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社交ダンスを始めるということ 第78話へ




特別シリーズ 
社交ダンスが教えてくれたこと 人間美学そして哲学vol.8 

見た目にとらわれやすいダンス界

一視同仁のココロへの旅(2)


さて・・・

“一視同仁”(いっしどうじん)

前回、第1369話にて紹介したこの四字熟語、
みなさん、知ってました?
「いやぁ、聞いたこともないよ」
ってダンサー諸君は、
コレを機会にドーゾお見知りおきを。

社交ダンスをする上で、

基本としたい美学・哲学
だろうモノね。

ってことで、
熟語の意味をもう一度、言っておこう。
「すべての人を差別することなく、平等に愛し、慈しむ。
分けへだてなく、同じ様に人を遇する」


こういう精神が根っこにある、
または、
こういう精神の人間になりたいと、
意識的or無意識的努力を重ねている
“紳士・淑女”がダンスに携わると
きっとGOODなダンサーになるんだろうなぁ、
そして、社交ダンスをすることで、

その“精神”に磨きがかかり、

さらに素晴らしい人格者になっていく・・・
なぁんて想像してしまう訳ね。

ところが現実は、
元々
「ワタシ、ヒトサマに対し、
分け隔ての意識はない方だと思いますわ」
てな、平和志向の方であっても、
ダンスの世界に足を突っ込んじゃったら、
一視同仁的
「みんな、分け隔てなく、平等に!」精神ではなく,
反・一視同仁的精神が、ムクムク芽生えちゃって、
って、よくある話なんだ。

とある“淑女”談
「ワタシ、ダンスをやり始めてから、
どんどん、イヤな人間になっていくみたいで、怖いんです。
ふと気がつくと、ヒトに対し、

見た目でいろいろと判断をくだし、

差別的気持ちを持ちやすくなっている、
自分がいるんですもの」


また、ある“紳士”は、
「背がスラーッと高くって、
手足が長い・・・外人体型の若いコと一緒に、
競技するなんて酷だなと思うよ。

どうしても、見た目勝負になっちゃうだろ?

『平等に見る』審査員なんているのかな?」


そーなんよ。
ダンスの世界で、
一視同仁(いっしどうじん)的精神が育たないのは、
「見た目にとらわれちゃう世界だから」
かもしれないと思うのよ。
そう、
見た目

いわゆる視覚情報

コレが
ダンサー諸君の一視同仁(いっしどうじん)精神を阻む

元凶かもしれないってもん。

ただ、
この場合の見た目・視覚情報っていうのは、

「ヒトが踊っているときの、

姿・カタチ・動きなど全般」
のことを指すんだな。

でもね、
実はヒトって、
踊り以前のフツーの段階から、
非常に見た目にとらわれやすい存在って知ってる?
ある情報によれば、
人間の知覚の80%強が、
視覚から入ってくる情報だっていうじゃない!?
(続いては、聴覚情報、嗅覚、味覚、触覚の順)
して、
この場合の視覚情報ってのは、

容姿・立ち居振る舞い・表情・・全般のこと。

その上に、
上記のような
ダンス的視覚情報が乗っかってくるわけだから、
そりゃぁ
ややこしいことになるわね。

「社交ダンスの中で、

一視同仁(いっしどうじん)的精神を育てましょ、

なんて、難しすぎる、苦しすぎる」
コレ、仕方がないことなのかもしれません。

と、こんな声が・・・
「見た目判断、いいじゃないですか!?
ダンスのみならず、
ビジュアルって、すごく大事だと思います。
『人は見た目が9割』
って、本がベストセラーになったぐらい、
見た目って結構、色々、当たっていることだって多いでしょ?
その人のココロのあり方、生き様や、
内面が出てるって言うじゃナイですか!?
コレもまた、真理だと思うんですけど」


確かにそうだろう。
コレは、
ダンスにおいても言えることだ。

内面は表面化する・・・

が、しかし、
「ダンスにおいては、

見た目判断は危険につき・・・」

を、あえて提唱したいんだな。

なぜなら・・・


       続く第1371話へ





※Real Junko Voiceはお休みです。



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