2014.03.21 (第2614話)チョット中休み エッセイvol.85 ~功徳の人~
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チョット中休み エッセイvol.85
功徳の人
~アナタに出会えて良かった(4)~
3月16日 日曜日 朝
ヒデ君とワタシは、
Hさんの告別式に出席するべく、車で高知に向かっていた。
Hさんが倒れたとことを知った12日の朝から、
ドコかの意識レベルと、
ずーっとつながっているような状態だった。
電源がOFFにならないのだ。
カラダは疲れているハズだが、
反対に気はシッカリとしていく感覚があった。
それはヒデ君も同じだったようだ。
昨日のゼロプラ(たくさんの“仲間”による練習会)では、
ヒデ君が、Hさんの訃報を伝えた。
「ナニも知らないで、
いつものように会場へ入ってくる“仲間”を観て、
胸が締めつけられる想いやった」
「音楽を聴くだけで、涙がこみ上げてくる。
ワルツが特にきつい。
それだけでも、大変やのに、
Hさんの“声”をフッと、思い出す。
いろんなシーンが、急によみがえってくる・・
みんなにもコウいう想いをさせるようになるのかと思うと、
たまらんかった」
が、みんなに伝えた後、
不思議な感覚になったという。
「急に心が軽くなった。
共有できたんやと分かった。
ホンマ“仲間”なんやって感じた。
うれしかった」
コレは、発見だった。
以下のモロモロは知識としては知っていた。
感情には“重さ”があること。
大きな悲しみは、非常に重いこと。
でも、みんなと分け合うことで、
1人の負担が、軽くなること。
心を合わせることのデキル
いわゆる“仲間”であればあるほどに、
この効果があること。
ゆえに“仲間”は、
個人の感情的危機を救うことができること・・
ソレがまさに行なわれたわけだ。
発見は、他にもあった。
それは、個の存在が全体に与えていた影響のスゴさだ。
みんなの落胆の様子が、ソレを物語っている。
特にHさんの場合は、
1人ひとりにとって大きな存在となっていたため、
なおさらだったようだ。
そして、明らかになったのは、
Hさんが“仲間”に対し、行なってきた功徳の数々・・
この場合の功徳を、
具体的にいうと・・・誉め、讃えるという行為だ。
Hさんは、はにかんだ表情が魅力的な、
自然体な方だった。
「みんな、(ダンスが)上手くなったなぁ」
と、よく口にしていた。
そして、その気持ちを飾ることなく、
ちゃんと的確に、相手に伝えていたようなのだ。
Hさんから
「上手くなったねぇ」
なる言葉をいただき、勇気づけられ、
励まされてきたという方の、なんと多いこと。
言い換えれば、
“仲間”は、Hさんの言葉を通し、
自分では気がついていない
自分の良さを知る体験が成されていたということだ。
Hさんのオカゲで、
自分を愛する道を得たヒトたちは、
まんま、Hさんを愛した。
Hさんが何らかの“見返り”を期待しつつ、
誉めていたとは、到底考えられないだけに、
この循環は、
強力な“絆(きずな)”を育むこととなったはずだ。
Hさんとそういった関係を築いて来た方々の悲しみは深いだろう。
が、時間が経ち、癒しに近づくごとに、
「 Hさん、アナタに出会えて良かった」
の想いが、
その悲しみを乗り越えていくだろう・・・
さて、話を戻そう。
思いのほか早く、
高知・南国に到着できたワタシタチは、
斎場の下見に向かった。
すぐに見つかった。
ワタシは、ちゃんと確かめるために、
1人、そっと中に入っていった。
あれ? 変だ。
ここ、違うんじゃナイの!?
いや、名前はあっている。
故Hさんの葬儀とある。
変だなぁ
と思ったわけは、遺影の写真だった。
黒髪の青年・・・なのだ。
近くまで行って、確かめた。
若かりし頃のHさんだった。
車に戻ったワタシは、ヒデ君に言った。
「絶対、笑ったらアカンで」
「え?なにが?」
「写真、観て、
笑ったらアカンで・・・」
続く第2615話へ
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功徳の人
~アナタに出会えて良かった(4)~
3月16日 日曜日 朝
ヒデ君とワタシは、
Hさんの告別式に出席するべく、車で高知に向かっていた。
Hさんが倒れたとことを知った12日の朝から、
ドコかの意識レベルと、
ずーっとつながっているような状態だった。
電源がOFFにならないのだ。
カラダは疲れているハズだが、
反対に気はシッカリとしていく感覚があった。
それはヒデ君も同じだったようだ。
昨日のゼロプラ(たくさんの“仲間”による練習会)では、
ヒデ君が、Hさんの訃報を伝えた。
「ナニも知らないで、
いつものように会場へ入ってくる“仲間”を観て、
胸が締めつけられる想いやった」
「音楽を聴くだけで、涙がこみ上げてくる。
ワルツが特にきつい。
それだけでも、大変やのに、
Hさんの“声”をフッと、思い出す。
いろんなシーンが、急によみがえってくる・・
みんなにもコウいう想いをさせるようになるのかと思うと、
たまらんかった」
が、みんなに伝えた後、
不思議な感覚になったという。
「急に心が軽くなった。
共有できたんやと分かった。
ホンマ“仲間”なんやって感じた。
うれしかった」
コレは、発見だった。
以下のモロモロは知識としては知っていた。
感情には“重さ”があること。
大きな悲しみは、非常に重いこと。
でも、みんなと分け合うことで、
1人の負担が、軽くなること。
心を合わせることのデキル
いわゆる“仲間”であればあるほどに、
この効果があること。
ゆえに“仲間”は、
個人の感情的危機を救うことができること・・
ソレがまさに行なわれたわけだ。
発見は、他にもあった。
それは、個の存在が全体に与えていた影響のスゴさだ。
みんなの落胆の様子が、ソレを物語っている。
特にHさんの場合は、
1人ひとりにとって大きな存在となっていたため、
なおさらだったようだ。
そして、明らかになったのは、
Hさんが“仲間”に対し、行なってきた功徳の数々・・
この場合の功徳を、
具体的にいうと・・・誉め、讃えるという行為だ。
Hさんは、はにかんだ表情が魅力的な、
自然体な方だった。
「みんな、(ダンスが)上手くなったなぁ」
と、よく口にしていた。
そして、その気持ちを飾ることなく、
ちゃんと的確に、相手に伝えていたようなのだ。
Hさんから
「上手くなったねぇ」
なる言葉をいただき、勇気づけられ、
励まされてきたという方の、なんと多いこと。
言い換えれば、
“仲間”は、Hさんの言葉を通し、
自分では気がついていない
自分の良さを知る体験が成されていたということだ。
Hさんのオカゲで、
自分を愛する道を得たヒトたちは、
まんま、Hさんを愛した。
Hさんが何らかの“見返り”を期待しつつ、
誉めていたとは、到底考えられないだけに、
この循環は、
強力な“絆(きずな)”を育むこととなったはずだ。
Hさんとそういった関係を築いて来た方々の悲しみは深いだろう。
が、時間が経ち、癒しに近づくごとに、
「 Hさん、アナタに出会えて良かった」
の想いが、
その悲しみを乗り越えていくだろう・・・
さて、話を戻そう。
思いのほか早く、
高知・南国に到着できたワタシタチは、
斎場の下見に向かった。
すぐに見つかった。
ワタシは、ちゃんと確かめるために、
1人、そっと中に入っていった。
あれ? 変だ。
ここ、違うんじゃナイの!?
いや、名前はあっている。
故Hさんの葬儀とある。
変だなぁ
と思ったわけは、遺影の写真だった。
黒髪の青年・・・なのだ。
近くまで行って、確かめた。
若かりし頃のHさんだった。
車に戻ったワタシは、ヒデ君に言った。
「絶対、笑ったらアカンで」
「え?なにが?」
「写真、観て、
笑ったらアカンで・・・」
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