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チョット中休み エッセイvol.89 

自分の役に立つこと

~ボクのLODは、すでにアル!?(20)~


2659話からの続き。

ワタクシ思うに、
人は、どんな人でも、なんらかの役割がある。
その役割は、唯一無二モノ。
その人にしか果たすことのできないモノだ。
それは、

“個人の才能”とも言うことができる。

言い換えれば、
人は、どんな人でも、その人だけに与えられた

“特別な才能”を持っている。

ここで言う才能は、
「楽器を扱う才能」
とか、
「絵を書く才能」
などと言った類いのもの以外に、
「人を誉める才能」
とか、
「誰とでも仲良くなれる才能」
とか、
「その場を明るくする才能」
とか、
「細やかなことに気がつく才能」
などといった、
カタチのない・・・一見わかりにくいもの、
目立たないものも含まれる。
そして、
どちらかと言えば、
そのようなカタチのナイ才能のほうが、

「その人だけに与えられた“特別な才能”」

つまり、天からの授かった才能としては、重要、
ソコからカタチある才能へと発展を遂げ
結果、
“職業”にまでなっちゃうケースも多い。

ところが・・・だ。
その才能を活かすことは、非常に難しいんだ。
なぜなら、
才能が、埋もれたまんま、
開花に及ばないケースがもっぱらだからだ。
なぜ?

才能が開かないように

ブロックがかかっているから。


ブロックをかけているのは、
他でもない、自分自身・・・

ムムっ!?
混乱して来た?

理屈はこうだ。

“特別な才能”は、
コンプレックスネガティブな感情とともにあるんだな。
それらと見分けがつきにくいくらいに、ごっちゃにアル。
時に、才能は反対のパターンとして現れている。
ヒトによっては、
才能とコンプレックスが、裏表にアル場合も。
なので、
「最も自分が苦手なモノと
最も憧れているものが、一緒」

であったり
「最も自分が恐れていることと、
最もやりたいことが、一緒」

であったり、
という一見矛盾したような現象を生むことが多いんだ。
例えれば、
「人前で話をすることが、超苦手」
な人は、実は、
「人前で話をすることが、超得意」
なぁんて風に。

自分は、
「人前で話をすることが、超苦手」
だと思っているから、
人前で話をするシーンで、
気持ち、行為自体にブロックをかけちゃう。
でも、ソウいう人が、何かのきっかけを得て、
ネガティブな自分にホンキで、
取り組むことができるようになったとしよう。
すると、徐々にブロックは解かれ、それに伴い、
「人前で話をする」
才能が現れてくる。
やがて、
「多くの人の前で、真理を分かりやすく説く」
に至り、それによって、人が救われる・・・
こうして
個人の才能を他者にもたらすことで、
(才能は)使命へと変わり、
大いなる働きをすることがデキル。

強調したいのは、

もともとは、

コンプレックスであったものが、

使命へと変化した
という点だ。

「人前で話をすることが、超苦手」
な自分だけが、
自分の“すべて”であると思い込んで
塞がってしまっては、
才能の開花はなかったという点・・・
コレが、スゴいんだ。
言い換えれば、
人は、
自分の負の部分を知り、向かい合い
ソレを乗り越えて行く先に
才能が開花するという
“仕組み”をたずさえて、生まれて来た。
コンプレックスやネガティブな感情の解消と
才能の開花がセットになっているということだ。
これぞ天からの贈り物!

と、ココまで押さえておいて・・・
「自分の負の部分を知りソレを乗り越えて行き
ソノ先にアル、ホントウの自分の才能に出会う」

ことって、
「自分の役に立つこと」だよね?
「自分の役に立つこと」が、
個人の“生まれて来た目的” だったよね?
ね、つながって来たでしょ。
つまり
自分自身の
コンプレックスやネガティブな感情に向かいあい、
それ解消をすることこそが、
“生まれて来た目的”であり、
人生をかけての “仕事”なんだ。

“仕事”イコール“職業”でないケースも多いけど、
その“職業”の中でも“仕事”を果たすことは可能だ。
日常生活で、行なうことだって十分できる。
“仕事”レベルが上がってくると、
今まで
「とてもできない、自分には無理だ」
と思っていた方向に才能が開いてくる。
上記
自分に向かう“仕事”は
「人の役に立つこと」へとつながるのだ。

故にすべての人は
「自分の役に立つ」
ことで、
「人の役に立つことができる」


      続く第2663話へ