2011.08.18 (第1668話)ダンスの根本的“なぜ?”の解決に迫る ~手・腕プラプラは良くないの!?~
初めての方へ 目次 エクササイズ&プラクティス集
テーマ別インデックス Real Junko Voice目次
読者限定ワークショップ
社交ダンスを始めるということ 更新しました
呼吸で熱中症対策!?
ダンスの 根本的“なぜ?”の解決に迫る
快刀乱麻クリニック
手・腕プラプラは良くないの!?
~魅せる!!ハンド&アーム・テクニック~
このブログ愛読者のアナタなら
足・脚と体幹部のつながり
と聞けば、
「大腰筋がみぞおちあたりから
2本の脚をぶら下げてプーラプラ・・・」
なぁんて、イメージ、
すぐにでも浮かんでくるんじゃないかしら?
つまり、
足・脚と体幹部のつながりは、
「吊りバンドのようなインナーマッスルを介しての
“吊り上げ”あるいは“垂らし”」
イメージが定着しつつある、って感じなんよね。
ひょっとしたら、
すでにもう
「(みぞおちから脚の)実感まで、しっかり伴ってます」
てな、ワンダホーな方もいるかもしれない。
ところが、
手・腕と体幹部のつながり
は、どうだろうか?
「骨格的には、
胸鎖関節、ただ一点で、アバラとつながっている。
(第1185話参照)
だから、手・腕は、
足・脚同様、プラプラが良いんです!」
ご名答!!
そーなんだ。
ところが・・・
「足・脚は上に乗っかっている
体幹部=ボディの中に本体の足・脚がありますから
ソレを操作することで、結果、動く。
だもんで、プラプラで良し。
次に、手・腕は・・・
アレ?
そう言えば、
手・腕の本体は、ドコなんだろう???
胸鎖関節のくっついているアバラかな?
でも、アバラは骨で、
大腰筋のようなインナーマッスルではないもんな。
では、背中側にあるインナーマッスルかな?
でも、肩甲骨は、
アバラの上に乗っかっているだけだもんな」
と、ココで、ハタとアナタは、思い当たる。
「そうだったのか!
だから、
手や腕がプラプラになっても、
アームアクションや、
ホールドがなかなか上手く行かなかったのか。
本体の操作が分からない。
だって、
本体がどこか明確じゃないんだもの」
「手や腕にエネルギーが通った感覚と
リキんでいる感覚の違いがイマイチ分からなかったのも、
ソノせいかも知れない!
手・腕と体幹部のつながり
が、
イメージしにくかったんだ」
ジュンコ先生は言う。
「良いところに気がついたわね。
手・腕と体幹部のつながりのお勉強は、
足・脚と体幹部のつながりのお勉強のとき以上に、
ちゃんとした意志なり認識がいるの。
それほどに、(手・腕と体幹部のつながりは)複雑なのよ」
「最初にやるべきことであり、
アル意味、永遠の課題は、
手や腕と体幹部の悪いつながり
=癒着(ゆちゃく)を取っていくこと。
で、
体幹部との唯一のつながりである
胸鎖関節の存在や、
肋骨の上に浮いている肩甲骨の存在について、
お勉強していく。
その過程で、
手・腕のリキミが取れ、
プラプラになってくるでしょう。
でも、その“プラプラ”が最終目標ではない。
ソコに必要量のエネルギーが伝達されないままだと
“プラプラ”が悪いように作用する場合さえ出てくるわ。
例えば
踊った際、相手から
『つながりが感じられない』
『テンションがない』
などと評価を受けてしまう。
アームアクションのとき
『ブラブラで、腕が死んでいる』
『ただ、振り回しているだけ』
と、なったりね」
「もちろん、癒着と取っていく作業なしで、
相手とつながろう
美的アームアクションを狙う
・・これまた、上手く行かない。
というより、コッチはNG。
“本質”から外れているから、
いくら練習しても本当に上手くなることはないわ」
「癒着がアル程度取れ、
プラプラな手・腕になってきたら、
床から上がって来た、
エネルギーを伝達するお勉強が待っているの。
そこで、
重要になってくるのは、
上記“本体”ね。
手・腕を動かす大元。
ココにまずエネルギーを集約させて・・・って部位よ。
足・脚でいう、大腰筋に代わるもの。
ソレはどこかと言うと・・・」
続く第1669話へ
Real Junko Voice
(目次)
スペシャルバージョン283
~信心・・・矛盾するこころ~
成長するにつれ、ワタシは、
“おばちゃん一家”から勧誘を受けたモノ以外にも、
この世にはたくさんの宗教がアルことを知った。
ただ、
“おばちゃん一家”と実家メンバーとの間に生じていた
目に見えない軋轢(あつれき=争い)の原因が、
“宗教”にあったという事実は、
思いのほか、幼いココロに影響を与えたようで、
「○○教が、どうのこうの」
といった話を聞いたり
「宗教勧誘へのチラシ」
を見たりするやいなや、
サーッと気持ちが冷めていく自分がいた。
「“宗教”とは、
人と人が仲良くできなくなる原因となるもの」
というイメージを持ってしまっていたのだろう。
ワタシは、
“宗教団体”は、良くないモノ、という気持ちを養っていった。
ところが一方で、
「信心する人」に対しては、
それほど悪く思っていない自分がいるのも確かだった。
「宗教、ヤルようなもんに、ろくなモンはいない」
と、
“おじいちゃん”は言った。
が、
ワタシは、実際
「宗教、やってます」
という人を観察するうちに、こんな気持ちになっていった。
「偏りが激しい、
いわゆる“盲信”に走っている人はNGだが、
“宗教とのつきあい方”によっては、
『信心する人』
は、
『なーんにも信心していない人』
『信心をバカにする人』
より、どこか、シャンとしていて、美しい・・・
なぜだろう?
信じるという心の作用が、
アル特有の“美”を引き出すのであろうか?」
話していても、結構、面白い人が多い、とも思った。
“人生”について、
何らかの考えを持って生きていると言う感じだ。
説教めいた話に発展するシーンに及んでも、
ワタシは特に苦痛には思わなかった。
信心する対象・シンボルに関係なく、
「人が人の幸せについて考えること」
「死生観を持ち、今を生きること」・・
は、どうであれ
“良いことなのではないか?”と思うようになっていったのだ。
「宗教団体を良くないモノと思う気持ち」
ソレと共に
「信心する人への憧れ」
矛盾を抱えたまま、
ワタシは成長していったようで・・・・
その矛盾解決に向けて
ワタシの人生が動き始めたのは、
第1回目の結婚後、
しばらく経ってからのことだった。
いつも 応援クリック ありがとうございます。
↓ ↓ ↓

とても励みになっています。(ジュンコ)
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と聞けば、
「大腰筋がみぞおちあたりから
2本の脚をぶら下げてプーラプラ・・・」
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すぐにでも浮かんでくるんじゃないかしら?
つまり、
足・脚と体幹部のつながりは、
「吊りバンドのようなインナーマッスルを介しての
“吊り上げ”あるいは“垂らし”」
イメージが定着しつつある、って感じなんよね。
ひょっとしたら、
すでにもう
「(みぞおちから脚の)実感まで、しっかり伴ってます」
てな、ワンダホーな方もいるかもしれない。
ところが、
手・腕と体幹部のつながり
は、どうだろうか?
「骨格的には、
胸鎖関節、ただ一点で、アバラとつながっている。
(第1185話参照)
だから、手・腕は、
足・脚同様、プラプラが良いんです!」
ご名答!!
そーなんだ。
ところが・・・
「足・脚は上に乗っかっている
体幹部=ボディの中に本体の足・脚がありますから
ソレを操作することで、結果、動く。
だもんで、プラプラで良し。
次に、手・腕は・・・
アレ?
そう言えば、
手・腕の本体は、ドコなんだろう???
胸鎖関節のくっついているアバラかな?
でも、アバラは骨で、
大腰筋のようなインナーマッスルではないもんな。
では、背中側にあるインナーマッスルかな?
でも、肩甲骨は、
アバラの上に乗っかっているだけだもんな」
と、ココで、ハタとアナタは、思い当たる。
「そうだったのか!
だから、
手や腕がプラプラになっても、
アームアクションや、
ホールドがなかなか上手く行かなかったのか。
本体の操作が分からない。
だって、
本体がどこか明確じゃないんだもの」
「手や腕にエネルギーが通った感覚と
リキんでいる感覚の違いがイマイチ分からなかったのも、
ソノせいかも知れない!
手・腕と体幹部のつながり
が、
イメージしにくかったんだ」
ジュンコ先生は言う。
「良いところに気がついたわね。
手・腕と体幹部のつながりのお勉強は、
足・脚と体幹部のつながりのお勉強のとき以上に、
ちゃんとした意志なり認識がいるの。
それほどに、(手・腕と体幹部のつながりは)複雑なのよ」
「最初にやるべきことであり、
アル意味、永遠の課題は、
手や腕と体幹部の悪いつながり
=癒着(ゆちゃく)を取っていくこと。
で、
体幹部との唯一のつながりである
胸鎖関節の存在や、
肋骨の上に浮いている肩甲骨の存在について、
お勉強していく。
その過程で、
手・腕のリキミが取れ、
プラプラになってくるでしょう。
でも、その“プラプラ”が最終目標ではない。
ソコに必要量のエネルギーが伝達されないままだと
“プラプラ”が悪いように作用する場合さえ出てくるわ。
例えば
踊った際、相手から
『つながりが感じられない』
『テンションがない』
などと評価を受けてしまう。
アームアクションのとき
『ブラブラで、腕が死んでいる』
『ただ、振り回しているだけ』
と、なったりね」
「もちろん、癒着と取っていく作業なしで、
相手とつながろう
美的アームアクションを狙う
・・これまた、上手く行かない。
というより、コッチはNG。
“本質”から外れているから、
いくら練習しても本当に上手くなることはないわ」
「癒着がアル程度取れ、
プラプラな手・腕になってきたら、
床から上がって来た、
エネルギーを伝達するお勉強が待っているの。
そこで、
重要になってくるのは、
上記“本体”ね。
手・腕を動かす大元。
ココにまずエネルギーを集約させて・・・って部位よ。
足・脚でいう、大腰筋に代わるもの。
ソレはどこかと言うと・・・」
続く第1669話へ
Real Junko Voice
(目次)
スペシャルバージョン283
~信心・・・矛盾するこころ~
成長するにつれ、ワタシは、
“おばちゃん一家”から勧誘を受けたモノ以外にも、
この世にはたくさんの宗教がアルことを知った。
ただ、
“おばちゃん一家”と実家メンバーとの間に生じていた
目に見えない軋轢(あつれき=争い)の原因が、
“宗教”にあったという事実は、
思いのほか、幼いココロに影響を与えたようで、
「○○教が、どうのこうの」
といった話を聞いたり
「宗教勧誘へのチラシ」
を見たりするやいなや、
サーッと気持ちが冷めていく自分がいた。
「“宗教”とは、
人と人が仲良くできなくなる原因となるもの」
というイメージを持ってしまっていたのだろう。
ワタシは、
“宗教団体”は、良くないモノ、という気持ちを養っていった。
ところが一方で、
「信心する人」に対しては、
それほど悪く思っていない自分がいるのも確かだった。
「宗教、ヤルようなもんに、ろくなモンはいない」
と、
“おじいちゃん”は言った。
が、
ワタシは、実際
「宗教、やってます」
という人を観察するうちに、こんな気持ちになっていった。
「偏りが激しい、
いわゆる“盲信”に走っている人はNGだが、
“宗教とのつきあい方”によっては、
『信心する人』
は、
『なーんにも信心していない人』
『信心をバカにする人』
より、どこか、シャンとしていて、美しい・・・
なぜだろう?
信じるという心の作用が、
アル特有の“美”を引き出すのであろうか?」
話していても、結構、面白い人が多い、とも思った。
“人生”について、
何らかの考えを持って生きていると言う感じだ。
説教めいた話に発展するシーンに及んでも、
ワタシは特に苦痛には思わなかった。
信心する対象・シンボルに関係なく、
「人が人の幸せについて考えること」
「死生観を持ち、今を生きること」・・
は、どうであれ
“良いことなのではないか?”と思うようになっていったのだ。
「宗教団体を良くないモノと思う気持ち」
ソレと共に
「信心する人への憧れ」
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