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読者限定ワークショップ 快刀乱麻クリニック目次
社交ダンスを始めるということ 第297話へ
フォロー・アップ・システムのご案内
ジュンコ先生の教室のホームページ
東京ユニプラは定員に達しました。
ありがとうございます。
以後はキャンセル待ちで受付させていただきます。
第8回 月例ワークショップは引き続き受付中です。
チョット中休み エッセイvol.116
エネルギー的相乗効果を目指して
~「夏祭り」での気づき(3)~
前回の続き。
「『ジュンコ先生の教室』において、
重要度が高いのは、
デモンストレーションよりも、学習発表だな」
これから先の
「ジュンコ先生の教室」
主宰のパーティの根幹となるだろうため、
少々、説明を加えておこう。
まずは、
学習発表とデモンストレーションの違いだ。
(あくまで、ワタシ独自の見解であります)
「学習発表は、成功する。
デモンストレーションは、そうとは限らない」
なぜなら、
「学習発表は、
エネルギー的に相乗効果を生み出しやすい。
つまり、エネルギーが増える。
デモンストレーションは、
その性質上、相乗効果を生み出しにくく、
見えないところで、
エネルギーが喪失しやすい」
さぁて、言っていることがわかるだろうか?
学習発表も、デモンストレーションも
「人前で踊る」
ことにおいては、同じだ。
つまり、観る側と踊る側によって成立する、ものだ。
学習発表は、
基本「同じことを習った」仲間が踊るのを、
観ることになる。
自分の知っているステップで、
自分の知っている感覚で踊る・・・
そこに「共感」が生まれるのは、当然だ。
この「共感」が、
想像以上にすごいエネルギーを生むものなのだ。
共感があれば、
何組踊るのを観ても、疲れない、
どんなに???な踊りを
「強制的に観さされる状況になっても」
嫌ではなく、
自然に、讃え(たたえ)応援することができる。
「あの部分、難しいものねぇ」
とか、
「よく、努力されているわねぇ」
とかいう“理解”の気持ちで観ることができるからだ。
観る側と踊る側に、
良質な循環が生まれ、
エネルギーは増える
また、踊る側にしても、
「同じことを習っている」
方々の前で踊るため、雑味な想いが入りにくい。
雑味な想いとは、
上下の心だ。
上は、優越感
下は、劣等感
観る側の目が、成長してくると、
「ダンスを表面的に、観なくなる」
ため、
「表面的な想いが出にくくなり、
自分に集中しやすくなるため」
からだ。
ところが、
デモンストレーションはどうだろう?
残念ながら、
ナチュラルな「共感」は、
なかなか生まれないのが“現実”だ。
もっとも「自分の知り合い・仲間」が踊る場合や、
観る側に、受け止める「ハート」があった場合は、
この限りでない。
モロモロ汲み取り、優しさで見守り、
応援することは可能だ。
が、この場合でも、
相乗効果的エネルギーが創出されることは、
意外に少ない。
特に観る側が、
少々でも無理をするとエネルギーは確実に減ってしまう。
観る側が踊る側をよく知らない場合、
また、観る側に少しでもネガティブな感情要素があると、
良いエネルギーの循環は起こりにくく、
踊る側の一方的エネルギーになってしまう。
また、観る側が
「すごいわねぇ」
「自分は、あんなの、できないわ」
などと、引いてしまう場合などが、その顕著な例である。
踊る側に余裕がなく、必死だった場合、
もっと良くないケースに発展することもある。
「外側」に向いたダンスに終始し、
観る側の気持ちへの配慮などは、
すっ飛んでしまう。
「自分たちが踊ることで、
みんなの時間をいただいた」
といった概念はなく、
周りへの
「ありがとうございます」
といった感謝も持ち合わせないケースも起こりうるからだ。
さて、話を戻そう。
「『ジュンコ先生の教室』において
重要度が高いのは、
デモンストレーションよりも、学習発表だな」
この気づきを得て、
「観る側、踊る側、主催者側・・
参加する人全員にとって、
良いパーティとはなんだろう?」
問いなおしてみたいと思う。
カタチよりもエネルギーの世界で、考えてみるのが、
『ジュンコ先生の教室』らしいよね。
ってことで、
ポイントは、
「エネルギー的相乗効果」だ。
次回、1月のフェスタ(祝祭)に向けて
会議は、この先も、コンテニュー・・
ご精読ありがとうございました。
ミニ・ミニ ボイス
ゼロプラ終了。
ご参加くださった皆様、お疲れ様!
体幹を使った、
オールピクチャー・プロデュース・ワルツ
よくできました。
本気、フレームを固めない、
四つ足ダンスへの時代の幕開けでした。
姿勢が変わると、ダンスが変わるね!
続く第3163話へ
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~「夏祭り」での気づき(3)~
前回の続き。
「『ジュンコ先生の教室』において、
重要度が高いのは、
デモンストレーションよりも、学習発表だな」
これから先の
「ジュンコ先生の教室」
主宰のパーティの根幹となるだろうため、
少々、説明を加えておこう。
まずは、
学習発表とデモンストレーションの違いだ。
(あくまで、ワタシ独自の見解であります)
「学習発表は、成功する。
デモンストレーションは、そうとは限らない」
なぜなら、
「学習発表は、
エネルギー的に相乗効果を生み出しやすい。
つまり、エネルギーが増える。
デモンストレーションは、
その性質上、相乗効果を生み出しにくく、
見えないところで、
エネルギーが喪失しやすい」
さぁて、言っていることがわかるだろうか?
学習発表も、デモンストレーションも
「人前で踊る」
ことにおいては、同じだ。
つまり、観る側と踊る側によって成立する、ものだ。
学習発表は、
基本「同じことを習った」仲間が踊るのを、
観ることになる。
自分の知っているステップで、
自分の知っている感覚で踊る・・・
そこに「共感」が生まれるのは、当然だ。
この「共感」が、
想像以上にすごいエネルギーを生むものなのだ。
共感があれば、
何組踊るのを観ても、疲れない、
どんなに???な踊りを
「強制的に観さされる状況になっても」
嫌ではなく、
自然に、讃え(たたえ)応援することができる。
「あの部分、難しいものねぇ」
とか、
「よく、努力されているわねぇ」
とかいう“理解”の気持ちで観ることができるからだ。
観る側と踊る側に、
良質な循環が生まれ、
エネルギーは増える
また、踊る側にしても、
「同じことを習っている」
方々の前で踊るため、雑味な想いが入りにくい。
雑味な想いとは、
上下の心だ。
上は、優越感
下は、劣等感
観る側の目が、成長してくると、
「ダンスを表面的に、観なくなる」
ため、
「表面的な想いが出にくくなり、
自分に集中しやすくなるため」
からだ。
ところが、
デモンストレーションはどうだろう?
残念ながら、
ナチュラルな「共感」は、
なかなか生まれないのが“現実”だ。
もっとも「自分の知り合い・仲間」が踊る場合や、
観る側に、受け止める「ハート」があった場合は、
この限りでない。
モロモロ汲み取り、優しさで見守り、
応援することは可能だ。
が、この場合でも、
相乗効果的エネルギーが創出されることは、
意外に少ない。
特に観る側が、
少々でも無理をするとエネルギーは確実に減ってしまう。
観る側が踊る側をよく知らない場合、
また、観る側に少しでもネガティブな感情要素があると、
良いエネルギーの循環は起こりにくく、
踊る側の一方的エネルギーになってしまう。
また、観る側が
「すごいわねぇ」
「自分は、あんなの、できないわ」
などと、引いてしまう場合などが、その顕著な例である。
踊る側に余裕がなく、必死だった場合、
もっと良くないケースに発展することもある。
「外側」に向いたダンスに終始し、
観る側の気持ちへの配慮などは、
すっ飛んでしまう。
「自分たちが踊ることで、
みんなの時間をいただいた」
といった概念はなく、
周りへの
「ありがとうございます」
といった感謝も持ち合わせないケースも起こりうるからだ。
さて、話を戻そう。
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重要度が高いのは、
デモンストレーションよりも、学習発表だな」
この気づきを得て、
「観る側、踊る側、主催者側・・
参加する人全員にとって、
良いパーティとはなんだろう?」
問いなおしてみたいと思う。
カタチよりもエネルギーの世界で、考えてみるのが、
『ジュンコ先生の教室』らしいよね。
ってことで、
ポイントは、
「エネルギー的相乗効果」だ。
次回、1月のフェスタ(祝祭)に向けて
会議は、この先も、コンテニュー・・
ご精読ありがとうございました。
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体幹を使った、
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よくできました。
本気、フレームを固めない、
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