初めての方へ 目次 エクササイズ&プラクティス集
テーマ別インデックス Real Junko Voice目次
読者限定ワークショップ
社交ダンスを始めるということ 更新しました
ダンスの 根本的“なぜ?”の解決に迫る
快刀乱麻クリニック
肩の動きの欲求を決して止めてはいけない
~肩に関する謎~
最初に前回の内容をまとめておこう。
快刀乱麻クリニック 院長 ジュンコ先生
ダンス時における「肩の動き」について
ラテン・モダン問わず
肩が動きたがっているなら、動かして良し。
無意識的な変な動き・うるさい動き・ムダな動き・・なんでも良し。
特にビギナー時代、
肩の動きの欲求を、決して止めてはいけない。
理由
肩の無意識的な動きには、意味がアルから。
症状を出していかないと、治らない。
放っておくと、収まる時がナチュラルにやってくる。
そのプロセスを見守ることが大事。
終了の時期を早めるためにも、
中途半端な動き(注意して半分ヤメさせるなど)
は、させないこと。
徹底して、動かせる部位は動かすこと。
てな内容をダンス学会(そんなもんアル!?)で発表したら、
メチャンコ質問があるだろうねぇ。
例えば、
Q
「最初は“肩が動きたいように動かす”
コレは、カラダが自動的に矯正しようとスル
動きなのですか?」
ジュンコ先生
「ハイ。
そうとも言えます。
普段、動いていないところが動き始めるときは、
ビジュアル的には“おかしな”動きになって当たり前なのです。
非常に個性的で、
『なんで、あんな動きになるんだろう?』
な動きになっても良いのです。
今まで固まっていた部分の
癒着がはがれる時ですから。
癒着の度合い、
方向などによって、動きはさまざま。
泰然自若なる態度で見守る必要がアリます」
Q
「動きたいだけ動いたら、収まると言われても・・・
動いている間は、
何もせず完全に放っておくのですか?」
ジュンコ先生
「肩の動きを止めないという意味では、
放っておくと言い方になりますが、
観点を変えると、そうではありません。
肩が、
もっとスムーズに動けるよう、
エクササイズで促進する
と同時に、他の部位、
つまり、
カラダ全体を徹底的に
ほぐすことも同時進行で行なう
コレが大事です」
Q
「肩の無意識的な動きには意味がアルということですが、
どんな意味がアルのですか?」
ジュンコ先生
「肩の動きだけではなく、カラダすべての筋肉反応は、
精神的なもの、
もっと言えば、潜在的な部分と合致しています。
『動きが変なので、止めなさい』 では、
(変な動きになる)本当の原因にたどり着くことも、
根本治療にもなりません。
なぜかは、分からなくても、
人のカラダの動きには、
すべて深い意味と歴史があるとだけでも、
理解しておくべきです。
表面的、
カタチだけ直すのはくれぐれも厳禁」
Q
「最終的には、やはり、
肩の動きは制限をつける、ということですか?」
ジュンコ先生
「もちろん、つけません。
さらに細分化して動くよう、指示します。
というより、
カラダがさらに動くことを欲求してくるでしょう。
しかしその頃には肩だけではなく、
カラダの至る所に変化が見られるはずです。
肩を動かすことを、ヤメないで良かった・・・
そのような実感もあるはずです」
続く第1270話へ
Real Junko Voice
(目次)
スペシャルバージョン56
~無意識の世界にアル美的な動き~
とはいうものの、
“ナチュラルな美しい動き”は、
ワタシにとって不可思議なものでもあったのだ。
「どうやったら、あんな動きになるんだ?」
「きっと、凄まじい練習をしているのだろう」
と思った時期もアル。
それなら、望むところだ。
どんな練習であれ、あの動きが手に入るなら、
「ヤレルし、ヤリタイ」
と思った。
学連時代、過酷な練習はすでに体験済みだから、大丈夫・・・
ところが、実際にヤッテみて、わかってきたのだ、
目指す
“ナチュラルな美しい動き”は、
単なるがんばりでは、手に入らない
というより、
“我の頑張り”を持ち込んでは、
余計に空回りする!?
何しろ、
“ナチュラルな美しい動き”は、文字通りナチュラルなのだから。
“ナチュラルな美しい動き”は、
「コレをやるぞ、アレをやるぞ」といった、
意志が見え隠れする動きでは、決してない。
コレがミソだ。
言うなれば、
無意識の世界がその動きの大部分を占めている、
ソンナ感じに見て取れる。
だからこそ、ナチュラルで美しいのだ。
ならば、あの動きは生まれついた才能?
小さい頃からの反復学習によるもの?
と、思った時期も当然、アル。
それなら、到底無理。
どう転んでも、できはしない。
では、あきらめるしかないのか?
と、ワタシには、ひらめきがあった。
「ナチュラルとは自然、
自然は、大自然の自然と同じこと。
人間だって、自然界の生命体だ。
ならば、
自然を追求すれば、
ワタシにだって、道は開けるのではないか!?」
そして、こんな考えに及んだのだ。
「世には、こう呼ばれる人だっているんだもの。
達人・・・」
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肩の動きの欲求を決して止めてはいけない
~肩に関する謎~
最初に前回の内容をまとめておこう。
快刀乱麻クリニック 院長 ジュンコ先生
ダンス時における「肩の動き」について
ラテン・モダン問わず
肩が動きたがっているなら、動かして良し。
無意識的な変な動き・うるさい動き・ムダな動き・・なんでも良し。
特にビギナー時代、
肩の動きの欲求を、決して止めてはいけない。
理由
肩の無意識的な動きには、意味がアルから。
症状を出していかないと、治らない。
放っておくと、収まる時がナチュラルにやってくる。
そのプロセスを見守ることが大事。
終了の時期を早めるためにも、
中途半端な動き(注意して半分ヤメさせるなど)
は、させないこと。
徹底して、動かせる部位は動かすこと。
てな内容をダンス学会(そんなもんアル!?)で発表したら、
メチャンコ質問があるだろうねぇ。
例えば、
Q
「最初は“肩が動きたいように動かす”
コレは、カラダが自動的に矯正しようとスル
動きなのですか?」
ジュンコ先生
「ハイ。
そうとも言えます。
普段、動いていないところが動き始めるときは、
ビジュアル的には“おかしな”動きになって当たり前なのです。
非常に個性的で、
『なんで、あんな動きになるんだろう?』
な動きになっても良いのです。
今まで固まっていた部分の
癒着がはがれる時ですから。
癒着の度合い、
方向などによって、動きはさまざま。
泰然自若なる態度で見守る必要がアリます」
Q
「動きたいだけ動いたら、収まると言われても・・・
動いている間は、
何もせず完全に放っておくのですか?」
ジュンコ先生
「肩の動きを止めないという意味では、
放っておくと言い方になりますが、
観点を変えると、そうではありません。
肩が、
もっとスムーズに動けるよう、
エクササイズで促進する
と同時に、他の部位、
つまり、
カラダ全体を徹底的に
ほぐすことも同時進行で行なう
コレが大事です」
Q
「肩の無意識的な動きには意味がアルということですが、
どんな意味がアルのですか?」
ジュンコ先生
「肩の動きだけではなく、カラダすべての筋肉反応は、
精神的なもの、
もっと言えば、潜在的な部分と合致しています。
『動きが変なので、止めなさい』 では、
(変な動きになる)本当の原因にたどり着くことも、
根本治療にもなりません。
なぜかは、分からなくても、
人のカラダの動きには、
すべて深い意味と歴史があるとだけでも、
理解しておくべきです。
表面的、
カタチだけ直すのはくれぐれも厳禁」
Q
「最終的には、やはり、
肩の動きは制限をつける、ということですか?」
ジュンコ先生
「もちろん、つけません。
さらに細分化して動くよう、指示します。
というより、
カラダがさらに動くことを欲求してくるでしょう。
しかしその頃には肩だけではなく、
カラダの至る所に変化が見られるはずです。
肩を動かすことを、ヤメないで良かった・・・
そのような実感もあるはずです」
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~無意識の世界にアル美的な動き~
とはいうものの、
“ナチュラルな美しい動き”は、
ワタシにとって不可思議なものでもあったのだ。
「どうやったら、あんな動きになるんだ?」
「きっと、凄まじい練習をしているのだろう」
と思った時期もアル。
それなら、望むところだ。
どんな練習であれ、あの動きが手に入るなら、
「ヤレルし、ヤリタイ」
と思った。
学連時代、過酷な練習はすでに体験済みだから、大丈夫・・・
ところが、実際にヤッテみて、わかってきたのだ、
目指す
“ナチュラルな美しい動き”は、
単なるがんばりでは、手に入らない
というより、
“我の頑張り”を持ち込んでは、
余計に空回りする!?
何しろ、
“ナチュラルな美しい動き”は、文字通りナチュラルなのだから。
“ナチュラルな美しい動き”は、
「コレをやるぞ、アレをやるぞ」といった、
意志が見え隠れする動きでは、決してない。
コレがミソだ。
言うなれば、
無意識の世界がその動きの大部分を占めている、
ソンナ感じに見て取れる。
だからこそ、ナチュラルで美しいのだ。
ならば、あの動きは生まれついた才能?
小さい頃からの反復学習によるもの?
と、思った時期も当然、アル。
それなら、到底無理。
どう転んでも、できはしない。
では、あきらめるしかないのか?
と、ワタシには、ひらめきがあった。
「ナチュラルとは自然、
自然は、大自然の自然と同じこと。
人間だって、自然界の生命体だ。
ならば、
自然を追求すれば、
ワタシにだって、道は開けるのではないか!?」
そして、こんな考えに及んだのだ。
「世には、こう呼ばれる人だっているんだもの。
達人・・・」
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