初めての方へ 目次 エクササイズ&プラクティス集
テーマ別インデックス Real Junko Voice目次
読者限定ワークショップ
社交ダンスを始めるということ 更新しました
第1170~1174話の対談
「コミュニケーションから生まれる 正しいトランス状態」
で、
自意識の高い人や、性格が生真面目で、
「トランス状態なんて、とても、無理」
って方は、
“自分のカラダの中の各パーツとのつながりを強化しよう”
という話になったんだね。
なぜなら、
カラダの各パーツ同士のコミュニケーションが増えると、
トランス状態に無理なく入って行けるから。
で、
パーツのつながり強化の前に、
カラダの各パーツ(の数)を増やす、
アプローチをしようってことになったわけ。
話を進める前に、
ここで改めて、問い直そう。
“カラダの各パーツ”って何?
人間のカラダは、実に色々なパーツに分かれているし、
また、分けることができるよね。
大きなところから、見てみると
頭部
胴体
両手
両足
の、6つのパーツに分けることができる。
小さいところでは・・・
カラダの中、
深部に目を向けるとそこには骨格がアル。
各パーツってのは、
言うなれば、
その骨の一つひとつをも指すんだ。
と、ココで質問だ。
「“パーツを増やす”ってどういうことよ?
だって、骨の数を例にとっても、
だいたい決まってんじゃないの?」
そうね。
よーく考えてみれば、
“増やす”なんて変な言い方よね。
だって、
誰だって(大きなところでは)
6つのパーツに分かれているんだもの。
コレが、「2つや3つしかない!」って人がいるのなら、
“増やす”ことが必要だけど、
もともと、カラダは6つに分かれて存在している、なら
“増やす”必要なんてないじゃん!?って話よね?
ジュンコ先生は、言う。
「パーツを増やすというのは、
意識上のことであり、
また、
感覚のことでもあるの。
使い分ける・・・といえば良いかな。
例えば、5つのパーツに、
人体構造上は分かれているといっても、
分かれていることを認識せず、
分けて使っていなかったら、
ソレは、分かれていないのと同じな訳よ・・・
言っていること、理解できるかな?」
「例えば、
『手を上げて!』
って、誰かに言われたら、アナタはどうするかしら?
両手ともあげる?
片手だけ?
片手なら、右手?左手?
望むべくは、
すべてのパターンが、可能なことよね。
つまり、
両手を上げる
右手だけを上げる
左手だけを上げる
この3パターンから、選び出して、
どれも可能ならOKなの。
それが、
『必ず、両手をあげる』・・・
両手を分けて使えることを知らない
『片手だけを上げようとしても、
どうしてももう一方も一緒に上がってしまう』
・ ・・構造上は分けて使えるようになっているのに、
実際、使用することができない。
ソンナコンナだと、問題なのよ。
だから、この場合だと、
手とは、右手と左手という
2つのパーツでアルと認識し、
実際に使用するときの感覚も、
右手と左手という2つのパーツである
という実感を持つことが大事なの」
ココまで、だいたいご理解いただいたなら、
話を先に進めよう。
さて、パーツを増やす・・・どの部分のパーツを増やすか?
ソレは骨
骨というパーツ同士の“つなぎ目”である
関節に着目してみよう。
続く第1176話へ
Real Junko Voice
(目次)
「もう一つの学連物語」
vol.269 ~無神経に組んでいた!!~
G夫人から習った“座り立ち姿勢”
ソレは、ワタシに、
「相手のカラダと直接的に組む前に、果たすべき“段階”がアル」
ことを教えてくれたのです。
その段階とは?
「相手のカラダと組めるように、自分のカラダを変化させておくこと」
では、
あの“座り立ち姿勢”を習った時、
どんな風に自分のカラダを扱ったのか、整理してみましょう。
楽にイスに座って、頭を高くし、
ヒザをゆるめ、股関節の角度を整えた。
腰は反り返らず
胸も張り過ぎず・・
様々なチェックをしてから、ようやく男性の前に立った。
男性を前にしても、
相手に、即、合わせようとはせず、
座り姿勢を保ちながら至近距離で向かい合い、
落ち着いてから、
ようやく、相手のカラダと組んだ・・・
多くの行程を踏んでいます。
そのすべての行程が、
正解か、不正解か、
要るものなのか、要らないものなのか、
などということが、ここで論点ではない、
ということはお分かりでしょう。
ココでの論点は、
いかに、ワタシが無神経に
相手のカラダに組みに行っていたかということなのです。
今までのワタシは、
ナニの準備もせず、
ナニも意識せず、
なんと無防備に組んでいたことか、を知ったのです。
チャンピオンダンサーは、
多くの意識・準備をもって、
相手と組むという“瞬間”に臨んでいる。
そして、
その意識・準備は日頃の練習で消化しているものであって、
本番は、
さも、何もせず、楽に、立ち、
ごく自然に組んでいるかのように見える・・・
こう考えるとG夫人が言った
「ダンスはとっても、イージー(簡単)です」
も、非常に含蓄のアル言葉だと思われます。
いつも 応援クリック ありがとうございます。
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「コミュニケーションから生まれる 正しいトランス状態」
で、
自意識の高い人や、性格が生真面目で、
「トランス状態なんて、とても、無理」
って方は、
“自分のカラダの中の各パーツとのつながりを強化しよう”
という話になったんだね。
なぜなら、
カラダの各パーツ同士のコミュニケーションが増えると、
トランス状態に無理なく入って行けるから。
で、
パーツのつながり強化の前に、
カラダの各パーツ(の数)を増やす、
アプローチをしようってことになったわけ。
話を進める前に、
ここで改めて、問い直そう。
“カラダの各パーツ”って何?
人間のカラダは、実に色々なパーツに分かれているし、
また、分けることができるよね。
大きなところから、見てみると
頭部
胴体
両手
両足
の、6つのパーツに分けることができる。
小さいところでは・・・
カラダの中、
深部に目を向けるとそこには骨格がアル。
各パーツってのは、
言うなれば、
その骨の一つひとつをも指すんだ。
と、ココで質問だ。
「“パーツを増やす”ってどういうことよ?
だって、骨の数を例にとっても、
だいたい決まってんじゃないの?」
そうね。
よーく考えてみれば、
“増やす”なんて変な言い方よね。
だって、
誰だって(大きなところでは)
6つのパーツに分かれているんだもの。
コレが、「2つや3つしかない!」って人がいるのなら、
“増やす”ことが必要だけど、
もともと、カラダは6つに分かれて存在している、なら
“増やす”必要なんてないじゃん!?って話よね?
ジュンコ先生は、言う。
「パーツを増やすというのは、
意識上のことであり、
また、
感覚のことでもあるの。
使い分ける・・・といえば良いかな。
例えば、5つのパーツに、
人体構造上は分かれているといっても、
分かれていることを認識せず、
分けて使っていなかったら、
ソレは、分かれていないのと同じな訳よ・・・
言っていること、理解できるかな?」
「例えば、
『手を上げて!』
って、誰かに言われたら、アナタはどうするかしら?
両手ともあげる?
片手だけ?
片手なら、右手?左手?
望むべくは、
すべてのパターンが、可能なことよね。
つまり、
両手を上げる
右手だけを上げる
左手だけを上げる
この3パターンから、選び出して、
どれも可能ならOKなの。
それが、
『必ず、両手をあげる』・・・
両手を分けて使えることを知らない
『片手だけを上げようとしても、
どうしてももう一方も一緒に上がってしまう』
・ ・・構造上は分けて使えるようになっているのに、
実際、使用することができない。
ソンナコンナだと、問題なのよ。
だから、この場合だと、
手とは、右手と左手という
2つのパーツでアルと認識し、
実際に使用するときの感覚も、
右手と左手という2つのパーツである
という実感を持つことが大事なの」
ココまで、だいたいご理解いただいたなら、
話を先に進めよう。
さて、パーツを増やす・・・どの部分のパーツを増やすか?
ソレは骨
骨というパーツ同士の“つなぎ目”である
関節に着目してみよう。
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vol.269 ~無神経に組んでいた!!~
G夫人から習った“座り立ち姿勢”
ソレは、ワタシに、
「相手のカラダと直接的に組む前に、果たすべき“段階”がアル」
ことを教えてくれたのです。
その段階とは?
「相手のカラダと組めるように、自分のカラダを変化させておくこと」
では、
あの“座り立ち姿勢”を習った時、
どんな風に自分のカラダを扱ったのか、整理してみましょう。
楽にイスに座って、頭を高くし、
ヒザをゆるめ、股関節の角度を整えた。
腰は反り返らず
胸も張り過ぎず・・
様々なチェックをしてから、ようやく男性の前に立った。
男性を前にしても、
相手に、即、合わせようとはせず、
座り姿勢を保ちながら至近距離で向かい合い、
落ち着いてから、
ようやく、相手のカラダと組んだ・・・
多くの行程を踏んでいます。
そのすべての行程が、
正解か、不正解か、
要るものなのか、要らないものなのか、
などということが、ここで論点ではない、
ということはお分かりでしょう。
ココでの論点は、
いかに、ワタシが無神経に
相手のカラダに組みに行っていたかということなのです。
今までのワタシは、
ナニの準備もせず、
ナニも意識せず、
なんと無防備に組んでいたことか、を知ったのです。
チャンピオンダンサーは、
多くの意識・準備をもって、
相手と組むという“瞬間”に臨んでいる。
そして、
その意識・準備は日頃の練習で消化しているものであって、
本番は、
さも、何もせず、楽に、立ち、
ごく自然に組んでいるかのように見える・・・
こう考えるとG夫人が言った
「ダンスはとっても、イージー(簡単)です」
も、非常に含蓄のアル言葉だと思われます。
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