初めての方へ 目次 エクササイズ&プラクティス集
テーマ別インデックス
特別シリーズ
社交ダンスを教えるということvol.6
生徒も“木を見て森を見ず”状態!?
木を見て森を見ず!? ③
ジュンコ先生は言う。
ダンスのレッスンで最も重要なのは、
“正しいことを教える”ことではない
では、ナニが一番重要なのか?
ソレを押さえておかなければ、
たとえ有名コーチャーや、
世界チャンピオンのレッスンであっても、
『木を見て森を見ず』のダメジャン!!な、
レッスンになっちゃう可能性大・・・デスって!?
ジュンコ先生の話は続く。
ジュンコ先生
「最初に気付いておかねばならないのは、
実は、多くの生徒さんが、
自分のダンスについて
『木を見て森を見ず』の状態に陥っているってことなの」
Q
「先生じゃなくて、生徒が、ですか?」
ジュンコ先生
「そうよ。
例えば、
『ナチュラル・スピンターンのピボットができない』とか
『スタンダードのホールドで、
男性の方に頭が寄っていってしまう』とか
『スリー・アレマーナのリードが通じない』
っていう風に、“木”について悩んでいる。
ソレを何とか直そうと思って、
『シッカリ、足に力を入れて立とう』としたり、
『無理に左を見ようと腰から反って』しまったり、
『腕で無理に相手を動かそう』
なんて(生徒さんが)“木”を直接改善しようと試みているのを、
『アラアラ、そんな表に現れている
“症状”だけを直しても、ダメなのですよ』
とばかり、
その問題の“核”を生徒さんから情報を得ながら見抜いていき、
本質から直していく“道筋”を考え、
その“方向”を示すのが、
コーチャーの役割なのよ」
Q
「わぁ、良いお医者みたいですね。
『頭が痛い』といえば、
『ハイ、頭痛薬』とくるのではなく、
ナゼ、頭が痛いのかをちゃんと診察し、
的確に見抜いていくような」
ジュンコ先生
「そうね。
対処療法に終わらず、根本治療を試み、
体質改善のための生活習慣や、
時に、
心のあり方の見直しまでの
アプローチを示してくれるお医者さん・・・
ダンスの先生もコーチャーである以上、
そういう“名医”を一人ひとりが努力しながら
目指すべきだと思うのよね」
Q
「ソレは、そうかもしれませんね・・・」
ジュンコ先生
「そうなれば、上記の“木”の問題においても、
『ピボットができないのは、
カラダの“軸感覚”が養われていないから』
と、解釈。
では、ナゼ“軸感覚”がないのか?
については、
『カラダにリキミがある』から、といったように、
徐々に問題の“核”を探り始め、
最終的には、
『なぜ、この人はカラダにリキミが生じるのか?』
の、深い理由にまで追求が及んで、
やっと、その生徒さんの本当の問題に
たどり着けるかも、なのよね」
Q
「生徒さんが“木”しか見えていなかった問題の
“森”をコーチャーが探し出す・・・
ソウあるべきコーチャー自身が、レッスン中に
生徒さんのように『木を見て森を見ず』状態になったら
ダメじゃないですか!?ねぇ」
ジュンコ先生
「ソウ。
でも、上記の例えで
『ナチュラル・スピンターンのピボットができない』
の問題に対し、
『カラダのリキミをとることが大切だ』
とばかり、
ソッチのほうの話に終始したとする・・
さぁ、どうかしら?
コレも、実はやったらダメジャンな、
『木を見て森を見ず』のレッスンなのよ。
言ってる意味わかるかな?」
Q
「は、いえ、よくわからなくなって来ました」
ジュンコ先生
「ダンスのレッスンで最も重要なことは、
ただ単に正しいことを教える
ことでは決してないからよ」
Q
「あ、その話につながってくるのですね。
うーん!?」
続く 第842話へ
Real Junko Voice
「もう一つの学連物語」
vol.30 ~ 好きにさせてあげなさい ~
大学のボックス(部室)で初めて先輩の踊るワルツを目にしたとき、
「見てはいけないモノを見てしまった」
導かれるまま、ジルバに興じたとき、
「やってはならないことをやってしまった」
入部の気持ちを固め、ダンスシューズを購入したとき、
「取り返しの付かないことをしてしまった」
これらの思いはすべて、
「ウチの両親は絶対に良いとは言わないだろう」
つまり“両親基準”に照らし合わせての発想です。
ダンス部に入部した最初の頃、新しい体験をするたびに、
ワタシのココロは小さな罪悪感におびえていたように思います。
でも、それとともに、“両親基準”から逸脱(いつだつ)してゆく姿を
ワクワクしながら受け止めている自分がいたのも確かです。
ワタシにとって学連時代のダンスは、
親からの解放・自立への大きなキッカケとなったわけです。
それは、新しい自分に出会うための
“ルネッサンス=再生”の始まりでもありました。
ダンス部に入ったことを両親に告白したとき、
「2回生になったら辞めるから、やらせて欲しい」
と懇願(こんがん)※しました。
もちろん、ホントウの気持ちではありません。
想像以上の大反対に遭い、思わず口から出てしまった言葉でした。
2回生になった時点では、3回生までは続けたいと粘りました。
3回生になると、ここまでがんばったのだから、
卒業までやりたいと言いました。
そして、卒業後、プロの道に進むことを決意、
両親には相談せず、話を先に進めていきました。
報告は、すべての段取りが整った後でした。
「なんと言う子や! 親を無視して」
母は驚き、泣きながら引止めます。
「エエ氏の子が、やるもんやない。
悪いこと言わへんから、やめておきなさい」
しかし、私の耳に届くハズはありません。
父は珍しく激怒し、突き放しにかかりました。
「勝手にスりゃァ、イイさ。
お父さんの人生じゃぁなくて、ジュンコの人生なんだからな」
とは言いながらも、ハギレの悪い感じではありました。
ところが、ついに、
「そこまで言うなら、自分で責任を取ってやってみればイイ」
と、折れてくれたのです。
同時に母も覚悟をしたようです。
決め手となったのは、
おじいちゃん亡き後、実家で最も権限を持っていた当時83歳、
おばあちゃんの“鶴の一声”でした。
「ジュンコの好きにさせちゃりーな」
(させてあげなさい)
“ジュンコの好きに生きる”
それ以来、ワタシのテーマになった言葉のような気がします。
「自分の好きに生きることは、自分自身を生きること。
勇気を持って人生を表現すること。
ただし、それは、全責任が自分にあると知ってゆく道・・・」
そして・・
※ひたすらお願いすること
いつも 応援クリック ありがとうございます。
↓ ↓ ↓

とても励みになっています。(ジュンコ)
テーマ別インデックス
特別シリーズ
社交ダンスを教えるということvol.6
生徒も“木を見て森を見ず”状態!?
木を見て森を見ず!? ③
ジュンコ先生は言う。
ダンスのレッスンで最も重要なのは、
“正しいことを教える”ことではない
では、ナニが一番重要なのか?
ソレを押さえておかなければ、
たとえ有名コーチャーや、
世界チャンピオンのレッスンであっても、
『木を見て森を見ず』のダメジャン!!な、
レッスンになっちゃう可能性大・・・デスって!?
ジュンコ先生の話は続く。
ジュンコ先生
「最初に気付いておかねばならないのは、
実は、多くの生徒さんが、
自分のダンスについて
『木を見て森を見ず』の状態に陥っているってことなの」
Q
「先生じゃなくて、生徒が、ですか?」
ジュンコ先生
「そうよ。
例えば、
『ナチュラル・スピンターンのピボットができない』とか
『スタンダードのホールドで、
男性の方に頭が寄っていってしまう』とか
『スリー・アレマーナのリードが通じない』
っていう風に、“木”について悩んでいる。
ソレを何とか直そうと思って、
『シッカリ、足に力を入れて立とう』としたり、
『無理に左を見ようと腰から反って』しまったり、
『腕で無理に相手を動かそう』
なんて(生徒さんが)“木”を直接改善しようと試みているのを、
『アラアラ、そんな表に現れている
“症状”だけを直しても、ダメなのですよ』
とばかり、
その問題の“核”を生徒さんから情報を得ながら見抜いていき、
本質から直していく“道筋”を考え、
その“方向”を示すのが、
コーチャーの役割なのよ」
Q
「わぁ、良いお医者みたいですね。
『頭が痛い』といえば、
『ハイ、頭痛薬』とくるのではなく、
ナゼ、頭が痛いのかをちゃんと診察し、
的確に見抜いていくような」
ジュンコ先生
「そうね。
対処療法に終わらず、根本治療を試み、
体質改善のための生活習慣や、
時に、
心のあり方の見直しまでの
アプローチを示してくれるお医者さん・・・
ダンスの先生もコーチャーである以上、
そういう“名医”を一人ひとりが努力しながら
目指すべきだと思うのよね」
Q
「ソレは、そうかもしれませんね・・・」
ジュンコ先生
「そうなれば、上記の“木”の問題においても、
『ピボットができないのは、
カラダの“軸感覚”が養われていないから』
と、解釈。
では、ナゼ“軸感覚”がないのか?
については、
『カラダにリキミがある』から、といったように、
徐々に問題の“核”を探り始め、
最終的には、
『なぜ、この人はカラダにリキミが生じるのか?』
の、深い理由にまで追求が及んで、
やっと、その生徒さんの本当の問題に
たどり着けるかも、なのよね」
Q
「生徒さんが“木”しか見えていなかった問題の
“森”をコーチャーが探し出す・・・
ソウあるべきコーチャー自身が、レッスン中に
生徒さんのように『木を見て森を見ず』状態になったら
ダメじゃないですか!?ねぇ」
ジュンコ先生
「ソウ。
でも、上記の例えで
『ナチュラル・スピンターンのピボットができない』
の問題に対し、
『カラダのリキミをとることが大切だ』
とばかり、
ソッチのほうの話に終始したとする・・
さぁ、どうかしら?
コレも、実はやったらダメジャンな、
『木を見て森を見ず』のレッスンなのよ。
言ってる意味わかるかな?」
Q
「は、いえ、よくわからなくなって来ました」
ジュンコ先生
「ダンスのレッスンで最も重要なことは、
ただ単に正しいことを教える
ことでは決してないからよ」
Q
「あ、その話につながってくるのですね。
うーん!?」
続く 第842話へ
Real Junko Voice
「もう一つの学連物語」
vol.30 ~ 好きにさせてあげなさい ~
大学のボックス(部室)で初めて先輩の踊るワルツを目にしたとき、
「見てはいけないモノを見てしまった」
導かれるまま、ジルバに興じたとき、
「やってはならないことをやってしまった」
入部の気持ちを固め、ダンスシューズを購入したとき、
「取り返しの付かないことをしてしまった」
これらの思いはすべて、
「ウチの両親は絶対に良いとは言わないだろう」
つまり“両親基準”に照らし合わせての発想です。
ダンス部に入部した最初の頃、新しい体験をするたびに、
ワタシのココロは小さな罪悪感におびえていたように思います。
でも、それとともに、“両親基準”から逸脱(いつだつ)してゆく姿を
ワクワクしながら受け止めている自分がいたのも確かです。
ワタシにとって学連時代のダンスは、
親からの解放・自立への大きなキッカケとなったわけです。
それは、新しい自分に出会うための
“ルネッサンス=再生”の始まりでもありました。
ダンス部に入ったことを両親に告白したとき、
「2回生になったら辞めるから、やらせて欲しい」
と懇願(こんがん)※しました。
もちろん、ホントウの気持ちではありません。
想像以上の大反対に遭い、思わず口から出てしまった言葉でした。
2回生になった時点では、3回生までは続けたいと粘りました。
3回生になると、ここまでがんばったのだから、
卒業までやりたいと言いました。
そして、卒業後、プロの道に進むことを決意、
両親には相談せず、話を先に進めていきました。
報告は、すべての段取りが整った後でした。
「なんと言う子や! 親を無視して」
母は驚き、泣きながら引止めます。
「エエ氏の子が、やるもんやない。
悪いこと言わへんから、やめておきなさい」
しかし、私の耳に届くハズはありません。
父は珍しく激怒し、突き放しにかかりました。
「勝手にスりゃァ、イイさ。
お父さんの人生じゃぁなくて、ジュンコの人生なんだからな」
とは言いながらも、ハギレの悪い感じではありました。
ところが、ついに、
「そこまで言うなら、自分で責任を取ってやってみればイイ」
と、折れてくれたのです。
同時に母も覚悟をしたようです。
決め手となったのは、
おじいちゃん亡き後、実家で最も権限を持っていた当時83歳、
おばあちゃんの“鶴の一声”でした。
「ジュンコの好きにさせちゃりーな」
(させてあげなさい)
“ジュンコの好きに生きる”
それ以来、ワタシのテーマになった言葉のような気がします。
「自分の好きに生きることは、自分自身を生きること。
勇気を持って人生を表現すること。
ただし、それは、全責任が自分にあると知ってゆく道・・・」
そして・・
※ひたすらお願いすること
いつも 応援クリック ありがとうございます。
↓ ↓ ↓

とても励みになっています。(ジュンコ)
| Home |