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社交ダンス的・プロトコールのススメvol.3 

ホールドは危険行為!?

~社交ダンサーのための“距離感”の教養 ⑦~


ホールド(組み方)は、

カップルダンスならではの超重要テクニック。
絶対に外せないテクニックであることに間違いはない。
ホールドを知らなかったら、
社交ダンスは成立しないモンで、
ホールドを教えない先生は、いない。 
モチ、このブログでも色々取り上げているし
(例えば、第68話参照)
ワタシも生徒サンに色んな角度から教えては、いる。 
でも、本音は、
ダンスのテクニックとしての“ホールド”以前に、

人と人が“組む”という

意味においての“ホールド”の重要性に

もっと目覚めない限り、

ダンスのテクニックとしてのホールドの、

真の完成はありえない


と思っている。
それどころか、社交ダンスの“ホールド”というテクニックが、
逆に、

人と人のフツーのつながりを

妨げるものと化し、
 
“ヤバイもん”になっちゃうんじゃないか


って懸念している、がホントウのところだ。 

どう“やばいもん”になっちゃうかという実例が、
875話876話
の中に描かれているんだけれど、 
コレは決して誇張して書いたものではない。
ホンマにあった、つまり、実体験から書いたものだ。
大事なことは、コレを読んで、
「変な人ってイルのよねぇ。
でも、こんなにヒドイ人は、
まぁ、ゴクゴク一部だけでしょう」

とか、
「リードする側の、男性にアルパターンね。
女性はソコまで変な人は少ないわ」

で、済ましちゃダメよ、ってこと。
男性諸君も女性諸君も
「決して、他人事ではナイぞ!」
と、思ったほうが良いだろうね。
つまり
875話876話の中の両氏は、
特別、変な人ではない
と思ったほうが良いだろうってこと。
なぜなら、ある意味、
正しいテクニックを忠実にやっている人たち
とも言えるからだ。

例えば、
「女性の背中に深く回す、タンゴのホールド」
や、
みぞおち付近から腿(もも)までの、ロング・コンタクト」
や、
「きちっとしたカタチのキレイなホールド」
や、
「アイ・コンタクト」
これらは確かに
“相手と組むためのテクニック”であることに違いはない。
で、
本人はちゃんと正しく使っているつもり!?
ゆえに、
自分は相手にひどいことをしている自覚は、
ナイ、だろう。

誤解を恐れずに言うならば、 
ダンスの“組む”テクニックは、
ソレをフツーに使った時点ですでに、

変な行為・危険な行為

になっちゃってる可能性がある。
なぜなら、(特に日本人の)

パーソナル・スペース
(詳しくは第872873874話参照)

を考慮に入れて、作られたものではないんだもの…。

パーソナル・スペースという観点

に立てば、
ホールド・テクニックは、
“ダンス的にちゃんとできているかどうか”の前に、
見直すべき点が山ほどあるようにも思えてくる。
つまり、
マナー・エチケットという分野を外しちゃうと、
ホールド・テクニックは、
単なる
“変な行為、危険な行為”に早変わりのリスクを
背負うことになるんだな。

こう考えると、
ホールドのカタチさえ覚えれば、
「はーい、アナタもすぐに
パーティ・デビューできますよぉ」
ナンテ、危ない危ない・・・と思わずにはいられない。

また、初めて出会った相手とでも、
ダンスを介してコミュニケーションを図ることができるのが
社交ダンスの醍醐味かも知れないが、
ソレは、下手すりゃ初対面の相手の

パーソナル・スペース

にズカズカ入り込んでいって
自己主張する・・・
「そんなぁ、アキマヘンやろ!?」
な非常識的行為に成り下がってしまう恐れがあるってことを、
もっと、ワタシたちは知らなければいけないと思うわけ。

特に、
「人に触れるのが、当たり前」
になっちゃってる、ワタシたちは、
ダンスを知らないフツーの人より、

他人のパーソナル・スペースに対し、

鈍感になってしまっている


可能性は大きい。

「社交ダンスやってハル人って、
どこか偉そうで、あつかましいわネェ」
なんて、世間の人たちから言われないためにも、

マナーとして“組む”テクニックを

見直さなきゃいけない
と思うんだ。

続きは次回。


     続く第878話へ





Real Junko Voice
(目次)

「もう一つの学連物語」
vol.66 ~ リスクを背負う ~

家に戻ったワタシは、
すべてあったことを夫であるY氏に打ち明けました。

ワタシは興味がありました。
全く違う目線を持っているY氏がどういう反応を示すのか?

果たして面白い結果が生まれます。
なんと Y氏は“父”の提案のほとんどにOKなのです。
協会変更はモチロン、
「教師試験も審査員も悪くないんじゃないの?」
という意見です。
むしろ、新しい体験は、
先生として活きるだろうからやったほうが良いのではと言うのです。
特に、
「審査員って、面白そうだね」
と来ました。
なぜなら、
「審査員をやってみると、今のダンス界の基準をもっと知ることができて、
おかしいなと言うところや、このままで良いというところが
ジュンコなりに見えるのではないか」
「今の日本のダンスは競技会抜きに考えられないだろうから」
コノ辺も、先生として知っておくべきだろうと言う意見でした。
また
「試験に合格しないといけないわけだから、
いきなり審査員をさせられるのではないだろう。
競技会のお手伝いをしながら、様子を探ってみたらどうか?」
そして、どうしても無理だと思えば、
断れば良いと言うのです。

ワタシは考えました。
新しい自分に出会うのは望むところだ。
でもそのためには、リスクを背負わなければいけないだろう。
ひとりだと、絶対に断っていたものですが、
Y氏のアドバイスに従い、
“父”の申し出を受けて見ようという気になりました。

そして、
気が変わらないうちに“父”に連絡です。
「すべて、前向きに考えます」
その後に付け足しました。
「主人に相談に乗ってもらいました」

すると、
「物分りのエエ、ようできたご主人や」

いかにも、ワタシは物分りの悪い、頑固者と言いたげです。

と、
それから数日後にさっそく競技会のお仕事が入ってきたのです。

ソレがまたまた驚くべきもので・・・。



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