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社交ダンスを始めるということ 第138話へ




ダンスの 根本的“なぜ?”の解決に迫る
快刀乱麻クリニック

ロゥアの真意!?

~足・脚を活かすための身体操作~


前回の「ドッチの足をドウ使う?」記事
ここらあたり、疑問かなぁ?
な部分を一個一個解説していこう。

まず、
ジュンコ先生のこの言葉
「ロゥアでは、

股関節のゆるみは、意識しない

脚部をダイレクト(直接)に意識はしないわ。
でも、強いて言うなら
軸足上の足首
ここは、上から下りてきた
“ロゥァ・アクション”のリアクションとして、
感じとることはできる。
でも、あくまで、感じようと意志を持てば・・・の話。
『足首をゆるませよう』と思って、
わざとヤル行為ではないし、
それゆえ、感じなくてもさほど問題はないわ。
『ヒザを意識的にゆるませる・曲げる』
ヒザ直下型のロゥアは、危険よ」

んじゃ、ロゥァって??
を解説しよう。
でも、
ひょっとしたら、お気づきの読者の方がいるかもね・・・
こんな風に
「ロゥアについては、
アバラ・スイング・パフォーマンスの中で、

(第1574話参照)
ヒントをいただきましたわ。
カラダが高レベルに達しているほど、
『右側首の付け根・ショルダー(肩)背中は、
自然に下りてきて、右足首と連動する』って。
アレがロゥアなんですよね?」


ピンポーン!!
大当たりぃ~
ロゥアって、つまりは
「前進または後退しようとした際の、
アバラ下部(みぞおち奥あたり)の
引き込み動作が起因」

なんだな。
なぜ、
前進または後退しようとしたら、
アバラ下部(みぞおち奥あたり)が引き込まれるのか?
には、

インナーマッスル操作=

大腰筋操作がソコにアルから
に他ならない。

言い換えれば、ロゥアって、

前進または後退しようとした際

アバラ下部の引き込みにより
体幹部の

“上にあるもの”が順に、

下におりてくる現象
・・・と言える。

上にあるものって、
まずは、でしょ?
それから
(背中側の)アバラの上に乗っかっている肩甲骨
背中側アバラの一個一個も・・・
もちろん
肩や、
肩甲骨や、
アバラ周辺がゆるんでいて、
一つ一つの間に、ゆとりあるスペースなりがナイと、
「下に下りてくる現象」なんて起きない。
癒着してしまっていたら、
下りてくるスキマがナイってもん。
(スキマっていったって、
センチ単位ではなく、ミリ単位ものだけどね)
でも、それぞれがゆるんでいて、
クッション材の“筋膜”も良好状態なら、
重力の法則に則って、
上から順に下りてくる。

肩甲骨
アバラ
骨盤
・・・
で、そのリアクションは最も下にある
足首に感じられると言う訳だ。

下に下りるのにかかる時間も
下り方も
カラダが計算してくれる。
自動的・・・にだ。

ワタシタチがやるべきことは、

「上から下におりやすい」

カラダ環境づくりをしておくこと。
肩の位置、肩甲骨の位置、骨盤の位置、
股関節の位置などが不適切だと、
スムーズに下りれない。

何より大事なのは、
上から下に下りてくる前に、
勝手に、

“人為的・脚部・ロゥア”をしないことだ。

特にNGは“直下型ヒザのロゥァ”
重力がどーんと乗ってきて、
ヒザにメッチャ負担をかけることになるからね。

ロゥアの話、まだ、続きます!


      続く第1581話へ





Real Junko Voice
(目次)

スペシャルバージョン241

~この性格は因縁によるモノだ・・・~ 

“因縁”は、仏教の世界の基本的な教えだ。
同じカテゴリーにある

“因果応報 ”(いんがおうほう)

も、同じく仏語だ。
因縁より
こちらの方がメジャーかも知れない。
一般的な意味は、
「人はよい行いをすればよい報いがあり、
悪い行いをすれば悪い報いがあるということ」


一般的に使われている
“因縁”にしても“因果応報 ”にしても、
悪いことのような感じがスルが、
仏語的には、勧善懲悪を超えており、
アル原因がアル結果を生むという、
単なる因果関係を表す言葉になる・・・
このあたりが、興味深いところだ。

さて、話を戻そう。
懺悔反省をやって気がついた、
ワタシが幼い頃から
ずーっと引きずっている性格的欠点は“反発心”
それを「因縁だ」とは、どういうことなのか。

「ワタシの“反発心”は、因縁によるものだ」
の、
反発心の部分に、
アナタの欠点・弱点を入れてみようか。

「私の“わがまま”は、因縁によるものだ」
「オレの“酒癖が悪い”のは、因縁によるものだ」
「私の“自己卑下する性格”は、因縁によるものだ」
「ボクの“飽きっぽい気質” は、因縁によるものだ」
「私の“すぐ、他人のせいにする性格”は、因縁によるものだ」
などなど・・

こう並べれば、
因縁とは
“たたり”とか、
“親や先祖から受け継いだもの”
とかいった
“直しようがないどうしようもないもの”
という感じがしてくるではないか・・・

ところが、
仏語的解釈は決してそう言う意味ではナイ。
すべては科学的なまでに

“理由のあること”であり、

必ずや、解決可能・・・
言い換えれば、
なぜ、
反発心があるのか
なぜ
わがままなのか・・
には、
ちゃんとした理由がアリ、
嫌だったら、変化も可能。

“性格”は変えられるのだ。



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