初めての方へ 目次 エクササイズ&プラクティス集
テーマ別インデックス Real Junko Voice目次
読者限定ワークショップ
さて、シリーズ、
ホールドのお話に戻ってきたよ。
「ジュンコ先生のブログ内グループレッスンのご案内」
レッスンがスタートしてすぐに森田さんの手が上がった。
「質問です。
この間の日曜日、
知人が主催しているパーティに参加したんです。
家内も一緒でした」
と、カナちゃんが口をはさんだ。
「あっ、ひょっとして、
奥さん、パーティ・デビュー?
森田さんが教えているって言ってましたもんね」
森田さんはうなずきながら
「初心者を連れて行くと、面白いですよ。
トンデモナイコトを言い出しますから。
僕らと見ているところが違うようで・・」
と言ってから、本題に話を戻し、
「知人から、
結構上手い人が多いパーティだと聞かされていたんで、
楽しみ半分、怖さ半分でした。
僕もまだ“パーティ・初心者”ですから(笑)
そこでアル女性と踊ることになったのですが、
もう、全然踊れなくて、ガッカリしたんです」
「ソレって、スタンダード?」
カナちゃんだ。
「ソウです、ワルツです。
ホールドをした瞬間から、
『もう、アカンワ。動かれへん』という感じでした。
骨盤を押し付けてくるっていうか、
コンタクトがきついんです」
すると、坂田さんが笑いながら
「あぁ、分かります。
僕も経験があります。
太ももでブロックされたような感じ
で、動きにくくって」
森田さん
「あぁ、そんな感じです。
見ていた家内から
『すごく踊りにくそうにしていた』
と言われました」
「女性については、奥さん、
何かコメントあったんですかぁ?」
とカナちゃん。
「『見ているだけだと、キレイだし、
すごく踊れそうなのにね』と。
確かに、ソウなんです。
アァ、そういえば、ソノ女性、
最近まで競技選手だったらしいです」
「ソノお相手の方とそうやって組んでいたんでしょうな。
みぞおちからヒザ辺りまで、合わせて組む感じですわ。
ロング・コンタクトですな」
平田さんが言うと、
自らも競技選手であるハナコさん
「ワタシも今のリーダーとはそうやって組んでいます。
みぞおちからヒザまで
ぴったりフィットするように」
実は、ハナコさん、
前リーダーとはカップル解消。
つい最近、リーダーが見つかり、
練習を始めたという話だが。
森田さんが不思議そうにハナコさんに聞いた。
「そのロング・コンタクトで、
踊りにくくはないものですか?
腰や脚が邪魔になったりとか・・・」
「ソウならないように、
コンタクトするもんだと思っています。
ぴったりフィットしていると、安定するし、
お互い感じやすいはずだと、
リーダーに教わりました。
ワタシはまだ、残念ながら、
その感覚はありませんが・・」
ジュンコ先生は黙って聞いていたが。
先生自身も、
ロング・コンタクトには苦い経験があったようで・・・
続く第1005話へ
Real Junko Voice
(目次)
「もう一つの学連物語」
vol.159 ~社交ダンスは、ベーシックな愛の体験のチャンス ~
第991話からの続き
両親の踊る姿を見て、
ワタシの中に発見したもの、それは・・・
「なぜ、ワタシは“社交ダンス”を選んだのか?」
の問いに対する答えのようなものでした。
なぜ、社交ダンスを選んだのか?
簡単に言えば、
「社交ダンスでしか体験できない感覚・世界」があったから、でしょう。
決め手は、なんと言っても、
社交ダンスとは
「男女が仲睦まじく在り、
力を合わせて “愛の表現”を成して行くモノ」
であると思ったことです。
事実、父と母のダンスには、非常にパワフルな“愛”を感じました。
それこそがワタシの涙を誘った最大の要因でしょう。
長年連れ添った夫婦ならではの
絆(きずな)が生み出すスペシャルなエネルギー。
誰もが真似できない、
今のこの“父と母”にしかできない二人だけの表現に、
ワタシは感動したのです。
男性、女性が“単体”としていくら優れていても、
一人ではどうしても成し遂げられないことがあります。
例えば子供を作ること、も、そのひとつ。
男女の協力から生み出される
計り知れないパワーの結果の表れでしょう。
社交ダンスは、
“子供”という生命体を生み出すほどに、
神聖かつ神秘的な男女のエネルギーの交換を、
比較的容易に体現できる世界。
しかも、ソコに宿る感情は、官能的な愛というモノではなく、
助け合いとか思いやりとか・・
人として本質的に持っている“ベーシックな愛”
つまりは、
「社交ダンスは、ベーシックな愛を体験する機会」
とも言えるのかもしれません。
ただ、何のつながりもないモノ同士が、
ダンスを通し、助け合いとか思いやりとか誠実とかの、
ベーシックな愛を掘り起こしつつ、
一緒に踊り通すことは非常に難しい作業でもあると思われます。
だからこそ“勉強”なのでしょう。
もう一度言いなおせば、
「社交ダンスとは、ベーシックな愛の体験を勉強するアイテム」
ワタシが社交ダンスを選んだ理由は、
コチラの方にもありそうです。
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とても励みになっています。(ジュンコ)
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家内も一緒でした」
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「あっ、ひょっとして、
奥さん、パーティ・デビュー?
森田さんが教えているって言ってましたもんね」
森田さんはうなずきながら
「初心者を連れて行くと、面白いですよ。
トンデモナイコトを言い出しますから。
僕らと見ているところが違うようで・・」
と言ってから、本題に話を戻し、
「知人から、
結構上手い人が多いパーティだと聞かされていたんで、
楽しみ半分、怖さ半分でした。
僕もまだ“パーティ・初心者”ですから(笑)
そこでアル女性と踊ることになったのですが、
もう、全然踊れなくて、ガッカリしたんです」
「ソレって、スタンダード?」
カナちゃんだ。
「ソウです、ワルツです。
ホールドをした瞬間から、
『もう、アカンワ。動かれへん』という感じでした。
骨盤を押し付けてくるっていうか、
コンタクトがきついんです」
すると、坂田さんが笑いながら
「あぁ、分かります。
僕も経験があります。
太ももでブロックされたような感じ
で、動きにくくって」
森田さん
「あぁ、そんな感じです。
見ていた家内から
『すごく踊りにくそうにしていた』
と言われました」
「女性については、奥さん、
何かコメントあったんですかぁ?」
とカナちゃん。
「『見ているだけだと、キレイだし、
すごく踊れそうなのにね』と。
確かに、ソウなんです。
アァ、そういえば、ソノ女性、
最近まで競技選手だったらしいです」
「ソノお相手の方とそうやって組んでいたんでしょうな。
みぞおちからヒザ辺りまで、合わせて組む感じですわ。
ロング・コンタクトですな」
平田さんが言うと、
自らも競技選手であるハナコさん
「ワタシも今のリーダーとはそうやって組んでいます。
みぞおちからヒザまで
ぴったりフィットするように」
実は、ハナコさん、
前リーダーとはカップル解消。
つい最近、リーダーが見つかり、
練習を始めたという話だが。
森田さんが不思議そうにハナコさんに聞いた。
「そのロング・コンタクトで、
踊りにくくはないものですか?
腰や脚が邪魔になったりとか・・・」
「ソウならないように、
コンタクトするもんだと思っています。
ぴったりフィットしていると、安定するし、
お互い感じやすいはずだと、
リーダーに教わりました。
ワタシはまだ、残念ながら、
その感覚はありませんが・・」
ジュンコ先生は黙って聞いていたが。
先生自身も、
ロング・コンタクトには苦い経験があったようで・・・
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「もう一つの学連物語」
vol.159 ~社交ダンスは、ベーシックな愛の体験のチャンス ~
第991話からの続き
両親の踊る姿を見て、
ワタシの中に発見したもの、それは・・・
「なぜ、ワタシは“社交ダンス”を選んだのか?」
の問いに対する答えのようなものでした。
なぜ、社交ダンスを選んだのか?
簡単に言えば、
「社交ダンスでしか体験できない感覚・世界」があったから、でしょう。
決め手は、なんと言っても、
社交ダンスとは
「男女が仲睦まじく在り、
力を合わせて “愛の表現”を成して行くモノ」
であると思ったことです。
事実、父と母のダンスには、非常にパワフルな“愛”を感じました。
それこそがワタシの涙を誘った最大の要因でしょう。
長年連れ添った夫婦ならではの
絆(きずな)が生み出すスペシャルなエネルギー。
誰もが真似できない、
今のこの“父と母”にしかできない二人だけの表現に、
ワタシは感動したのです。
男性、女性が“単体”としていくら優れていても、
一人ではどうしても成し遂げられないことがあります。
例えば子供を作ること、も、そのひとつ。
男女の協力から生み出される
計り知れないパワーの結果の表れでしょう。
社交ダンスは、
“子供”という生命体を生み出すほどに、
神聖かつ神秘的な男女のエネルギーの交換を、
比較的容易に体現できる世界。
しかも、ソコに宿る感情は、官能的な愛というモノではなく、
助け合いとか思いやりとか・・
人として本質的に持っている“ベーシックな愛”
つまりは、
「社交ダンスは、ベーシックな愛を体験する機会」
とも言えるのかもしれません。
ただ、何のつながりもないモノ同士が、
ダンスを通し、助け合いとか思いやりとか誠実とかの、
ベーシックな愛を掘り起こしつつ、
一緒に踊り通すことは非常に難しい作業でもあると思われます。
だからこそ“勉強”なのでしょう。
もう一度言いなおせば、
「社交ダンスとは、ベーシックな愛の体験を勉強するアイテム」
ワタシが社交ダンスを選んだ理由は、
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