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社交ダンスを始めるということ 第112話へ




ダンスの 根本的“なぜ?”の解決に迫る
快刀乱麻クリニック

ほぐし&ゆるめの秘訣は筋膜にアリ!?

~ザ・音楽トラブル~


前回の続き。

ジュンコ先生
「平たく言えば、
よく音楽が聴こえるカラダって、

ほぐれ&ゆるみレベルの高いカラダなのね。

だからといって、
『分かった、じゃぁ、カラダをほぐしましょ、ゆるめましょ』
とやっても、上手くいかないケースが多い。
フツーのストレッチでは、無理、というか、
回り道になり過ぎるというか、
下手すれば逆効果というか・・・」



「え~!? 
逆効果って言う場合もアルのですか?」


ジュンコ先生
「ええ。
余計にカラダを緊張させてしまう場合もアルのよ。

快適でないストレッチは。

例えば、無理矢理の開脚とか、前屈とか・・・
いわゆる“柔軟体操”は、
音楽を受け入れるカラダになるという目的のためには、
不必要であるものが多いわ。
(音楽を受け入れるカラダになるには)

快適な感覚を取り戻す

エクササイズのほうが、断然有利
なワケ。

心地よくないストレッチは、
肌表面の防衛バリアをかえって強めてしまう場合もあるから、
要注意。
それに、
アウターマッスルや、
インナーマッスルのつながりを緊密にしてしまったり、
インナーマッスルと骨の間の連結を強めてしまったり・・・
これも、良くない。
音楽が浸透しないカラダになるのよ」



「え?ちょっと待って下さい。
緊密なつながりとか、
連結ってイイことではないのですか?

よく、
ジュンコ先生からも
『カラダの中のつながりが大事』
とか
『連動することが大切』
といつも習っているように思うんですけど」


ジュンコ先生
「いい質問ね。
よく聴いてね。
いいつながりとは、

適度な“スキマ”のアルつながりなの。

キッチリ・ピッタリ・キチキチではダメなのよ。
“寸分ノ狂いもなく一緒”とか、
“同一”は、目指しちゃダメ、NGなのよ。

緊密な連結は、固さをうむ。

だから、
ほぐして、ゆるめて、スキマを作ってあげなきゃダメなのよ。
そして、
音楽はそのスキマづたいに浸透してくるものなの・・・」



「あぁ、なんだかイメージが変わりました」


ジュンコ先生
「ソレは良かった。
実はね、

本来、良いカラダってスキマだらけなのよ。

そのスキマづくりに一役買っているのが、

筋膜(きんまく)なの。
(第1420話参照)

筋膜ってね、
実は、筋肉だけを包んでいる・・・じゃあないの。
骨・内臓・血管・神経・・
あらゆるカラダの構成物質はすべて、筋膜に包まれているのよ



「ヘェ~!?血管や神経も?」


ジュンコ先生
「そうなの。
すべてのカラダのパーツが、
筋膜という“ネット状の包み”に包まれているの」



「スゴく、手が込んでいるんですね(笑)
なぜ、そこまで?」


ジュンコ先生
「“中身”を傷つけないようにという“配慮”でしょ。
そして、
パーツ同士が、直接的につながることで、
互いにストレスをかけ合わないように。
カラダのパーツ一つひとつの役割が十分果たせた上で、
正しい距離感でつながり、
つながることで、
新しい効果を生み出せるように・・・」



「上手くできているのですねぇ!
カラダの中って」


ジュンコ先生
「そうなの。
ということで、
まとめると・・・音楽が聴こえるカラダが手に入る
カラダほぐし&ゆるめの秘訣は、

筋膜にアリ!

言い換えれば、
ほぐれていないカラダ、ゆるんでいないカラダは、
筋膜自体が固くなっている・癒着しているなどで、
パーツ同士のつながりが、
緊密になりすぎている・・・可能性が高いの」



「なるほど・・・
そういえば、
以前、教えていただいた

超伸び筋膜ストレッチって

気持ちいいところを探しながら、

伸びて行く
・・・が大事ってことでしたからね」


ジュンコ先生
「そうなの。
今回、取り上げる

音楽導入への

静まり・レベル・エクササイズ


も、言わば、カラダ深部までいたる

筋膜ストレッチなのよ」



「あの、目の玉とか脳ミソもほぐし、
ゆるめるとありましたが、
ソレも筋膜に関係あるのですか?」


ジュンコ先生
「もちろんよ・・・
では、実践、してみましょうか」


       続く第1490話へ





Real Junko Voice
(目次)

スペシャルバージョン189

~パワースポット・・・多種多様な慈悲魔~ 

自分に、それだけの力もナイのに、
「助けてあげたい」
「救って上げたい」
という

“身の程知らず型の慈悲魔”の他に、

「助けてあげる」
「救ってあげる」
行為によって、
相手の
「自分でヤロウとする力を奪ってしまう」

“エゴ型の慈悲魔”というものがアル。

コレも厄介だ。
“慈悲もどき”をやった本人は、
「自分は良いこと、正しいことをした」
と思い込んでいるからだ。

そう言えば・・・
以下のような興味深い記事を読んだことがアル。

「先進国から途上国への支援は、
“慈悲魔”であることが多い」


「例えば、医療活動の慈悲魔。
現地では決して手に入らない薬(解熱剤・鎮痛剤など)
を処方し、悦に入ってる医療従事者が多い」
という話。

「私は(筆者)
足に怪我をし、ウジ虫がわいている女の子に、
持っていた“マキロン”を塗ってあげた。
足は良くなった。
女の子は喜んだ。
ところが、困ったことになった。
村に行くたびに“マキロン”を要求されるようになったのだ。
その時、
村の人達が自分でできない治療や、
手に入らない薬をあげてしまうこと、
すべて慈悲魔的行為だということに気付いた」

「村の人達自身でできる医療とは何かと考えた。
現地で入手しやすい薬草を使った治療や温灸、
マッサージを伝授。
また、アロエを植えて、使い方を教えた」

その記事には、
他にも多種多様の“慈悲魔”がはびこっていると指摘。
たとえば、

“ニート”

子供を思う親心が慈悲魔と化すのだ。
仕事に行こうとしない、
親のすねをかじり続ける、
そんな我が子を、突き放すことができない。
わがままを聞き入れてやる。

「いいのよ、無理しないで。
行きたくなったら行けばいいのよ」

「この子の面倒を見てあげられるのは、
親である自分だけだ」

子供の自立心を奪っていることに、気がついていない。

さて、慈悲魔は、

男女の関係のスキマにも忍び寄ってくる、

コレが最高に面倒ナノだ・・・



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