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エクササイズ&プラクティス集へ
特別シリーズ
社交ダンスが教えてくれたこと 人間美学そして哲学vol.2
相手&音楽のつながりという至高体験
ダンスの極意 つながり 調和 循環する ②
“つながり”の感覚が難しい対象は音楽と相手だ。
でも思い出して欲しい、
この2つはダンスの本質。
だからものすごーく大切なんだ。
でも、改めて
「相手とつながるってどういうこと?」
「音楽とつながっている感覚って?」
と問われると
「???・・・」
となっちゃうあなたへ提言だ。
「ソレってこういう風に考えてみたらどうかなぁ」
をどうぞ。
まずは相手。
相手とは、手やカラダという部分を通して
直接的につながるわけだが、
実は、
「つながり」という行為自体は
カラダが触れ合うもっと以前から始まっている。
えっ、どうやって? と思うかもしれないが、
この辺についてはダンスというよりも
実生活での経験のほうが分かりやすいよね。
例えば好きな人、
愛する人とはつながりたい、
つまりはカラダを接触させたいという
ごく自然な感情がわいてくることがあるだろう。
そしてその思い、
気持ちが相手を見たときから始まったものであったなら、
実際の行為に入る前に
もう気持ちの上ではつながっていることになるんだ。
ソウ、空気とか空間を通してつながっている感じ・・・
ホワーンとした
エネルギーのようなものを介しているため、
直接ぶつかり合う感じではなく、
実に優しく、
ソレでいて味わい深いものナンだ。
だからこそ、その後にやってくる、
実際の行為も心地良いということになるんだな。
ダンスも全く一緒・・・と考えると、
相手とのつながりという言葉には
2つの意味があるということが分かってくる。
1つは手やカラダという
物質的なもの
もう1つはハート・気持ち・思いといった
精神的なものだ。
その精神的なつながりを“感情”ってもので表現したら
ご夫婦や恋人同士なら、
ズバリ“愛”だろうね。
そうでない間柄なら、もう少し距離感を持った、
思いやり・誠実・優しさ・尊敬・慈しみ・・
といったワードがいいかな。
いずれにしても、
ダンスにおける相手とのつながり感覚は、
「さぁ、踊りましょう」
といった好意的なもので、
「あなたと踊ることができて楽しいわ」
とか
「どうぞよろしくね」
といった、
相手を受け入れる感情であることには違いないだろう。
この2つのつながり(物質的プラス精神的)が
共に満たされたとき初めて
「あぁ、この人と組んで一緒に踊っている」
と実感できる仕組みなのだ。
ダンスを通して知った相手とのつながりの体験は、
時に人生を変えてしまうほどに
スリリングな至高体験だ。
ただし、ここからが超重要!!
二人共が一緒に踊ることで
幸せな時間を過ごすためには
それぞれがまず
自分のカラダ・精神をつなぐこと
そのつながりを成長させていくことの
自覚が必要なんだ。
カラダのつながりだけを取り上げてみても、
実際、(カラダの)つながりレベルの高い人は、
相手とつながる際の、
ア~ダのコ~ダのといったテクニックが
極端に少なくて済むんだな。
言い換えれば、
自分のカラダのつながり具合の悪いところが、
相手とのつながり具合の悪さとして勃発、
表面化しちゃうことが多いってこと。
ということは、
「誰と組んでもシックリこないのよねぇ」
とか
「自分のパートナーと、
なぁんかイマイチ組みにくいんだ」
な人は、
自分自身のつながりを見直したほうが、
上手くいくかもなんだよね。
もちろんその際のつなぎ方は、
単なるテクニックという接着剤をもってではなく、
思いやり・誠実・優しさ・尊敬・慈しみ・愛・・
といった感情とともにつないでいくことが必須。
ソウでないと、相手と組むときも
テクニック優先のつながりを要求することに・・・
コレって、一見悪くなさそうだけれど、
実際、テクニックオンリーで
つながったカラダの人と組んでみると
「お上手なんだけれど、
なぜかココロが感じられないのよね」
「上級の方だけれど、踊ってやるよ、
って感じがするのでイヤ」
なぁんて評価になることが多いってことは、
みなさまお気付きのはず。
一方、
ダンステクニックはそれほどなくっても
「あの方と踊るとなんだか癒される」
「とっても楽しませてもらえる」
という実例もいっぱいあるだろう。
そんな人は、ひょっとしたら
自分とのつながりがシックリいってるかもなんだよな。
いずれにせよ、
自分との関係が
相手との関係にも出る
っていう、
オモシロ、コワイ世界=ダンス
であるから、要注意ってことだ。
さて最後に音楽だ。
実はこのつながりは、
相手とのつながり方ととっても似ているんだよ。
まずは、気持ちを音楽のほうに
寄せてゆくことから始まるんだ。
そしてその
音楽にカラダが反応するに
任せて身をゆだねる
それがファースト・コンタクトのコツだ。
音楽は目には見えないし触ることもできないが、
カラダを動かしながらでも、
「あぁ、いい曲だなぁ」
と感じとることができるようになればOK。
良いつながり方をしている証拠なんだ。
必死でステップを追いかけている時は、
音楽どころではないし、
相手に気を取られていても
音楽は耳に入ってこなくなるだろう。
だから、踊っているとき音楽がどう聴こえるか
つまり、
自分と音楽をどうつなぐことができているかは
とても分かりやすいダンス上達の目安になる。
(第15話参照)
目指す最終は、
音楽そのものになって踊ること。
自分の中にしみてきた音楽が
体内のあらゆる部分と共鳴をし始め、
やがてカラダ中をめぐり始める、
これもまた至高体験だ。
以上、コレで5つのつながりについての
だいたいの意味はわかっていただけたかな?
(5つのつながりについては第365話参照)
ではでは、
さらにレベルの高い段階の話に移ろう。
5つのつながりの向こうには、
素晴らしい体験が待っているってこと。
それは社交ダンスを踊るすべての人の憧れ、
二人にとっての最高域
「ワン・ピース」
ピッタリ一つになって踊るという体験だ。
ダンスで習うすべてのテクニックは
これを味わうために
存在しているといっても過言ではない。
それだけに難しいが、
目指してみる価値の大いにあるものだ。
で、この域に達するには、
各自それぞれが全く無理なく自由に
自分の楽しみのためだけに
踊っていることが重要なんだ。
自分のカラダとココロを最高に満たしてあげる、
妥協のない
自己中(自己中心的)ダンスを
各自が体現・・・
それがそのまま相手のためにもなり、
周りの人たちまでもが幸せを感じとることができる。
正に、
「1人は2人にために2人はみんなのために」
の体現になるんだからすごいよね。
これこそが、社交ダンスというものが
私たち人間にプレゼントしてくれる最高の“真理”
社交ダンスに関わる者よ、
これを受け取らないとはなんてモッタイナイ!!
という話なのだ。
「そんな上手い話はあるわけない。
自己中わがままダンスが、何で相手のためになって、
みんなのためになるんだよ!?」
という声はあって当然だ。
誤解も生むだろうし、
ひょっとしたらその域に達した人にしか
本当には理解できないことなのかもしれない。
が、自分のカラダのパーツが
それぞれ思い通りに動くようになり、
相手や音楽とも一体化、
重力を味方につけ自在に踊れるようになってくると
「本当だね。
自分のために踊る、それしかないんだろうね」
とごく自然に思える自分と出会えるのである。
ワン・ピースで踊るカップルには、
目には見えない
(ソノ能力のある人になら
キレイに見えるかもしれないが)
が不思議な現象が起こっている。
それは、踊るにふさわしい調和された
エネルギー&パワーが循環
するサマだ。
1.まず一人の中での循環。
大地(床)とつながることで、そこからやってくる
※エネルギー&パワー(以下E&P)を自分の中に取り込む。
カラダのすべてのパーツがつながることで
そのE&Pが下から上へ上昇、身体の中をめぐって、
動きとして使った後、また大地(床)に戻される。
同様に音楽ともつながることで音楽から発せられるをE&P吸収。
身体の中をめぐる。
まずこのように、各自が床と音楽につながり調和し循環している。
※重力に拮抗する垂直のパワー
2.次に相手との循環。
集まったE&Pが、接触している
手・カラダを通して相手に与えられてゆく。
そのとき二人とも大地(床)とつながっているため、
大地(床)を通してもE&Pを与えあう。
例えば、男性から女性に対してリードというカタチで与えられた
E&Pは女性の身体をめぐり、運動を引き出す。
ほぼ同時に女性から男性へもフォローというカタチで
E&Pは伝わっている。
どちらもが、自立できている者同士
(自分のカラダの中で床と音楽からもらった
エネルギー&パワーを循環させることができる)
のダンスには、
「与えると同時に受け取る」
という関係が築かれている。
お互いにE&Pを相手から
一方的に奪われたり奪ったりすることがなく、
平和な楽しいダンス関係を続けることができるのだ。
続く 第367話へ
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相手&音楽のつながりという至高体験
ダンスの極意 つながり 調和 循環する ②
“つながり”の感覚が難しい対象は音楽と相手だ。
でも思い出して欲しい、
この2つはダンスの本質。
だからものすごーく大切なんだ。
でも、改めて
「相手とつながるってどういうこと?」
「音楽とつながっている感覚って?」
と問われると
「???・・・」
となっちゃうあなたへ提言だ。
「ソレってこういう風に考えてみたらどうかなぁ」
をどうぞ。
まずは相手。
相手とは、手やカラダという部分を通して
直接的につながるわけだが、
実は、
「つながり」という行為自体は
カラダが触れ合うもっと以前から始まっている。
えっ、どうやって? と思うかもしれないが、
この辺についてはダンスというよりも
実生活での経験のほうが分かりやすいよね。
例えば好きな人、
愛する人とはつながりたい、
つまりはカラダを接触させたいという
ごく自然な感情がわいてくることがあるだろう。
そしてその思い、
気持ちが相手を見たときから始まったものであったなら、
実際の行為に入る前に
もう気持ちの上ではつながっていることになるんだ。
ソウ、空気とか空間を通してつながっている感じ・・・
ホワーンとした
エネルギーのようなものを介しているため、
直接ぶつかり合う感じではなく、
実に優しく、
ソレでいて味わい深いものナンだ。
だからこそ、その後にやってくる、
実際の行為も心地良いということになるんだな。
ダンスも全く一緒・・・と考えると、
相手とのつながりという言葉には
2つの意味があるということが分かってくる。
1つは手やカラダという
物質的なもの
もう1つはハート・気持ち・思いといった
精神的なものだ。
その精神的なつながりを“感情”ってもので表現したら
ご夫婦や恋人同士なら、
ズバリ“愛”だろうね。
そうでない間柄なら、もう少し距離感を持った、
思いやり・誠実・優しさ・尊敬・慈しみ・・
といったワードがいいかな。
いずれにしても、
ダンスにおける相手とのつながり感覚は、
「さぁ、踊りましょう」
といった好意的なもので、
「あなたと踊ることができて楽しいわ」
とか
「どうぞよろしくね」
といった、
相手を受け入れる感情であることには違いないだろう。
この2つのつながり(物質的プラス精神的)が
共に満たされたとき初めて
「あぁ、この人と組んで一緒に踊っている」
と実感できる仕組みなのだ。
ダンスを通して知った相手とのつながりの体験は、
時に人生を変えてしまうほどに
スリリングな至高体験だ。
ただし、ここからが超重要!!
二人共が一緒に踊ることで
幸せな時間を過ごすためには
それぞれがまず
自分のカラダ・精神をつなぐこと
そのつながりを成長させていくことの
自覚が必要なんだ。
カラダのつながりだけを取り上げてみても、
実際、(カラダの)つながりレベルの高い人は、
相手とつながる際の、
ア~ダのコ~ダのといったテクニックが
極端に少なくて済むんだな。
言い換えれば、
自分のカラダのつながり具合の悪いところが、
相手とのつながり具合の悪さとして勃発、
表面化しちゃうことが多いってこと。
ということは、
「誰と組んでもシックリこないのよねぇ」
とか
「自分のパートナーと、
なぁんかイマイチ組みにくいんだ」
な人は、
自分自身のつながりを見直したほうが、
上手くいくかもなんだよね。
もちろんその際のつなぎ方は、
単なるテクニックという接着剤をもってではなく、
思いやり・誠実・優しさ・尊敬・慈しみ・愛・・
といった感情とともにつないでいくことが必須。
ソウでないと、相手と組むときも
テクニック優先のつながりを要求することに・・・
コレって、一見悪くなさそうだけれど、
実際、テクニックオンリーで
つながったカラダの人と組んでみると
「お上手なんだけれど、
なぜかココロが感じられないのよね」
「上級の方だけれど、踊ってやるよ、
って感じがするのでイヤ」
なぁんて評価になることが多いってことは、
みなさまお気付きのはず。
一方、
ダンステクニックはそれほどなくっても
「あの方と踊るとなんだか癒される」
「とっても楽しませてもらえる」
という実例もいっぱいあるだろう。
そんな人は、ひょっとしたら
自分とのつながりがシックリいってるかもなんだよな。
いずれにせよ、
自分との関係が
相手との関係にも出る
っていう、
オモシロ、コワイ世界=ダンス
であるから、要注意ってことだ。
さて最後に音楽だ。
実はこのつながりは、
相手とのつながり方ととっても似ているんだよ。
まずは、気持ちを音楽のほうに
寄せてゆくことから始まるんだ。
そしてその
音楽にカラダが反応するに
任せて身をゆだねる
それがファースト・コンタクトのコツだ。
音楽は目には見えないし触ることもできないが、
カラダを動かしながらでも、
「あぁ、いい曲だなぁ」
と感じとることができるようになればOK。
良いつながり方をしている証拠なんだ。
必死でステップを追いかけている時は、
音楽どころではないし、
相手に気を取られていても
音楽は耳に入ってこなくなるだろう。
だから、踊っているとき音楽がどう聴こえるか
つまり、
自分と音楽をどうつなぐことができているかは
とても分かりやすいダンス上達の目安になる。
(第15話参照)
目指す最終は、
音楽そのものになって踊ること。
自分の中にしみてきた音楽が
体内のあらゆる部分と共鳴をし始め、
やがてカラダ中をめぐり始める、
これもまた至高体験だ。
以上、コレで5つのつながりについての
だいたいの意味はわかっていただけたかな?
(5つのつながりについては第365話参照)
ではでは、
さらにレベルの高い段階の話に移ろう。
5つのつながりの向こうには、
素晴らしい体験が待っているってこと。
それは社交ダンスを踊るすべての人の憧れ、
二人にとっての最高域
「ワン・ピース」
ピッタリ一つになって踊るという体験だ。
ダンスで習うすべてのテクニックは
これを味わうために
存在しているといっても過言ではない。
それだけに難しいが、
目指してみる価値の大いにあるものだ。
で、この域に達するには、
各自それぞれが全く無理なく自由に
自分の楽しみのためだけに
踊っていることが重要なんだ。
自分のカラダとココロを最高に満たしてあげる、
妥協のない
自己中(自己中心的)ダンスを
各自が体現・・・
それがそのまま相手のためにもなり、
周りの人たちまでもが幸せを感じとることができる。
正に、
「1人は2人にために2人はみんなのために」
の体現になるんだからすごいよね。
これこそが、社交ダンスというものが
私たち人間にプレゼントしてくれる最高の“真理”
社交ダンスに関わる者よ、
これを受け取らないとはなんてモッタイナイ!!
という話なのだ。
「そんな上手い話はあるわけない。
自己中わがままダンスが、何で相手のためになって、
みんなのためになるんだよ!?」
という声はあって当然だ。
誤解も生むだろうし、
ひょっとしたらその域に達した人にしか
本当には理解できないことなのかもしれない。
が、自分のカラダのパーツが
それぞれ思い通りに動くようになり、
相手や音楽とも一体化、
重力を味方につけ自在に踊れるようになってくると
「本当だね。
自分のために踊る、それしかないんだろうね」
とごく自然に思える自分と出会えるのである。
ワン・ピースで踊るカップルには、
目には見えない
(ソノ能力のある人になら
キレイに見えるかもしれないが)
が不思議な現象が起こっている。
それは、踊るにふさわしい調和された
エネルギー&パワーが循環
するサマだ。
1.まず一人の中での循環。
大地(床)とつながることで、そこからやってくる
※エネルギー&パワー(以下E&P)を自分の中に取り込む。
カラダのすべてのパーツがつながることで
そのE&Pが下から上へ上昇、身体の中をめぐって、
動きとして使った後、また大地(床)に戻される。
同様に音楽ともつながることで音楽から発せられるをE&P吸収。
身体の中をめぐる。
まずこのように、各自が床と音楽につながり調和し循環している。
※重力に拮抗する垂直のパワー
2.次に相手との循環。
集まったE&Pが、接触している
手・カラダを通して相手に与えられてゆく。
そのとき二人とも大地(床)とつながっているため、
大地(床)を通してもE&Pを与えあう。
例えば、男性から女性に対してリードというカタチで与えられた
E&Pは女性の身体をめぐり、運動を引き出す。
ほぼ同時に女性から男性へもフォローというカタチで
E&Pは伝わっている。
どちらもが、自立できている者同士
(自分のカラダの中で床と音楽からもらった
エネルギー&パワーを循環させることができる)
のダンスには、
「与えると同時に受け取る」
という関係が築かれている。
お互いにE&Pを相手から
一方的に奪われたり奪ったりすることがなく、
平和な楽しいダンス関係を続けることができるのだ。
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