初めての方へ 目次 エクササイズ&プラクティス集
テーマ別インデックス
特別シリーズ
社交ダンスを教えるということvol.6
自分の経験を基に・・・は危険
木を見て森を見ず!? ⑨
ダンスレッスンにおいて
コーチャーの「わかるわぁ、私もそうだったから」
てな、
“自叙伝的反応”による
生徒理解はNGなんだ。
ソレは、なぜか?
・・・の前に、
“自叙伝的反応”による理解って意味わかるかナァ?
コレって、日頃の人間関係の中でも、
結構やっちゃってるかもなんだよね。
チョイ説明すれば、人の話している内容を、
相手の中で何が起こっているのか? 起きたのか?
というふうに、相手の立場になって聞かずに、
すべて自分のフィルターを通して、
自叙伝化し、勝手な理解をしちゃう現象。
「わかるわ。いえね、私も一緒だったんだけど・・・」
「そうそう。僕も若い頃はそんな風に思っていたよ」
なぁんて、
良くない意味で、
相手のことを自分のことのように解釈しちゃうんだ。
こういう人って、
人の話を聞いているときから、
チョイ悪(ワル)傾向ありなんだよね。
どういうことかと言うと、
相手のことを「理解しよう」と思って聞いているのではなく、
「何か言ってやろう」「答えよう」
てな、体勢なんよ。
そう、自分が“答えるために聞いている”んだ。
で、話の途中で口を挟んだり、
「そうなの!?私も同じような経験、したんだけどぉ・・・」
って、話を自分側にもって行っちゃったり。
つまりは、
相手を理解するよりも、
自分のことを理解して欲しいって
気持ちが強いのよね。
んで、結局、
「分かる、分かる」って言っておきながら
「ワタシがコレで上手くいったんだから、あなたもそうしなさい」
みたいに、自分のかけていたメガネを、
相手に押し付けてくることもあるんだよね。
では、ダンス・コーチャーの話に戻そう。
生徒さんからの困った話、訴えを聞くとき、
本当にその辛さとか、
悩みを理解して聞こうとするのではなく、
「何か言ってあげなきゃ」「解決してあげなきゃ」
つまり、
レッスンしてあげなきゃと思って、
聞いちゃう・・・コレがNGなんだ。
なぜって、コレは本当の理解にいたらないため、
自分の物差しの解決方法を、
押しつけることになりがちだからなんだ。
前号のB美コーチャーも、
「わかるわ」と言いながらも
勝手に自分の昔話と重ね合わせ、
A子の思いを
自分の経験に基づき “評価”し、
自分の経験に基づき “解釈”し、
自分の経験に基づき “助言”を与え
「女性もシャドウしなきゃ」
という自分の意見を押し付けている。
A子は、
自分のことを理解してもらったとは、
感じていないだろう。
ひょっとしたら、
正しいことを言われているのかも知れないが
そこには “共感”を感じない。
“愛”を感じ取ることができなかっただろう。
モチロンB美コーチャーにしてみれば、
悪気があってのことではなく、
A子のためを思ってのことではあろうが、
コレではNGなんだな。
おっと、このヘンで、
以下のような質問が上がるかもしれないね。
「“自分の経験に基づいて”の評価・解釈・助言が、
ナゼダメなのですか?
人は、自分の経験に基づいてしか、
他者の理解をできないものではないのでしょうか?
コレは、体験豊富な人のほうが、ソウでない人より、
人のことを理解できるものなのでは?
と言う単純な発想からなのですが」
うーん、この辺りに盲点があるようだよね。
人を理解しようとするときに、
自分の経験が活きるときは、モチロン、アル。
が、時には、
かえってその経験が邪魔をする場合も
あることを知っておかねばならない。
なぜか?
相手の立場・基準に立って、
モノゴトを見ることができにくくなる
からなんだ。
つまり
「私のほうが体験豊富だから。経験を積んでいるから」
というコーチャーほど、
生徒サンと向かい合うときに、
心してかからねばならないってこと。
ソウ、
ここからジュンコ先生の言う
「人を理解するための“努力”」が始まるのだ。
ジュンコ先生
「私の努力の内容は、
言えばとてもシンプルなことなの。
その人の言うことをよーく聴くように努める。
どんな小さなことでも大切にしてね。
しかも、
感情を移入する
・・・コレが最大のキーよ」
続く 第848話へ
Real Junko Voice
「もう一つの学連物語」
vol.36 ~ 読書への誘い ~
生徒サンから本を手渡されたとき、しばらくブリだなと感じました。
本を読むという機会を失っていたことに気付いたのです。
小さい頃は読書が大好きでした。
でも成長するにつれ、だんだんと読むことをしなくなり、
大学でダンスをするようになってからは、
ますます本を手にするという機会から離れていたように思ったのです。
いただいた本を見て驚きました。
おそらくは一人で本屋に出向いても、
決して手にすることはないだろうといった雰囲気の本であったからです。
たぶん“ビジネス書”に類するものでしょう。
その生徒サンは言いました。
「会社のリーダーの方には『ゼヒ』とお勧めしている本です」
その方のお仕事がコンサルティングであったことを思い出しました。
ダンスには全く関係のなさそうな本を、
「参考にしていただけるのではと思って」
と、ニコニコ顔で紹介してくれます。
前回、レッスンの合間に少し話したとき、
ワタシが“その本”を読んだら良いのではないかと、ひらめいたというのです。
不思議な感覚を覚えながらも、
深い意味は考えることなく受け取り、家に持ち帰りました。
特に期待もせずに、パラパラとページをめくります。
あれ? 想像したよりも面白そう・・・良い予感がしました。
本屋で本を探すときにもそうするように、
ページの最初に戻って、序章に目を通します。
どんな内容の本であるのか、著者の意図・理念を感じ取ります。
冒頭の “著者からの挨拶”にココロ引かれる言葉のいくつかを見つけました。
「自立」「相互依存」「原則」「相乗効果」「コミュニケーション」
そして、この一文にハタと目が留まります。
「世界に変化を望むのであれば、自らがその変化になれ」
一晩ですべて読みました。
涙を流すシーンが何度もありました。
ショックでした。
こんな本が世の中にあったんだ・・・。
あの生徒サンから手渡されなければ、
絶対出合わなかったであろう“その本”に、
ワタシが知りたかった“真理”が、たくさん解き明かされてあったのです。
ソレは、社交ダンスにも十分通用するもので、
明日からのレッスンにすぐにでも活かせそうな、画期的内容でした。
ワタシは思いました。
ワタシは色々なことを“知っているつもり”でいたけれど、
本当はほとんど何にも “知らない”のではないだろうか!?
ワタシは、
もっと勉強しなければならない、いえ、したくなってきたのです。
テレビは捨ててしまってありません。
でも、コレは幸いでした。
ワタシは自分の勉強のために、もっと本を読もうと思いました。
そして・・・
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自分の経験を基に・・・は危険
木を見て森を見ず!? ⑨
ダンスレッスンにおいて
コーチャーの「わかるわぁ、私もそうだったから」
てな、
“自叙伝的反応”による
生徒理解はNGなんだ。
ソレは、なぜか?
・・・の前に、
“自叙伝的反応”による理解って意味わかるかナァ?
コレって、日頃の人間関係の中でも、
結構やっちゃってるかもなんだよね。
チョイ説明すれば、人の話している内容を、
相手の中で何が起こっているのか? 起きたのか?
というふうに、相手の立場になって聞かずに、
すべて自分のフィルターを通して、
自叙伝化し、勝手な理解をしちゃう現象。
「わかるわ。いえね、私も一緒だったんだけど・・・」
「そうそう。僕も若い頃はそんな風に思っていたよ」
なぁんて、
良くない意味で、
相手のことを自分のことのように解釈しちゃうんだ。
こういう人って、
人の話を聞いているときから、
チョイ悪(ワル)傾向ありなんだよね。
どういうことかと言うと、
相手のことを「理解しよう」と思って聞いているのではなく、
「何か言ってやろう」「答えよう」
てな、体勢なんよ。
そう、自分が“答えるために聞いている”んだ。
で、話の途中で口を挟んだり、
「そうなの!?私も同じような経験、したんだけどぉ・・・」
って、話を自分側にもって行っちゃったり。
つまりは、
相手を理解するよりも、
自分のことを理解して欲しいって
気持ちが強いのよね。
んで、結局、
「分かる、分かる」って言っておきながら
「ワタシがコレで上手くいったんだから、あなたもそうしなさい」
みたいに、自分のかけていたメガネを、
相手に押し付けてくることもあるんだよね。
では、ダンス・コーチャーの話に戻そう。
生徒さんからの困った話、訴えを聞くとき、
本当にその辛さとか、
悩みを理解して聞こうとするのではなく、
「何か言ってあげなきゃ」「解決してあげなきゃ」
つまり、
レッスンしてあげなきゃと思って、
聞いちゃう・・・コレがNGなんだ。
なぜって、コレは本当の理解にいたらないため、
自分の物差しの解決方法を、
押しつけることになりがちだからなんだ。
前号のB美コーチャーも、
「わかるわ」と言いながらも
勝手に自分の昔話と重ね合わせ、
A子の思いを
自分の経験に基づき “評価”し、
自分の経験に基づき “解釈”し、
自分の経験に基づき “助言”を与え
「女性もシャドウしなきゃ」
という自分の意見を押し付けている。
A子は、
自分のことを理解してもらったとは、
感じていないだろう。
ひょっとしたら、
正しいことを言われているのかも知れないが
そこには “共感”を感じない。
“愛”を感じ取ることができなかっただろう。
モチロンB美コーチャーにしてみれば、
悪気があってのことではなく、
A子のためを思ってのことではあろうが、
コレではNGなんだな。
おっと、このヘンで、
以下のような質問が上がるかもしれないね。
「“自分の経験に基づいて”の評価・解釈・助言が、
ナゼダメなのですか?
人は、自分の経験に基づいてしか、
他者の理解をできないものではないのでしょうか?
コレは、体験豊富な人のほうが、ソウでない人より、
人のことを理解できるものなのでは?
と言う単純な発想からなのですが」
うーん、この辺りに盲点があるようだよね。
人を理解しようとするときに、
自分の経験が活きるときは、モチロン、アル。
が、時には、
かえってその経験が邪魔をする場合も
あることを知っておかねばならない。
なぜか?
相手の立場・基準に立って、
モノゴトを見ることができにくくなる
からなんだ。
つまり
「私のほうが体験豊富だから。経験を積んでいるから」
というコーチャーほど、
生徒サンと向かい合うときに、
心してかからねばならないってこと。
ソウ、
ここからジュンコ先生の言う
「人を理解するための“努力”」が始まるのだ。
ジュンコ先生
「私の努力の内容は、
言えばとてもシンプルなことなの。
その人の言うことをよーく聴くように努める。
どんな小さなことでも大切にしてね。
しかも、
感情を移入する
・・・コレが最大のキーよ」
続く 第848話へ
Real Junko Voice
「もう一つの学連物語」
vol.36 ~ 読書への誘い ~
生徒サンから本を手渡されたとき、しばらくブリだなと感じました。
本を読むという機会を失っていたことに気付いたのです。
小さい頃は読書が大好きでした。
でも成長するにつれ、だんだんと読むことをしなくなり、
大学でダンスをするようになってからは、
ますます本を手にするという機会から離れていたように思ったのです。
いただいた本を見て驚きました。
おそらくは一人で本屋に出向いても、
決して手にすることはないだろうといった雰囲気の本であったからです。
たぶん“ビジネス書”に類するものでしょう。
その生徒サンは言いました。
「会社のリーダーの方には『ゼヒ』とお勧めしている本です」
その方のお仕事がコンサルティングであったことを思い出しました。
ダンスには全く関係のなさそうな本を、
「参考にしていただけるのではと思って」
と、ニコニコ顔で紹介してくれます。
前回、レッスンの合間に少し話したとき、
ワタシが“その本”を読んだら良いのではないかと、ひらめいたというのです。
不思議な感覚を覚えながらも、
深い意味は考えることなく受け取り、家に持ち帰りました。
特に期待もせずに、パラパラとページをめくります。
あれ? 想像したよりも面白そう・・・良い予感がしました。
本屋で本を探すときにもそうするように、
ページの最初に戻って、序章に目を通します。
どんな内容の本であるのか、著者の意図・理念を感じ取ります。
冒頭の “著者からの挨拶”にココロ引かれる言葉のいくつかを見つけました。
「自立」「相互依存」「原則」「相乗効果」「コミュニケーション」
そして、この一文にハタと目が留まります。
「世界に変化を望むのであれば、自らがその変化になれ」
一晩ですべて読みました。
涙を流すシーンが何度もありました。
ショックでした。
こんな本が世の中にあったんだ・・・。
あの生徒サンから手渡されなければ、
絶対出合わなかったであろう“その本”に、
ワタシが知りたかった“真理”が、たくさん解き明かされてあったのです。
ソレは、社交ダンスにも十分通用するもので、
明日からのレッスンにすぐにでも活かせそうな、画期的内容でした。
ワタシは思いました。
ワタシは色々なことを“知っているつもり”でいたけれど、
本当はほとんど何にも “知らない”のではないだろうか!?
ワタシは、
もっと勉強しなければならない、いえ、したくなってきたのです。
テレビは捨ててしまってありません。
でも、コレは幸いでした。
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