2013.09.08 (第2420話)社交ダンスが教えてくれたこと vol.13 ~競技が危ない!〜
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特別シリーズ
社交ダンスが教えてくれたこと 人間美学そして哲学vol.13
競技が危ない!
真・美センスを磨く(23)
テーマ
社交・競技ダンス界における
美・センス
について
の対談、いよいよラストに突入。
ジュンコ先生
「悪い流れは食い止めないと、
この先、大変だと思う。
あるがままの自分を観るどころか、
不誠実な人格、
ウソっぽい人格になってしまう可能性が高い。
結局のところ、
正しい自尊心は育ちにくいとみている。
今のままのダンス界では・・・」
Q
「ソノ辺り、つまり、
今のダンス界で
正しい自尊心が育ちにくいという原因も、
プロフェッショナルにあると?」
ジュンコ先生
「大いにアルと思う」
Q
「具体的にはどういう?」
ジュンコ先生
「ダンス界において力を持っている
プロフェッショナルのほとんどが、
競技に重心を置いているわ。
だから、
競技会での箔(はく)というか、
優劣に、
プライドを求める感覚が強過ぎるように思うのね」
Q
「ソレは・・・
C級よりもB級、B級よりA級が、
エライといった感じですか?」
ジュンコ先生
「そう。
でも、そんなことは、
決して、ないでしょう!?
競技会でのランクが、
そのままヒトとしてのランクにナルのでは、
絶対にない」
Q
「ダンスが上手くても、
人間的にはマズイこともあると?」
ジュンコ先生
「う〜ん、それもちょっと違うの。
級の高いダンサーが、
必ずしもダンスが上手いわけではナイ」
Q
「へ?
ちょっと待ってください、
そうなのですか?」
ジュンコ先生
「エエ・・・残念ながら。
確かに、級が上のダンサーは、
“競技会的には上手い”かも知れない、
でも、本当に上手いかどうかは、
定かではナイと見ているわ」
Q
「“競技会的に上手い”というのが、
アルのですか?」
ジュンコ先生
「エエ、
『競技用テクニックがアル』
『見せ方が上手い』
『勝ち方を知っている』
といった感じ。
ダンスのアル面は確かに優れてイル。
ところが、ソウいう選手は、
意外に“内面”に乏しかったりするのね。
現役時代のワタシが、まさにそう。
今から思えば、競技で勝っている時でも、
ものすごく“粗い(あらい)ダンス”をしていたわ」
Q
「粗いって・・・
相手とのコミュニケーションとか、
音楽表現といった点が、良くないと?」
ジュンコ先生
「それもある。
さらに、
もっと深い部分に欠点をかかえたまんま、
非常に幼いというか
人格的に成長していない
ダンサーも多い
それが、ダンスに出てくるの」
Q
「わぁお、
それは深いというか、怖い」
ジュンコ先生
「でも、本当よ。
心と身体の
そういった“アンバランス”さを埋めるためには、
ダンスという手段は有効だわ。
でも、
競技にハマってしまうと
反対に作用することがもっぱら
だから
心と身体が、調和せず、ケンカしたままなの」
Q
「それでは、上手くならないですね」
ジュンコ先生
「そう。
でも、競技では勝ってしまうケースも多い」
Q
「ややこしいなぁ。
競技会で勝っていても、
実は、上手くないとすれば、
自分は一体、本当に上手いのか、
実は、さほど上手くないのか
混乱するというか
基準がわからないでしょうね」
ジュンコ先生
「ソウいうことなの。
“競技重心”の危ない点は、
自分で、
自分が正しく評価ができなくなる
ところなの。
あるがままの自分が見えなくなる。
だから、
自分の本当に良いところも
悪いところも把握できない
自分で自分のことをわからないまんま、
競技会に出て、
“審査員”という他者に、評価をゆだねる。
それで、余計にわからなくなる。
こういった悪循環が、
ダンス界の自尊心を
変にさせてしまっている原因の1つだと思うの・・・」
ミニ・ミニボイス
モロモロ、お勉強スタート。
ふと、
届けられた、阿蘇山の写真に見入る。
綺麗な姿。
大自然の中に身を置きたい、そう感じた。
同時に、
“観音様の足元”に住まう御方のことを、想った。
「日々、大事に・・・」
届くか、この想い。
続く第2421話へ
※Real Junko Voiceはお休みです。
いつも 応援クリック ありがとうございます。
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あるがままの自分を観るどころか、
不誠実な人格、
ウソっぽい人格になってしまう可能性が高い。
結局のところ、
正しい自尊心は育ちにくいとみている。
今のままのダンス界では・・・」
Q
「ソノ辺り、つまり、
今のダンス界で
正しい自尊心が育ちにくいという原因も、
プロフェッショナルにあると?」
ジュンコ先生
「大いにアルと思う」
Q
「具体的にはどういう?」
ジュンコ先生
「ダンス界において力を持っている
プロフェッショナルのほとんどが、
競技に重心を置いているわ。
だから、
競技会での箔(はく)というか、
優劣に、
プライドを求める感覚が強過ぎるように思うのね」
Q
「ソレは・・・
C級よりもB級、B級よりA級が、
エライといった感じですか?」
ジュンコ先生
「そう。
でも、そんなことは、
決して、ないでしょう!?
競技会でのランクが、
そのままヒトとしてのランクにナルのでは、
絶対にない」
Q
「ダンスが上手くても、
人間的にはマズイこともあると?」
ジュンコ先生
「う〜ん、それもちょっと違うの。
級の高いダンサーが、
必ずしもダンスが上手いわけではナイ」
Q
「へ?
ちょっと待ってください、
そうなのですか?」
ジュンコ先生
「エエ・・・残念ながら。
確かに、級が上のダンサーは、
“競技会的には上手い”かも知れない、
でも、本当に上手いかどうかは、
定かではナイと見ているわ」
Q
「“競技会的に上手い”というのが、
アルのですか?」
ジュンコ先生
「エエ、
『競技用テクニックがアル』
『見せ方が上手い』
『勝ち方を知っている』
といった感じ。
ダンスのアル面は確かに優れてイル。
ところが、ソウいう選手は、
意外に“内面”に乏しかったりするのね。
現役時代のワタシが、まさにそう。
今から思えば、競技で勝っている時でも、
ものすごく“粗い(あらい)ダンス”をしていたわ」
Q
「粗いって・・・
相手とのコミュニケーションとか、
音楽表現といった点が、良くないと?」
ジュンコ先生
「それもある。
さらに、
もっと深い部分に欠点をかかえたまんま、
非常に幼いというか
人格的に成長していない
ダンサーも多い
それが、ダンスに出てくるの」
Q
「わぁお、
それは深いというか、怖い」
ジュンコ先生
「でも、本当よ。
心と身体の
そういった“アンバランス”さを埋めるためには、
ダンスという手段は有効だわ。
でも、
競技にハマってしまうと
反対に作用することがもっぱら
だから
心と身体が、調和せず、ケンカしたままなの」
Q
「それでは、上手くならないですね」
ジュンコ先生
「そう。
でも、競技では勝ってしまうケースも多い」
Q
「ややこしいなぁ。
競技会で勝っていても、
実は、上手くないとすれば、
自分は一体、本当に上手いのか、
実は、さほど上手くないのか
混乱するというか
基準がわからないでしょうね」
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「ソウいうことなの。
“競技重心”の危ない点は、
自分で、
自分が正しく評価ができなくなる
ところなの。
あるがままの自分が見えなくなる。
だから、
自分の本当に良いところも
悪いところも把握できない
自分で自分のことをわからないまんま、
競技会に出て、
“審査員”という他者に、評価をゆだねる。
それで、余計にわからなくなる。
こういった悪循環が、
ダンス界の自尊心を
変にさせてしまっている原因の1つだと思うの・・・」
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モロモロ、お勉強スタート。
ふと、
届けられた、阿蘇山の写真に見入る。
綺麗な姿。
大自然の中に身を置きたい、そう感じた。
同時に、
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