2011.02.15 (第1484話)ダンスの根本的“なぜ?”の解決に迫るCLⅤ~音楽・聴くレベル~
初めての方へ 目次 エクササイズ&プラクティス集
テーマ別インデックス Real Junko Voice目次
読者限定ワークショップ
社交ダンスを始めるということ 第111話へ
ダンスの 根本的“なぜ?”の解決に迫る
快刀乱麻クリニック
音楽・聴くレベル
~ザ・音楽トラブル~
前回のお話、ついて来れたかなぁ?
踊っているときに
チャンと音楽を聴いているかどうか・・・の判断基準
のお話よ。
たとえ、
正しくカウントを取り、
正しくリズムに乗って踊っていても、
ジュンコ流儀の基準でみれば、
「チャンと音楽を聴いて踊っていますね、合格!」
に、ならないケースって実は多いんだ。
(カウントを追うことで)
音楽の表面を感じているだけにとどまったり、
音楽を感じることに必死で、
自分を感じる量が減って締まったら、ダメですよぉ、ってモン。
でも、本人は、気がつかないでしょうね。
聴いているつもりでいる。
しかも、カウントが外れていなかったら、
他者からも注意を受けることもないだろうな。
だから、聴き方が変わらない。
ゆえに、ダンスは、成長しない・・・。
ダンスの成長が芳しくない原因が、
自分と音楽との関係にアリ
だと、気がつき、学習する、
すると、
カラダは変化し、必ずやダンスも成長するよ。
さて、
チャンと音楽を聴いているかどうか・・・の判断基準
は、
音楽を聴く体験により、
自分にどういう変化が起きているかを
感じることができているかどうか・・・
つまり、
音楽を感じることにより、
自らの心身に何らかの変化が
起こっていることを感じ取る
ことができて初めて、
「音楽が聴こえました。合格です」
ってもんなのだ。
当然のことながら、
コレにもさまざまなレベルがアル。
おおざっぱに言えば
大きな変化しか感じ取れない→低いレベル
微弱な変化を感じ取ることができる→高いレベル
ということだ。
モチ、学習を積めば、
誰もが高いレベルに達することは可能なのだが、
高いレベルになるにしたがって、こんな風に思うだろうねぇ。
「カラダって、音楽の影響を、
ものすごく受けているモノなのね」
「呼吸・脈拍・体温・・
ソンナ生体現象にも大きく作用をしているし、
それに“感情”にも影響を与えているようね。
ある音楽を聴くと胸がキュンとなったり、
明るい気持ち・悲しい気持ち、になったり・・・」
「音楽の中のさまざまな動きをカラダがキャッチし、
共鳴し、振動スル・・・
ソレは非常に心地の良い現象だ」
音楽を感じるコトによって生じるソンナコンナなたくさんの変化を、
自己の認識下に表面化させ、意識し、
ときにコントロールを加え、
減少させたり増幅させたり、
ベクトルを変化させたり・・・
そういったあらゆる操作をする
楽しみコソが、
音楽を聴いて踊ることの醍醐味なのだ。
と、ココまで押さえて置いて、
話を戻そう。
音楽鑑賞 第3レベルのなかの音楽の出だし
イントロ部のお話だ。
(第1476話参照)
続く第1485話へ
Real Junko Voice
(目次)
スペシャルバージョン184
~パワースポット・・・五蘊皆空~
般若心教に、
五蘊皆空(ごうんかいくう)とある。
意味は、
「五蘊はみな、実体のないもの。
すべては一定ではなく、変化し、流動的であるものだ」
ということ。
前回のダンスパーティでのたとえ話で見てみよう。
男性に誘われ、
ドキッとし、
「きっと、上手いんだろうな。
ワタシなんて下手だって思われないかしら?」
と想い、
踊ってみて、
「なぁんだ、見た目より初級の踊りね」
と、認識したのは、
アナタ“特有”のものであって、
同じ男性から誘われたすべての女性が、
同じコトを想い、同じ体験をするとは限らない。
ある女性にとっては、
「非常に上手い男性ね」
かもしれないし、
「ワタシのダンスと相性がピッタリ」
かもしれないし、
「私、きっと、下手だって想われてしまったわ」
かもしれない。
つまり、
男性のダンスは、
一緒に踊る女性によって“変化”し、
ソウいう意味で一定ではなく、実体はナイ。
また、アナタにしても、
次の機会に同じ男性と出会って踊ってみると、
「アラ?
以前踊ったときはあまり上手く思わなかったけれど、
少しお上手になっているわ」
などと、認識を新たにスルかもしれないだろうし、
反対に、
「やっぱり、マダマダ初級の踊りね」
と想ってしまうかもしれない。
つまり、
五蘊は、その人の、
今現在の主観的な精神作用からなされるものであって、
ホンモノ・実際・すべて・・・ではない。
では、五蘊魔(ごうんま)とは何か?
というと、
「五蘊はみな、実体なく、
すべては変化し、流動的であるもの」
であり、
「ホンモノ・実際・すべて」ではないのに、
とらわれてしまったり、
見た目や感じたものに、ココロ奪われ、
一喜一憂し、落ち着かなくなったり、
「ワタシより、下手ねぇ」
とヒトをバカにし、見下してしまったり、
「ワタシの方が上手いじゃない」
と傲慢になってしまったり、
反対に、
「どうせ、私なんて・・・」
自己卑下に陥ったり。
こう書いていくと
「魔というのはその人自身の内にあるのだ」
ということ。
そして、
「社交(競技)ダンスの世界は、
悪い憑依現象を生み出す“悪い存在たち”が、
非常にたくさん出入りしている。
“悪い存在たち”が出入りしやすい “条件”が揃っている
世界であるコトが、その理由だ」
が、
「なんとなく分かって来たぞ・・・」
ではないだろうか?
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のお話よ。
たとえ、
正しくカウントを取り、
正しくリズムに乗って踊っていても、
ジュンコ流儀の基準でみれば、
「チャンと音楽を聴いて踊っていますね、合格!」
に、ならないケースって実は多いんだ。
(カウントを追うことで)
音楽の表面を感じているだけにとどまったり、
音楽を感じることに必死で、
自分を感じる量が減って締まったら、ダメですよぉ、ってモン。
でも、本人は、気がつかないでしょうね。
聴いているつもりでいる。
しかも、カウントが外れていなかったら、
他者からも注意を受けることもないだろうな。
だから、聴き方が変わらない。
ゆえに、ダンスは、成長しない・・・。
ダンスの成長が芳しくない原因が、
自分と音楽との関係にアリ
だと、気がつき、学習する、
すると、
カラダは変化し、必ずやダンスも成長するよ。
さて、
チャンと音楽を聴いているかどうか・・・の判断基準
は、
音楽を聴く体験により、
自分にどういう変化が起きているかを
感じることができているかどうか・・・
つまり、
音楽を感じることにより、
自らの心身に何らかの変化が
起こっていることを感じ取る
ことができて初めて、
「音楽が聴こえました。合格です」
ってもんなのだ。
当然のことながら、
コレにもさまざまなレベルがアル。
おおざっぱに言えば
大きな変化しか感じ取れない→低いレベル
微弱な変化を感じ取ることができる→高いレベル
ということだ。
モチ、学習を積めば、
誰もが高いレベルに達することは可能なのだが、
高いレベルになるにしたがって、こんな風に思うだろうねぇ。
「カラダって、音楽の影響を、
ものすごく受けているモノなのね」
「呼吸・脈拍・体温・・
ソンナ生体現象にも大きく作用をしているし、
それに“感情”にも影響を与えているようね。
ある音楽を聴くと胸がキュンとなったり、
明るい気持ち・悲しい気持ち、になったり・・・」
「音楽の中のさまざまな動きをカラダがキャッチし、
共鳴し、振動スル・・・
ソレは非常に心地の良い現象だ」
音楽を感じるコトによって生じるソンナコンナなたくさんの変化を、
自己の認識下に表面化させ、意識し、
ときにコントロールを加え、
減少させたり増幅させたり、
ベクトルを変化させたり・・・
そういったあらゆる操作をする
楽しみコソが、
音楽を聴いて踊ることの醍醐味なのだ。
と、ココまで押さえて置いて、
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~パワースポット・・・五蘊皆空~
般若心教に、
五蘊皆空(ごうんかいくう)とある。
意味は、
「五蘊はみな、実体のないもの。
すべては一定ではなく、変化し、流動的であるものだ」
ということ。
前回のダンスパーティでのたとえ話で見てみよう。
男性に誘われ、
ドキッとし、
「きっと、上手いんだろうな。
ワタシなんて下手だって思われないかしら?」
と想い、
踊ってみて、
「なぁんだ、見た目より初級の踊りね」
と、認識したのは、
アナタ“特有”のものであって、
同じ男性から誘われたすべての女性が、
同じコトを想い、同じ体験をするとは限らない。
ある女性にとっては、
「非常に上手い男性ね」
かもしれないし、
「ワタシのダンスと相性がピッタリ」
かもしれないし、
「私、きっと、下手だって想われてしまったわ」
かもしれない。
つまり、
男性のダンスは、
一緒に踊る女性によって“変化”し、
ソウいう意味で一定ではなく、実体はナイ。
また、アナタにしても、
次の機会に同じ男性と出会って踊ってみると、
「アラ?
以前踊ったときはあまり上手く思わなかったけれど、
少しお上手になっているわ」
などと、認識を新たにスルかもしれないだろうし、
反対に、
「やっぱり、マダマダ初級の踊りね」
と想ってしまうかもしれない。
つまり、
五蘊は、その人の、
今現在の主観的な精神作用からなされるものであって、
ホンモノ・実際・すべて・・・ではない。
では、五蘊魔(ごうんま)とは何か?
というと、
「五蘊はみな、実体なく、
すべては変化し、流動的であるもの」
であり、
「ホンモノ・実際・すべて」ではないのに、
とらわれてしまったり、
見た目や感じたものに、ココロ奪われ、
一喜一憂し、落ち着かなくなったり、
「ワタシより、下手ねぇ」
とヒトをバカにし、見下してしまったり、
「ワタシの方が上手いじゃない」
と傲慢になってしまったり、
反対に、
「どうせ、私なんて・・・」
自己卑下に陥ったり。
こう書いていくと
「魔というのはその人自身の内にあるのだ」
ということ。
そして、
「社交(競技)ダンスの世界は、
悪い憑依現象を生み出す“悪い存在たち”が、
非常にたくさん出入りしている。
“悪い存在たち”が出入りしやすい “条件”が揃っている
世界であるコトが、その理由だ」
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