初めての方へ 目次 エクササイズ&プラクティス集
テーマ別インデックス
♪スポーツ界は日進月歩(にっしんげっぽ)
ダンスも乗り遅れちゃなりません~♪♪
と、ご機嫌ソングの後で・・・
「ほんじゃ、どんな風に
スポーツ界が進化を遂げていっているの?」
をのぞいてみると、
「アラ!? どの(スポーツ)業界でも、
結局は一緒のこと言ってるワネェ」
ってことがわかってくるんだよね。
しかも、ソレって
「スポーツだけじゃないさ。
ダンサーとか、音楽家とか、料理人とか・・
あらゆる分野の身体操作、全般に共通してること」
であり、
「日常の動きの中にもソウいう意識を取り入れたら、
健康的ね」
ってことが、見えてくるわけ。
さて、その普遍的(すべてに共通の)進化の方向性とは
いかにカラダに無理なく
高度なパフォーマンスができるか?
ってな意識であり、そのキーとなるのが
重力との協調・調和
なんだ。
つまりは
「重力サマには絶対逆らっちゃダメだ。
(第756話参照)
人知を超えた、破壊的な力を持っているから・・・。
その力=エネルギーを敵に回さず、
ありがたくいただいて、
パフォーマンスの向上に努めようではないか」
っていう意識および研究が、急速に高まってきたわけね。
で、結果、
古武道の世界観・身体操作が見直されたり、
(なんばとか二軸)
筋肉ではなく骨格操作だ!ってうたわれたり、
インナーマッスルの重要性が叫ばれたり・・となり、
各流れはダンス界にも
「いらっしゃい!」しているわけなんだけれど、
その中で、ダンサー諸君にとって
「理論的には、ソウだろうってことはなんとなく分かるし、
それができたら、
パフォーマンスレベルが格段にアップするかな、
とも思うんだけど、
イヤイヤ、なかなか実際にはムズカシイ・・・」
って“意識”が、コレ
「重力エネルギーにしたがって、
バランスを崩す」こと。
つまり、“時代”は、
「強い足腰を使って、
踏ん張り立ってのパフォーンス」
を卒業し、
「いかに、重心をラクに次に移すか」
ってな、方向に進化を遂げようとしているのに、
ダンス界の中ではいまだ、
強い足腰が強調され、
その結果、ソウしたいわけではないだろうに
“踏ん張り立ち”になってしまい、
重心移動がスムーズにいかない
スウィングが思ったようにかからない
思わずリキンでしまう・・
で、低いパフォーマンスで終わっちゃう・・・
「ダンスは難しいよ。
他のスポーツとは結果の出し方、納得性が全然違うから。
(ダンスは)ただ、速く動けば良いとか、
とにかく遠くに飛べば良いとか、
タイムがよければ良いってモンじゃないでしょ!?
カタチの美・醜がメッチャ問われるもの。
誰だってキレイに踊りたい・・・当たり前のことよ。
下手に“バランスを崩す”なんてやって、
ホントウに崩れたらイヤだもん」
「それに、個人プレーじゃないからナァ。
モチロン、個々からナル、
団体プレーでもペアプレーでもない・・・
ズーッと、実際に組んでるんだもの。
各自がよほど、高度な重心移動とか、
バランスの崩し方を習得しないと、
相手と触れ合ってなんていられないよ」
ウーン、ソウなのよねぇ。
ムズカシイのよねぇ。
だもんで、エーイ、もういいや。
「手っ取り早く、アル程度のカタチ
(ホールド・姿勢など)だけは作ってしまおう」
って、やっちゃうと、最初はなんとかなっていても、
いずれ、なんともならないときがやってくるんだな。
ソウ、悲しいかな、ドンつき行き止まり、
もうそれ以上の進化は無理・・・
ってなっちゃうんよ。
「そんなの、イヤです。
あきらめたくないです! もっと上手くなりたいです。
それにはどうしたら、良いのでしょう?」
な方への提言としては、
最初に戻るけど、やっぱりコレに尽きるわけ。
重力との協調・調和を目指しましょ。
もうチョイいえば、
重力との協調・調和できる身体になり
重力エネルギーにしたがって、
バランスを崩す
ことが、恐れずに体現できるための
お勉強&練習に努めましょ!ってこと。
なぜってね、
すべてのダンス・パフォーマンスは
重力によって倒れようとする力
に対する、
復元力(もとの状態に戻すように働く力)
によって行われているんだもん。
その復元力のカナメになるのが
カラダの中に作り出す
Static balance(静的釣り合い)なんだ。
次回へ。
続く 第826話へ
Real Junko Voice
「もう一つの学連物語」
vol.14 ~ アナタ基準で生きていた ~
そういえば、ソノ頃ワタシには、
“話”を聴いてもらえるような相手は誰もいませんでした。
学連時代のメンバーとも交流はなく、友人も皆無。
それは“その人”と一緒にいるときからずっとそうでした。
でも別段、寂しさも感じていませんでした。
なぜならワタシには“その人”がいたからです。
夫、リーダー、先生、父親、友人・・
“その人”が、色んな役割を受け持ってくれていたということです。
夫婦の語り合いは、毎晩のようにありました。
色んな話をしました。
ダンスのこと、宇宙のこと、政治のこと、宗教のこと、
大自然のこと、神のこと・・
軽くお酒を交わしながら、
“その人”の哲学・美学・持論を聞くのが大好きでした。
ソレは、明け方まで続くこともありました。
“その人”が最も、嬉々(きき)※として見える時間でした。
学連時代の頃から“その人”の言葉は人の心を動かし、
納得させる力がありました。
ワタシが「この人と結婚しよう」と決めた理由の、
大きな一つとなったのが、そんなパーソナリティでした。
「色んなことがあるけれど、
彼と一緒になって良かったんだ」と思い続けてこれた、
原動力でもありました。
今思えば、唯一つ取り上げることのなかった、
語り合いの“テーマ”があります。
それは、「自分たちのことについて」
特に、それぞれの「感情について」といったような、
お互いの心に踏み込んだ話し合いすることが、
最後までできませんでした。
でも、それ以外のテーマにおいて、“その人”は完璧でした。
少なくとも、ワタシにはそのように感じました。
どんな質問にも“その人”は“正しい答え”をくれました。
「どうして、そんな風に考えることができるのだろう?」
ワタシは尊敬の念を育てていきました。
ソウコウしながら、17年・・・
気がつけば、ワタシの中の基準は、
“その人”そのものになってしまっていたのです。
基準とは、いろいろなモノゴトに対する、
善悪の基準とか判断の基準のこと。
その人のYESはやがてワタシのYESになり、
NOもやがて一体化していきました。
今回の決別での、私の苦しみの原点は、
その“基準”を失ったことだったのです。
“その人”に依存していたものがあまりにも多すぎました。
一人で考え、一人で行動し、責任を持ち、自立していく・・・
そんなことが、果たして自分にできるのだろうか?
自分を守りきれるのだろうか?
ものすごく大きな不安が見えてきました。
アナタ基準とは違う新たな基準を持つ、
そこから新たな人生を作っていく、
そんなことがこの先、可能なのでしょうか?
※喜びうれしがるさま
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♪スポーツ界は日進月歩(にっしんげっぽ)
ダンスも乗り遅れちゃなりません~♪♪
と、ご機嫌ソングの後で・・・
「ほんじゃ、どんな風に
スポーツ界が進化を遂げていっているの?」
をのぞいてみると、
「アラ!? どの(スポーツ)業界でも、
結局は一緒のこと言ってるワネェ」
ってことがわかってくるんだよね。
しかも、ソレって
「スポーツだけじゃないさ。
ダンサーとか、音楽家とか、料理人とか・・
あらゆる分野の身体操作、全般に共通してること」
であり、
「日常の動きの中にもソウいう意識を取り入れたら、
健康的ね」
ってことが、見えてくるわけ。
さて、その普遍的(すべてに共通の)進化の方向性とは
いかにカラダに無理なく
高度なパフォーマンスができるか?
ってな意識であり、そのキーとなるのが
重力との協調・調和
なんだ。
つまりは
「重力サマには絶対逆らっちゃダメだ。
(第756話参照)
人知を超えた、破壊的な力を持っているから・・・。
その力=エネルギーを敵に回さず、
ありがたくいただいて、
パフォーマンスの向上に努めようではないか」
っていう意識および研究が、急速に高まってきたわけね。
で、結果、
古武道の世界観・身体操作が見直されたり、
(なんばとか二軸)
筋肉ではなく骨格操作だ!ってうたわれたり、
インナーマッスルの重要性が叫ばれたり・・となり、
各流れはダンス界にも
「いらっしゃい!」しているわけなんだけれど、
その中で、ダンサー諸君にとって
「理論的には、ソウだろうってことはなんとなく分かるし、
それができたら、
パフォーマンスレベルが格段にアップするかな、
とも思うんだけど、
イヤイヤ、なかなか実際にはムズカシイ・・・」
って“意識”が、コレ
「重力エネルギーにしたがって、
バランスを崩す」こと。
つまり、“時代”は、
「強い足腰を使って、
踏ん張り立ってのパフォーンス」
を卒業し、
「いかに、重心をラクに次に移すか」
ってな、方向に進化を遂げようとしているのに、
ダンス界の中ではいまだ、
強い足腰が強調され、
その結果、ソウしたいわけではないだろうに
“踏ん張り立ち”になってしまい、
重心移動がスムーズにいかない
スウィングが思ったようにかからない
思わずリキンでしまう・・
で、低いパフォーマンスで終わっちゃう・・・
「ダンスは難しいよ。
他のスポーツとは結果の出し方、納得性が全然違うから。
(ダンスは)ただ、速く動けば良いとか、
とにかく遠くに飛べば良いとか、
タイムがよければ良いってモンじゃないでしょ!?
カタチの美・醜がメッチャ問われるもの。
誰だってキレイに踊りたい・・・当たり前のことよ。
下手に“バランスを崩す”なんてやって、
ホントウに崩れたらイヤだもん」
「それに、個人プレーじゃないからナァ。
モチロン、個々からナル、
団体プレーでもペアプレーでもない・・・
ズーッと、実際に組んでるんだもの。
各自がよほど、高度な重心移動とか、
バランスの崩し方を習得しないと、
相手と触れ合ってなんていられないよ」
ウーン、ソウなのよねぇ。
ムズカシイのよねぇ。
だもんで、エーイ、もういいや。
「手っ取り早く、アル程度のカタチ
(ホールド・姿勢など)だけは作ってしまおう」
って、やっちゃうと、最初はなんとかなっていても、
いずれ、なんともならないときがやってくるんだな。
ソウ、悲しいかな、ドンつき行き止まり、
もうそれ以上の進化は無理・・・
ってなっちゃうんよ。
「そんなの、イヤです。
あきらめたくないです! もっと上手くなりたいです。
それにはどうしたら、良いのでしょう?」
な方への提言としては、
最初に戻るけど、やっぱりコレに尽きるわけ。
重力との協調・調和を目指しましょ。
もうチョイいえば、
重力との協調・調和できる身体になり
重力エネルギーにしたがって、
バランスを崩す
ことが、恐れずに体現できるための
お勉強&練習に努めましょ!ってこと。
なぜってね、
すべてのダンス・パフォーマンスは
重力によって倒れようとする力
に対する、
復元力(もとの状態に戻すように働く力)
によって行われているんだもん。
その復元力のカナメになるのが
カラダの中に作り出す
Static balance(静的釣り合い)なんだ。
次回へ。
続く 第826話へ
Real Junko Voice
「もう一つの学連物語」
vol.14 ~ アナタ基準で生きていた ~
そういえば、ソノ頃ワタシには、
“話”を聴いてもらえるような相手は誰もいませんでした。
学連時代のメンバーとも交流はなく、友人も皆無。
それは“その人”と一緒にいるときからずっとそうでした。
でも別段、寂しさも感じていませんでした。
なぜならワタシには“その人”がいたからです。
夫、リーダー、先生、父親、友人・・
“その人”が、色んな役割を受け持ってくれていたということです。
夫婦の語り合いは、毎晩のようにありました。
色んな話をしました。
ダンスのこと、宇宙のこと、政治のこと、宗教のこと、
大自然のこと、神のこと・・
軽くお酒を交わしながら、
“その人”の哲学・美学・持論を聞くのが大好きでした。
ソレは、明け方まで続くこともありました。
“その人”が最も、嬉々(きき)※として見える時間でした。
学連時代の頃から“その人”の言葉は人の心を動かし、
納得させる力がありました。
ワタシが「この人と結婚しよう」と決めた理由の、
大きな一つとなったのが、そんなパーソナリティでした。
「色んなことがあるけれど、
彼と一緒になって良かったんだ」と思い続けてこれた、
原動力でもありました。
今思えば、唯一つ取り上げることのなかった、
語り合いの“テーマ”があります。
それは、「自分たちのことについて」
特に、それぞれの「感情について」といったような、
お互いの心に踏み込んだ話し合いすることが、
最後までできませんでした。
でも、それ以外のテーマにおいて、“その人”は完璧でした。
少なくとも、ワタシにはそのように感じました。
どんな質問にも“その人”は“正しい答え”をくれました。
「どうして、そんな風に考えることができるのだろう?」
ワタシは尊敬の念を育てていきました。
ソウコウしながら、17年・・・
気がつけば、ワタシの中の基準は、
“その人”そのものになってしまっていたのです。
基準とは、いろいろなモノゴトに対する、
善悪の基準とか判断の基準のこと。
その人のYESはやがてワタシのYESになり、
NOもやがて一体化していきました。
今回の決別での、私の苦しみの原点は、
その“基準”を失ったことだったのです。
“その人”に依存していたものがあまりにも多すぎました。
一人で考え、一人で行動し、責任を持ち、自立していく・・・
そんなことが、果たして自分にできるのだろうか?
自分を守りきれるのだろうか?
ものすごく大きな不安が見えてきました。
アナタ基準とは違う新たな基準を持つ、
そこから新たな人生を作っていく、
そんなことがこの先、可能なのでしょうか?
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