2015.02.19 (第2949話)チョット中休み エッセイvol.102 ~反面教師〜
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ありがとうございます。
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今月のテーマは、
“見えないところを鍛える”です。
① NET “なんちゃって・エンジョイ・タイム”
「歌舞伎」
日本の伝統芸能の一つである歌舞伎を使ったエクササイズ。
まずはカラダをしっかり伸ばして立つところからスタート。
チョット中休み エッセイvol.102
反面教師
~ファミリー・トラブルは愛の勉強!?(16)~
では、今日はこんなお話を。
第2946話で、こーいうこと書いたの覚えてます?
「この世に生を受ける際、
“家族”と一緒に “仕事”も選んだのだと思う。
社交ダンスの教師になることを、
ちゃーんと決めて生まれてきた。
なぜかと言えば、
やはり『愛の勉強』をスルためにだ。
実は、ワタシのダンスレッスンの根本は、
○○家での学びにアル」
コレって、どういうことなのか、
ちょっくら、お話したいと思います。
ワタクシ、
ダンスレッスンの時に大切にしていることに、
コーいうのがアル。
「人(生徒サン)のダンスに、レッテルを貼らない」
言い換えれば・・・
決めつけない
限定しない
思い込まない
なぜなら、
その人の持っている可能性を閉ざしてしまっては、
NGだから、だ。
ダンスは、変わる。
体型や気質だって変化できる。
もちろん、本人のやる気と努力は必要だけど、
それと共に、周りの在り方も大事だと思うんだ。
周囲の環境が、
その人のダンスを変えるってものでもあるから、ね。
これは、母の姿が反面教師になっている。
ウチの母が、父に、
「了見が狭い男」などと言った、
悪いレッテルを貼り、決めつけ、
口に出して言い続けることで、
父は、元々あった悪い因子を増殖させ、
ホンマのホンマに、
ソウなってしまったのを観て来たからだ。
それから・・・
「カタチだけのホールドはダメよ」
「外からは組んでいるように見えても、
中身で組めていない関係は、ダメ!」
を徹底したのは、
父と母の組み方=表面だけ取り繕う=仮面夫婦
を観て来たからだ。
また、どのダンステクニックにおいても、
「ホンモノとか、
真理といったモノはドコにあるのだ?」
と、追求してきたワケは、
○○家の在り方が、
反面教師になったのだろう。
○○家は、温かく愛深い家庭なのだが、
残念ながら、
それは、愛はなく、愛情だった・・・
と、ココがもの凄いポイントだ。
「○○家の人々は、愛情が強かったため
『やって、あげるわ。
助けて、あげるわ』
といったミョーな依存体質を生み、
その依存体質が故に、
個人の能力を奪ってしまうものであった」
ということ。
ダンス人生における成長プロセス、
依存→自立(解放・集中)→シナジーという構図ができたのも、
○○家のオカゲだった。
パートナーワークを重要視しているのも、
父と母の関係を観て来たからだ。
相手の身になって考えることの大切さ・・・
父と母がお互いを理解することができなかったのは、
パートナーワーク的思考が持てなかったからだ。
お互い、生まれ持った環境が違っていた。
(父は、自分の親から“見放され”、
母は、“過保護”で育てられた)
母は、お嬢様・専業主婦で、
外で働いた経験がなかった。
ソンナコンナで、
すれ違うミゾを埋めることができなかったからだ。
あぁ、他にもイッパイあるな。
でも、やっぱ、一番大きかったのは、
○○家のおかげで、
「家族間、特に夫婦における
愛と情との違いを知る」
ことが、ホンキ、できつつあり、
それをダンスに活かすことが可能になって来ていることだ。
では、このエッセイの最後に
今、現在の考察。
「愛と情との違い」
を、観てみよう。
続く第2950話へ
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反面教師
~ファミリー・トラブルは愛の勉強!?(16)~
では、今日はこんなお話を。
第2946話で、こーいうこと書いたの覚えてます?
「この世に生を受ける際、
“家族”と一緒に “仕事”も選んだのだと思う。
社交ダンスの教師になることを、
ちゃーんと決めて生まれてきた。
なぜかと言えば、
やはり『愛の勉強』をスルためにだ。
実は、ワタシのダンスレッスンの根本は、
○○家での学びにアル」
コレって、どういうことなのか、
ちょっくら、お話したいと思います。
ワタクシ、
ダンスレッスンの時に大切にしていることに、
コーいうのがアル。
「人(生徒サン)のダンスに、レッテルを貼らない」
言い換えれば・・・
決めつけない
限定しない
思い込まない
なぜなら、
その人の持っている可能性を閉ざしてしまっては、
NGだから、だ。
ダンスは、変わる。
体型や気質だって変化できる。
もちろん、本人のやる気と努力は必要だけど、
それと共に、周りの在り方も大事だと思うんだ。
周囲の環境が、
その人のダンスを変えるってものでもあるから、ね。
これは、母の姿が反面教師になっている。
ウチの母が、父に、
「了見が狭い男」などと言った、
悪いレッテルを貼り、決めつけ、
口に出して言い続けることで、
父は、元々あった悪い因子を増殖させ、
ホンマのホンマに、
ソウなってしまったのを観て来たからだ。
それから・・・
「カタチだけのホールドはダメよ」
「外からは組んでいるように見えても、
中身で組めていない関係は、ダメ!」
を徹底したのは、
父と母の組み方=表面だけ取り繕う=仮面夫婦
を観て来たからだ。
また、どのダンステクニックにおいても、
「ホンモノとか、
真理といったモノはドコにあるのだ?」
と、追求してきたワケは、
○○家の在り方が、
反面教師になったのだろう。
○○家は、温かく愛深い家庭なのだが、
残念ながら、
それは、愛はなく、愛情だった・・・
と、ココがもの凄いポイントだ。
「○○家の人々は、愛情が強かったため
『やって、あげるわ。
助けて、あげるわ』
といったミョーな依存体質を生み、
その依存体質が故に、
個人の能力を奪ってしまうものであった」
ということ。
ダンス人生における成長プロセス、
依存→自立(解放・集中)→シナジーという構図ができたのも、
○○家のオカゲだった。
パートナーワークを重要視しているのも、
父と母の関係を観て来たからだ。
相手の身になって考えることの大切さ・・・
父と母がお互いを理解することができなかったのは、
パートナーワーク的思考が持てなかったからだ。
お互い、生まれ持った環境が違っていた。
(父は、自分の親から“見放され”、
母は、“過保護”で育てられた)
母は、お嬢様・専業主婦で、
外で働いた経験がなかった。
ソンナコンナで、
すれ違うミゾを埋めることができなかったからだ。
あぁ、他にもイッパイあるな。
でも、やっぱ、一番大きかったのは、
○○家のおかげで、
「家族間、特に夫婦における
愛と情との違いを知る」
ことが、ホンキ、できつつあり、
それをダンスに活かすことが可能になって来ていることだ。
では、このエッセイの最後に
今、現在の考察。
「愛と情との違い」
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