fc2ブログ
初めての方へ  目次  エクササイズ&プラクティス集  

テーマ別インデックス  Real Junko Voice目次  

読者限定ワークショップ

社交ダンスを始めるということ 第108話へ




ダンスの 根本的“なぜ?”の解決に迫る
快刀乱麻クリニック

音楽を超え、大いなる自我との出会い

~ザ・音楽トラブル~


さて、

音楽(おんらく)体質について。

音楽と溶け合い、
まんま、音楽そのものとなることができるのは、
かなり上級の音楽体質の持ち主。
ところが
まだその上がアルというんだな。
というか、
本物の
“音楽そのもの”とは、
音楽との同一化を指しているのでは、元々ないんだ。

もう一度、言うよ。

目指す最高峰は、

音楽との一体化ではない


ただし、
ソノ最高峰にたどり着くには、
音楽も選ばなければならない。
つまり、

ホンマにGOODな音楽でなければ、

ダメってこと。
(ついでに言っちゃえば、
オーディオ機器も「あまりにもヒドッ!」てな状態だと、
やっぱ難しいかなぁ~)

厳しい言い方をすれば、
ホンマにGOODな音楽と
ホンマにGOODな人間が出会って、
マリアージュ・・・でないと、
最高峰にたどり着くコトは不可能なんだ。

なぜなら、
ホンマにGOODな音楽って、
ダンスミュージックでいうなら・・・
「いやぁ、この音楽、聴いてたら、
ええ音楽やけど、踊ったら難しいわぁ~」

とか、
「上手いヒトやったら、踊りこなせるやろうけど、
ワタシのレベルではまだまだ無理やわぁ~」

てなものに類するもんが多いんだよね。

特に、
“カウントの世界”に没しているヒトにとっては
「なに?この曲!?!? 
難しいなぁ~全然、分かれへんやん!?」

チョイ聞いただけで、
お手上げ状態になっちゃうだろうもの。

なぜか?
ホンマにGOODなダンス音楽って
未完成というわけではないが、

完成品として

きちんと閉じていないから
だ。

というより開けている
ナニに対して開いているか?

リスナー(聴くもの)

ダンサー(踊るもの)


に向けてだ。
でももって、

開いているから可能性が広がる。

まぁいや、
音楽だけがあって、ハイ終わりではなく、

音楽と人間が出会って、

初めてダンスミュージックとして

機能するようになるって

余地を残している
んだ。

人間という最後のパーツを必要としている
未完成のような状態
だから、
音楽体質でナイヒトにとっては
「カウントやリズムが分かりにくい、意地悪な音楽」
となってしまうんだ。

一方
音楽体質・上級者にとっては、
「わぁ、今までであった音楽とは何かが違う!
体験してみよう」

と、この上なく魅惑的な対象となり、
上手く行けば、
めでたく最高峰に上り詰めるコトができるってもん。

では、
音楽体質・上級者と、
ホンマにGOODな音楽との出会いによってのみ
到着できる最高峰とは具体的に言えば、どーいったもんか?
たどり付いたところ=最高峰では、
音楽との一体化ではなく、
大いなる自分との一体化が、待っている・・・
言い換えれば、こうかな

小さな自我が溶け、

大きな自我と出会う感覚


この時、
音楽(ダンスもまたしかり)は、

目的ではなく、

ソコにたどり着くための手段に過ぎなかったことが、

ようやく分かるだろうね、ってお話。
分かるかなぁ?


       続く第1475話へ





Real Junko Voice
(目次)

スペシャルバージョン174

~パワースポット・・・良い憑依は「守られ状態」~ 

さて、
憑依(ひょうい)現象にも2種類アル。
良いものと悪いものだ。

良い現象・・・

ソレは、
安心・安全なものに憑依(ひょうい)されている、ことを意味する。
悪い現象はその反対だ。

安心・安全なものに憑依(ひょうい)されている場合は、
“憑依(ひょうい)”
などというオドロオドロしい言葉を使うより、

“守ってもらっている”

という表現をする方が適切で、
誤解がないかも知れない。

「守ってもらっている?誰に?」
に、ついて簡単に説明しておこう。

例えば・・
車を運転していて、うつらうつら。
キーッ!!ドーン!!
崖から落っこちてしまった。
ところが、
かすり傷程度の軽症で、奇跡的に助かった。

「あぁ、守ってもらったんだ!」

上記は極端な例だが、コレに似たようなこと
つまり、

「大難が小難ですむ」

=大きな災難になるところが、小さな災難ですむこと
「不幸中の幸い」
は、すべて
「あぁ、守ってもらったんだ!」
という域の話だと思っておけば、分かり良いだろう。
しかし、
「守ってもらっている」のは、
実は、非常時だけではなく、常日頃から、ずーっと。
どうも私たち人間は、
たった一人で生きているのではなく、
多くの「守ってくれている」人たちと一緒に“生きて”いるようだ。

では、
守ってくれているのは、誰か?
すでに亡くなっている家族
おじいちゃん
おばあちゃん・・など、ご先祖様関係
個人の人生をあらゆる面からサポートしてくれる“目に見えない存在”
ちまた言葉で言えば、
守護・指導神霊
産土神社のオオカミの“配下のもの”も含まれる。

ココまで読んで・・・
「おかしいな、変だぞ」
と思うヒトが出てくるかもしれない。
そういう安全で安心なモノが守っている状態=憑依状態
だというのなら
「なぜに、アナタはコーンパンを食べ続けるのだ? 」

その辺りを解説することで、
良い憑依(ひょうい)現象
と、
悪い憑依(ひょうい)現象の差異がもっと明確になるだろう。



いつも 応援クリック ありがとうございます。
      ↓ ↓ ↓
   
人気blogランキングへ
とても励みになっています。(ジュンコ)