2010.12.15 (第1422話)ダンスの根本的“なぜ?”の解決に迫るCⅩⅨ~チューニング・スタート力~
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テーマ別インデックス Real Junko Voice目次
読者限定ワークショップ
社交ダンスを始めるということ 第93話へ
ダンスの 根本的“なぜ?”の解決に迫る
快刀乱麻クリニック
チューニング・スタート力
~社交ダンスにおける女子力の定義~
ハーイ、
“真の自立に向けての
~女子力診断基準~”
に戻ってきたよ。
次は音楽に対する自立性だ。
音楽(音楽に対する自立性)
① チューニング・スタート力
② 聴き続ける力(カウント含む)
③ 表現する力
まずは、
①のチューニング・スタート力だ。
チューニングとは音楽に合わせて、
自分のカラダ・ココロ・エネルギー状態ナリを準備することだ。
そして、
自分で音楽をチャーンと聴いて、
自分でスタートする・・・
言わば、コレだけのことなのだが、
できていない女性が非常に多いんよね。
スタートは、かなり難易度が高い。
だもんで、
「コレはリーダーである男性にお任せしないと…」
などと謙虚に構えてしまっている女性もいるようなのだが、
ズバリ、
スタートは女性がキーを握っている!
(動きが後退から始まることがほとんどだからとも言えるが)
できるだけ、意識の上だけでも、
早期の依存状態脱出、
自立BからAへの成長を心がけたい。
さて、
依存レベルの女性の言い分には、こういう類が多い。
「スタート?音楽?
ワタシは知りませんよ。
ソレは、男性の仕事でしょ?」
ワタシは男性をフォローすることで必死ですから」
かくして、
依存レベルの女性は、
男性から発せられる音楽を聞き、
男性のカラダが移動して来て、
初めてスタートを切ることになる。
で、男性の肉体と女性の肉体の表面が、ガチンと当たる。
そうやって、
“押してもらう”コトがスタートだと思っている人もいる。
依存レベルの女性は、
自分のカラダの内部を感じていないため、
(=準備ができていない)
相手のカラダの内部でナニが起こっているのかを、
読み取ることができないのだ。
また、残念なことだが、
「ダンスとは、自ら音楽に乗って表現し、楽しむコトだ」
という概念もない人が多い。
自立B解放レベルの女性になると、
この辺りが“いの一番”に変わってくる。
つまり、
「ダンスとは、自ら音楽に乗って表現し、楽しむコトだ」
ということは知っているのだ。
ただし、
「音楽はフィーリングで聞いてます。
カウント?
それになると、弱くって」
とか、
「音楽に乗って踊ることは楽しいですが
スタートを自分でとなると、
リキんでしまって、上手くいきません」
という人も多い。
コレには、モチ、ソレ用の“練習”が要るってもん。
とくに、
いわゆる
“音楽を外す”人には、それなりの訓練も必要だ。
自分の弱点を克服しつつ、
それでも、
「ダンスとは、自ら音楽に乗って表現し、楽しむコトだ」
を求め続けていくことが肝要。
そうこうしながら
音楽を、
“聞く”から“聴く”に成長するにしたがって、
(聞くと聴くの違いは第15話参照)
自立A集中レベルへの道が開かれてくるだろう。
自立A集中レベルになると、
音楽が鳴る→自分で聴く→チューニング→スタート
という一連の流れに対し、迷いが少なくなってくる。
レベルが上がるに連れ
色々な意味での
“スタートの難しさ・大事さ”
も改めて知ることとなるだろう。
スタート時、
男性に対し、自分がドウあるべきか?は、まんま、
音楽に対し、自分がドウあるべきか?とつながっている。
そのことが分かるにつれ、
学習の幅も広がっていくだろうね。
続く第1423話へ
Real Junko Voice
(目次)
スペシャルバージョン148
~パワースポット・・・分け御霊のお話~
多賀大社
伊弉諾(いざなぎ)神宮
ともにイザナギとイザナミを祭神としている。
また、
ココ2カ所だけではなく、
全国各地に“イザナギとイザナミ”を祀る神社は存在している。
特にソレを不思議と思わないヒトが、ほとんどだろう。
でも(ヒデ君だけではなく)ワタシにとっては、疑問だった。
話は少しそれるが、
幼少の頃、
亡くなった“おじいちゃん”が、ドコにいるのかについて、
ひつこく尋ね、両親を困らせた経験がアル。
「仏壇にいるおじいちゃんと、
お墓にいるおじいちゃんと、
京都(のど仏を収めた寺がある)にいるおじいちゃん、
どれがホンモノなのか?」
納得できる答えは、なかった。
結果、子供のワタシは、こんな考えに至ったものだ。
「全部、ホンモノのおじいちゃんだ。
死んだおじいちゃんは、たくさんに分けることができるんだ。
一番ホンモノは、
ワタシのすぐそばにいるおじいちゃんだ」
本質をついた、なかなかの発想(笑)
実は、神々の世界も一緒のようなものらしい。
その様子は、
“炎”に例えるとイイだろう。
ある炎から、たいまつに炎を移しても、
もとの炎は消えないし、
炎自体には、なんの区別もない。
炎は、もちろん、ドンドン増やすことが可能。
神様も、複数に分けることができる。
その数は無限。
どれがホンモノというものではなく、みなホンモノ。
ありがたみ・おかげ“効力”も一緒だ。
ちなみに、
分裂してできた第2第3の神を、
神道用語で、
「分霊=ぶんれい・わけみたま」という。
分裂前、
つまり大本の神様は「主祭神」
主祭神がアル神社は「本源神社」
イザナギの本源神社は、多賀大社。
お礼参りの順番を、
多賀大社→伊弉諾(いざなぎ)神宮にしたのは、そういう理由からでもある。
と、ここで、ヒデ君質問
「神様が、なんぼでも分裂できるんやったら、
ウチの家にも来てもらうことできるの?」
もちろん!
お札・お守り、としてね。
「あぁ、そういうことか・・・
ほんなら(それなら)お札とかお守りとか、粗末にしたらアカンやん。
神様の“分霊”ってことやろ?」
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チューニング・スタート力
~社交ダンスにおける女子力の定義~
ハーイ、
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~女子力診断基準~”
に戻ってきたよ。
次は音楽に対する自立性だ。
音楽(音楽に対する自立性)
① チューニング・スタート力
② 聴き続ける力(カウント含む)
③ 表現する力
まずは、
①のチューニング・スタート力だ。
チューニングとは音楽に合わせて、
自分のカラダ・ココロ・エネルギー状態ナリを準備することだ。
そして、
自分で音楽をチャーンと聴いて、
自分でスタートする・・・
言わば、コレだけのことなのだが、
できていない女性が非常に多いんよね。
スタートは、かなり難易度が高い。
だもんで、
「コレはリーダーである男性にお任せしないと…」
などと謙虚に構えてしまっている女性もいるようなのだが、
ズバリ、
スタートは女性がキーを握っている!
(動きが後退から始まることがほとんどだからとも言えるが)
できるだけ、意識の上だけでも、
早期の依存状態脱出、
自立BからAへの成長を心がけたい。
さて、
依存レベルの女性の言い分には、こういう類が多い。
「スタート?音楽?
ワタシは知りませんよ。
ソレは、男性の仕事でしょ?」
ワタシは男性をフォローすることで必死ですから」
かくして、
依存レベルの女性は、
男性から発せられる音楽を聞き、
男性のカラダが移動して来て、
初めてスタートを切ることになる。
で、男性の肉体と女性の肉体の表面が、ガチンと当たる。
そうやって、
“押してもらう”コトがスタートだと思っている人もいる。
依存レベルの女性は、
自分のカラダの内部を感じていないため、
(=準備ができていない)
相手のカラダの内部でナニが起こっているのかを、
読み取ることができないのだ。
また、残念なことだが、
「ダンスとは、自ら音楽に乗って表現し、楽しむコトだ」
という概念もない人が多い。
自立B解放レベルの女性になると、
この辺りが“いの一番”に変わってくる。
つまり、
「ダンスとは、自ら音楽に乗って表現し、楽しむコトだ」
ということは知っているのだ。
ただし、
「音楽はフィーリングで聞いてます。
カウント?
それになると、弱くって」
とか、
「音楽に乗って踊ることは楽しいですが
スタートを自分でとなると、
リキんでしまって、上手くいきません」
という人も多い。
コレには、モチ、ソレ用の“練習”が要るってもん。
とくに、
いわゆる
“音楽を外す”人には、それなりの訓練も必要だ。
自分の弱点を克服しつつ、
それでも、
「ダンスとは、自ら音楽に乗って表現し、楽しむコトだ」
を求め続けていくことが肝要。
そうこうしながら
音楽を、
“聞く”から“聴く”に成長するにしたがって、
(聞くと聴くの違いは第15話参照)
自立A集中レベルへの道が開かれてくるだろう。
自立A集中レベルになると、
音楽が鳴る→自分で聴く→チューニング→スタート
という一連の流れに対し、迷いが少なくなってくる。
レベルが上がるに連れ
色々な意味での
“スタートの難しさ・大事さ”
も改めて知ることとなるだろう。
スタート時、
男性に対し、自分がドウあるべきか?は、まんま、
音楽に対し、自分がドウあるべきか?とつながっている。
そのことが分かるにつれ、
学習の幅も広がっていくだろうね。
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多賀大社
伊弉諾(いざなぎ)神宮
ともにイザナギとイザナミを祭神としている。
また、
ココ2カ所だけではなく、
全国各地に“イザナギとイザナミ”を祀る神社は存在している。
特にソレを不思議と思わないヒトが、ほとんどだろう。
でも(ヒデ君だけではなく)ワタシにとっては、疑問だった。
話は少しそれるが、
幼少の頃、
亡くなった“おじいちゃん”が、ドコにいるのかについて、
ひつこく尋ね、両親を困らせた経験がアル。
「仏壇にいるおじいちゃんと、
お墓にいるおじいちゃんと、
京都(のど仏を収めた寺がある)にいるおじいちゃん、
どれがホンモノなのか?」
納得できる答えは、なかった。
結果、子供のワタシは、こんな考えに至ったものだ。
「全部、ホンモノのおじいちゃんだ。
死んだおじいちゃんは、たくさんに分けることができるんだ。
一番ホンモノは、
ワタシのすぐそばにいるおじいちゃんだ」
本質をついた、なかなかの発想(笑)
実は、神々の世界も一緒のようなものらしい。
その様子は、
“炎”に例えるとイイだろう。
ある炎から、たいまつに炎を移しても、
もとの炎は消えないし、
炎自体には、なんの区別もない。
炎は、もちろん、ドンドン増やすことが可能。
神様も、複数に分けることができる。
その数は無限。
どれがホンモノというものではなく、みなホンモノ。
ありがたみ・おかげ“効力”も一緒だ。
ちなみに、
分裂してできた第2第3の神を、
神道用語で、
「分霊=ぶんれい・わけみたま」という。
分裂前、
つまり大本の神様は「主祭神」
主祭神がアル神社は「本源神社」
イザナギの本源神社は、多賀大社。
お礼参りの順番を、
多賀大社→伊弉諾(いざなぎ)神宮にしたのは、そういう理由からでもある。
と、ここで、ヒデ君質問
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ウチの家にも来てもらうことできるの?」
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