2010.08.15 (第1300話)社交ダンスを教えるということ vol.10 ~本質を見抜く眼、成長!?~
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社交ダンスを教えるということvol.10
本質を見抜く眼、成長!?
ダンス教師・七色変化(11)
前号の続き。
“社交ダンス教師”は、なぜ、素晴らしい仕事なのか?
その2
本質を見る眼を養うことができる
ワタシの古くからの生徒サンに言わせてみれば、
「先生、言うたはること、昔からズーッと一緒。
変わってはれへん」
(変わっていない)そうで、
「あ、コレ、大切やと思って、メモをして帰ってみてみると、
前にも同じこと書いてある(笑)」
そうなんすよ。
ワタシの教授内容って、
かつてのリーダーとともに教えていた約20年前から、
根本的なところでは、何も変わっていない。
リラックスして
カラダの中から
音楽をよく聴いて
相手を感じて・・
それらはみんな、
ワタシ自身に課していることでもあったんだけどね。
だから、
生徒サン、耳タコ状態(笑)でも、
言い続けてこれたんだろう。
また、こんなことも言われる。
「よく、(昔から、今と同じようなことを)
教えてきはったねぇ」
コレは今よりもずーっと、
アウターマッスル志向、
外側のカタチが重要視されていた時代に、
世間とは反対のこと
ズバリ
“ダンス的常識ハズレ”なことを、
「よく、教えてきはったねぇ」という意味だ。
教えている内容に関して、迷いは、正直、あった。
その迷いが、レッスンにも多々現れていただろう。
だから、しっかりと生徒サンを導けない時期も長かった。
また、生徒サンに理解してもらえず、
「エネルギー?カラダの中を動かす?
変なことを言う変わりモノ先生」
と、評判(笑)だった時期も、かなり長い。
それでも、コレだけは言える。
「どんなに迷った時も“芯”の部分だけは、
ブレることはなかった」
して、20年前の、
リラックスして
カラダの中から
音楽をよく聴いて
相手を感じて・・
は、経験と知恵を経て、
今や、生まれ変わり・よみがえりを果たしている。
リラックスして
カラダの中から
音楽をよく聴いて
相手を感じて・・
と、言っていることは同じだが、
レッスン内容も、生徒への指示も、
まるきり違う・・・ということだ。
なぜ、芯の部分はブレずにすんだのか?
ワタシが人より、信念を持っていたからか?
勇気があったからか?
ソウではない、と自分では思っている。
じゃぁ、なぜか?
イロイロな危機に際しても、
なぜ、芯の部分はぶれなかったのか?
“なぜ”に答える前に、
上記危機について、少し触れておこう。
危機は何度となく訪れた。
どういう危機か?
生徒サンが、離れていったのだ。
スタジオ勤務を終え、すでにフリーでやっていたため、
「アチャァ~、暮らして行けなくなる!?」
てな、シーンもかなりあった、ように思う。
思うとは、
非常に悠長(ゆうちょう=ゆったり構えている様)な言い方だ。
でも、暮らして行けなくなる!?
は、苦しみではなかったのだ。
自分たちのダンスの方向性が、
理解してもらえないこと
生徒サンを上手く導けないこと
また、
自分のダンス力がないこと
それゆえ、
説得する力がないこと・・
ソンナコンナの方が、ずっと苦しかった。
リーダーと別れ、
一人になってからも危機はしょっちゅうあった、と思う。
フツーに考えれば、
「エライこっちゃ~」
と焦って、
色々な“働きかけ”をやっちゃうものかもしれないし、
生徒サンにウケるようなレッスンに切り替えるなど、
策を弄するもアリだろうが、しなかった。
せっぱつまるほどに、冷静になれた。
「生徒サンがいなくなったら、ダンスは終了。
違う人生を生きよう」
と明るく覚悟ができていった。
で、最後まで、
「自分が正しいと思ったことのみを伝えて行こう
ソレしか自分にできることはナイ」
そう、思うようになった。
つまり、芯がぶれることは、なかったのだ。
ということで、本題に戻ろう。
なぜ、芯がぶれなかったのか?の理由だ。
答えはカンタン。
「社交ダンス教師という立場だったから」
だからこそ、
「本質を見る眼を養うことができた」からだ。
あぁ、コレ、なんとなく分かるという人、
多いんじゃないかしら?
なぜなら、
社交ダンスの世界にアルものって、
“良いor悪い”の判別困難なモンがいっぱい!だからだ。
こんな風に・・・
「ビジュアル判断は、危険
名声・権威あるいは歴史があるからといって、
鵜呑みにしてはいけない
氷山の一角だけをみて、
分かったような気になっていたら、危ない」
だからこそ、いつだって、
「幼子のような、曇っていない澄んだ眼」が、必要だろう。
その上、大人の脳みそも必要だ。
「要するに、本来は、どうあるべきなんだ?」
と、自分に問いかけて、頭の中のゴチャゴチャを整理する。
つまり、
枝葉を刈り取って、
本質をむき出しにする・・・
具体的には、
「コレは善か悪か?」に迷ったときは、
本来、
社交ダンスとは?という定義を掲げ直してみる
ということだ。
「本来、社交ダンスとは、人を幸せに導くもの。
人を解放するもの。
みんなが仲良くなることに貢献するべきもの」
この定義にのっとって、判断を下す。
ってな作業、ものすごい数、
やってきてしまったように思うんだよね。
その度に
「やっぱり、
リラックスして
カラダの中から
音楽をよく聴いて
相手を感じて・・
この方向で、行こう」と思い直してきたってわけだ。
最後に、忠告。
「ヤバい、暮らして行けないかも」
的な恐れに、陥ってしまい、
判断を誤ると、本質が見えなくなるばかりか、
その本質を知るための感受力も一気に鈍ってしまう。
こうなると“正しい”社交ダンス教師とはいいがたい。
(第1299話参照)
要注意だ。
続く第1301話へ
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その2
本質を見る眼を養うことができる
ワタシの古くからの生徒サンに言わせてみれば、
「先生、言うたはること、昔からズーッと一緒。
変わってはれへん」
(変わっていない)そうで、
「あ、コレ、大切やと思って、メモをして帰ってみてみると、
前にも同じこと書いてある(笑)」
そうなんすよ。
ワタシの教授内容って、
かつてのリーダーとともに教えていた約20年前から、
根本的なところでは、何も変わっていない。
リラックスして
カラダの中から
音楽をよく聴いて
相手を感じて・・
それらはみんな、
ワタシ自身に課していることでもあったんだけどね。
だから、
生徒サン、耳タコ状態(笑)でも、
言い続けてこれたんだろう。
また、こんなことも言われる。
「よく、(昔から、今と同じようなことを)
教えてきはったねぇ」
コレは今よりもずーっと、
アウターマッスル志向、
外側のカタチが重要視されていた時代に、
世間とは反対のこと
ズバリ
“ダンス的常識ハズレ”なことを、
「よく、教えてきはったねぇ」という意味だ。
教えている内容に関して、迷いは、正直、あった。
その迷いが、レッスンにも多々現れていただろう。
だから、しっかりと生徒サンを導けない時期も長かった。
また、生徒サンに理解してもらえず、
「エネルギー?カラダの中を動かす?
変なことを言う変わりモノ先生」
と、評判(笑)だった時期も、かなり長い。
それでも、コレだけは言える。
「どんなに迷った時も“芯”の部分だけは、
ブレることはなかった」
して、20年前の、
リラックスして
カラダの中から
音楽をよく聴いて
相手を感じて・・
は、経験と知恵を経て、
今や、生まれ変わり・よみがえりを果たしている。
リラックスして
カラダの中から
音楽をよく聴いて
相手を感じて・・
と、言っていることは同じだが、
レッスン内容も、生徒への指示も、
まるきり違う・・・ということだ。
なぜ、芯の部分はブレずにすんだのか?
ワタシが人より、信念を持っていたからか?
勇気があったからか?
ソウではない、と自分では思っている。
じゃぁ、なぜか?
イロイロな危機に際しても、
なぜ、芯の部分はぶれなかったのか?
“なぜ”に答える前に、
上記危機について、少し触れておこう。
危機は何度となく訪れた。
どういう危機か?
生徒サンが、離れていったのだ。
スタジオ勤務を終え、すでにフリーでやっていたため、
「アチャァ~、暮らして行けなくなる!?」
てな、シーンもかなりあった、ように思う。
思うとは、
非常に悠長(ゆうちょう=ゆったり構えている様)な言い方だ。
でも、暮らして行けなくなる!?
は、苦しみではなかったのだ。
自分たちのダンスの方向性が、
理解してもらえないこと
生徒サンを上手く導けないこと
また、
自分のダンス力がないこと
それゆえ、
説得する力がないこと・・
ソンナコンナの方が、ずっと苦しかった。
リーダーと別れ、
一人になってからも危機はしょっちゅうあった、と思う。
フツーに考えれば、
「エライこっちゃ~」
と焦って、
色々な“働きかけ”をやっちゃうものかもしれないし、
生徒サンにウケるようなレッスンに切り替えるなど、
策を弄するもアリだろうが、しなかった。
せっぱつまるほどに、冷静になれた。
「生徒サンがいなくなったら、ダンスは終了。
違う人生を生きよう」
と明るく覚悟ができていった。
で、最後まで、
「自分が正しいと思ったことのみを伝えて行こう
ソレしか自分にできることはナイ」
そう、思うようになった。
つまり、芯がぶれることは、なかったのだ。
ということで、本題に戻ろう。
なぜ、芯がぶれなかったのか?の理由だ。
答えはカンタン。
「社交ダンス教師という立場だったから」
だからこそ、
「本質を見る眼を養うことができた」からだ。
あぁ、コレ、なんとなく分かるという人、
多いんじゃないかしら?
なぜなら、
社交ダンスの世界にアルものって、
“良いor悪い”の判別困難なモンがいっぱい!だからだ。
こんな風に・・・
「ビジュアル判断は、危険
名声・権威あるいは歴史があるからといって、
鵜呑みにしてはいけない
氷山の一角だけをみて、
分かったような気になっていたら、危ない」
だからこそ、いつだって、
「幼子のような、曇っていない澄んだ眼」が、必要だろう。
その上、大人の脳みそも必要だ。
「要するに、本来は、どうあるべきなんだ?」
と、自分に問いかけて、頭の中のゴチャゴチャを整理する。
つまり、
枝葉を刈り取って、
本質をむき出しにする・・・
具体的には、
「コレは善か悪か?」に迷ったときは、
本来、
社交ダンスとは?という定義を掲げ直してみる
ということだ。
「本来、社交ダンスとは、人を幸せに導くもの。
人を解放するもの。
みんなが仲良くなることに貢献するべきもの」
この定義にのっとって、判断を下す。
ってな作業、ものすごい数、
やってきてしまったように思うんだよね。
その度に
「やっぱり、
リラックスして
カラダの中から
音楽をよく聴いて
相手を感じて・・
この方向で、行こう」と思い直してきたってわけだ。
最後に、忠告。
「ヤバい、暮らして行けないかも」
的な恐れに、陥ってしまい、
判断を誤ると、本質が見えなくなるばかりか、
その本質を知るための感受力も一気に鈍ってしまう。
こうなると“正しい”社交ダンス教師とはいいがたい。
(第1299話参照)
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