が、ズーッと持続していて、
その中に、時折笑いもアリなんだ。
こういう授業ってアル意味、あってしかるベシ、
当たり前なのかもしれないけれど・・・
いや、滅多にお目にかかれないんじゃ
ないのかナァッて思いましたよ。
観ていて、実に、気持ち良い。
授業っていう“イベント”を
先生と生徒が
一緒になって作ってる
参観してるこっちまで、
「ア、ソウソウ、
今のは良い意見だよねぇ」
なんて、乗せられちゃウンだもんね。
コンナ授業だったら、
そりゃぁ、生徒はちゃんと勉強しようと
意欲を持つだろうと思いましたわね。
と、同時に、“授業”って想像以上に
かなり難しいぞ・・・とも感じたんだ。
ヨシ、2週間
この先生についてジックリ勉強し、
イロイロ教えていただこう!
と強く思ったものであった。
・・・で、
今も大事に保管してある1冊のノート。
その表紙にはコンナ文字が。
「教育実習簿」
パラパラめくる。
実習計画・日誌・記録・・
鉛筆でギッシリ書き込んでいる自分の字に混じって、
浮かび上がる美しいペン文字。
ところどころは、赤ペンだ。
松尾先生の指導文なんだ。
つまり「教育実習簿」って、いわば
実習期間中、松尾先生と私の間を行ったり来たりした、
“交換日記”のようなものなんだな。
改めて読み返すと、その中には
ダンスのグループレッスンの問題解決につながる、
多くのヒントが記されてあったんだ。
「教師にとっては1対40人であっても、
生徒にとっては1対1なのです。
目に付きやすい生徒も、
いるのかいないのか分からないくらいおとなしい生徒も
同じように気にかけて
公平に声をかけていくことを忘れないでください。
教師にとっては何気ない言葉でも、
生徒にとっては本当に忘れられないほど、
うれしいものであることが多いのです」
「まず、教材をしっかり自分のものにしておくこと。
教師にとって授業は最も基本的なものです。
真剣勝負のつもりで1時間1時間を大切にして欲しいです」
「失敗はあって当たり前。
大切なのはソレを次の授業に活かすことだと思います」
「生徒は何も知らないと言う前提で授業を行うこと。
教師にとっては分かりきったことでも、
生徒にとっては難しいものなのです」
「指示を明確にし、
今、ナニをやっているのかをハッキリ分かるようにすること。
指示をした時は
指示通りにやっているかを必ず確認することが大切です」
「生徒と馴れ合ったり、こびるのでもなく、
先生が一方的に説明を押し付けるのでもなく
また、
学力の低い子ばかりに気を取られるコトもなく、
かといって
学力の高い子にのみにウケル授業ではなく
普遍的かつ中庸な授業を目指すこと。
つまり、物事の本質を教えてゆけるようになることです。
そのためにも、授業者がキチンと教材を自分のものにし、
限られた時間に、最低コレだけは
理解させたいというポイントを常に頭に描きながら
授業を進めることができるよう、
指導計画を立てて臨みましょう」
私はジックリと読んでいった。
不思議な気持ちだった。
当時、
受け持ったのは中学1年生。
教材は「カブトムシがいるところ」という説明文。
そして、今
生徒さんは年齢50~60代の立派な大人。
単元はワルツ・ベーシック。
でも、ソコには
確かなつながりがあったんだ・・・。
キーは、
教師がキチンと
教材を自分のものにすること
だった。
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~グループレッスンの怪③~
かつて(大学に入学する頃)
中学校の国語の教師になるのが夢だった私は、
教育課程をとっていたんだよね。
4回生のとき、その一環として、
母校の中学校に教育実習に行ったわけ。
ダンスばっかで、ほとんど授業にも出ていない
それゆえ、学問的には
ナーンも身についてはいない・・・
ってな、大学生活4年間の中で、
唯一にして
最高の学びを得た2週間
だったんだ。
グループレッスンに行き詰った私は、
フトそのときのことを思い出したんだな。
中学生と大人
国 語とダンス
教える対象、内容は変わっても、
一人の教師が
多人数を教えていくと言う授業形態は一緒、
通じるものはきっとアルハズ。
そんな直感めいたものがあったんだ。
さて、教育実習期間中の“担当教諭”であった、
松尾先生を紹介しよう。
2週間、私に“付きっきり”で、
指導要綱から学習指導案の作り方、
実際の授業の進め方 など、
現場の教師として働くための、
心構え・実践を指導してくれた、
その人・・・。
失礼を許していただけるなら、コウ言いたい。
「エエ先生に当って、
ムッチャ、ラッキーでした!!」
今でも思い出すたび
「先生、あのときはホンマ、ありがとう」
って気持ちになるんだな。
松尾先生って、
30代後半~40代前半かな?の小柄な女性。
初めて会った時の印象は、
ズバリ“厳しそう~”
なぜって、
とにかく“目力”がすごいんだもん。
って言っても、化粧がどうのという話ではなく、
“眼光”が鋭いんだな。
で、
非常に良く通るやや低めの声で、
生徒を “呼び捨て”るんだ。
つまり “くん、さん”をつけないわけ。
女性の先生だからって、
絶対にバカにされない!ってタイプ。
イヤ、それどころか
表向きにはあんまし見えないが、
生徒から非常に信頼を受けている稀有な先生・・・
ってわかったのは、
初日、松尾先生の授業を参観したときだった。
なんでってね、
とにかく授業が、ウ・マ・イ。
素晴らしかった。
感心したし、感動した。
しかし、奇をてらう授業では決してなく、
あくまでオーソドックスなんだ。
具体的に言えば、
・説明に無駄な言い回しが一切なく、
要点を得ていて、非常に分かりやすい。
・クラスによって、また時間帯によって、
(朝、最初の授業・昼食後すぐの授業etc.)
バラエティに富んだ授業を展開する。
(同じ教材の授業を何度聞いていても、
飽きないし、楽しいんだ)
・生徒が積極的に授業に参加できる工夫をしながらも
(先生対生徒ではなく、
生徒対生徒の質疑応答のカタチをつくるなど・・)
生徒の意見・発言を上手く授業に盛り込んで、
流れを自由に変えてゆき、
しかも終わった後にはキッチリと、
学習目標は達している。
みたいな、
スペシャルな授業をサラリとやってのけるのだ。
生徒は、といえば、
全員が“ちゃんと”授業を聞き、
そして自主的に参加しているんだな。
「ソコっ!静かにしなさい!」
なぁんて注意は全くする必要ナシ。
だって、みーんな静かナンだもん。
適度の緊張感が、ズーッと持続していて、
その中に、時折笑いもアリなんだ。
こういう授業ってアル意味、あってしかるベシ、
当たり前なのかもしれないけれど・・・
いや、滅多にお目にかかれないんじゃ
ないのかナァッて思いましたよ。
観ていて、実に、気持ち良い。
授業っていう“イベント”を
先生と生徒が
一緒になって作ってる
参観してるこっちまで、
「ア、ソウソウ、
今のは良い意見だよねぇ」
なんて、乗せられちゃウンだもんね。
コンナ授業だったら、
そりゃぁ、生徒はちゃんと勉強しようと
意欲を持つだろうと思いましたわね。
と、同時に、“授業”って想像以上に
かなり難しいぞ・・・とも感じたんだ。
ヨシ、2週間
この先生についてジックリ勉強し、
イロイロ教えていただこう!
と強く思ったものであった。
・・・で、
今も大事に保管してある1冊のノート。
その表紙にはコンナ文字が。
「教育実習簿」
パラパラめくる。
実習計画・日誌・記録・・
鉛筆でギッシリ書き込んでいる自分の字に混じって、
浮かび上がる美しいペン文字。
ところどころは、赤ペンだ。
松尾先生の指導文なんだ。
つまり「教育実習簿」って、いわば
実習期間中、松尾先生と私の間を行ったり来たりした、
“交換日記”のようなものなんだな。
改めて読み返すと、その中には
ダンスのグループレッスンの問題解決につながる、
多くのヒントが記されてあったんだ。
「教師にとっては1対40人であっても、
生徒にとっては1対1なのです。
目に付きやすい生徒も、
いるのかいないのか分からないくらいおとなしい生徒も
同じように気にかけて
公平に声をかけていくことを忘れないでください。
教師にとっては何気ない言葉でも、
生徒にとっては本当に忘れられないほど、
うれしいものであることが多いのです」
「まず、教材をしっかり自分のものにしておくこと。
教師にとって授業は最も基本的なものです。
真剣勝負のつもりで1時間1時間を大切にして欲しいです」
「失敗はあって当たり前。
大切なのはソレを次の授業に活かすことだと思います」
「生徒は何も知らないと言う前提で授業を行うこと。
教師にとっては分かりきったことでも、
生徒にとっては難しいものなのです」
「指示を明確にし、
今、ナニをやっているのかをハッキリ分かるようにすること。
指示をした時は
指示通りにやっているかを必ず確認することが大切です」
「生徒と馴れ合ったり、こびるのでもなく、
先生が一方的に説明を押し付けるのでもなく
また、
学力の低い子ばかりに気を取られるコトもなく、
かといって
学力の高い子にのみにウケル授業ではなく
普遍的かつ中庸な授業を目指すこと。
つまり、物事の本質を教えてゆけるようになることです。
そのためにも、授業者がキチンと教材を自分のものにし、
限られた時間に、最低コレだけは
理解させたいというポイントを常に頭に描きながら
授業を進めることができるよう、
指導計画を立てて臨みましょう」
私はジックリと読んでいった。
不思議な気持ちだった。
当時、
受け持ったのは中学1年生。
教材は「カブトムシがいるところ」という説明文。
そして、今
生徒さんは年齢50~60代の立派な大人。
単元はワルツ・ベーシック。
でも、ソコには
確かなつながりがあったんだ・・・。
キーは、
教師がキチンと
教材を自分のものにすること
だった。
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