2008.01.01 (第343話)社交ダンスが教えてくれたこと vol.1 ダンスは人生シンリ(真理・心理)
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エクササイズ&プラクティス集へ
まさか
元旦からブログやってないよなぁ~
と思いつつも開けてみると
お、やっぱやってるよぉ
そう、除夜の鐘を聞きながら更新ボタンを押しましたよ。
ということで、改めまして
新年明けまして
おめでとうございます!!
元旦から、
これをお読みくださっている方々がいらっしゃるなんて
本当にうれしいこと!!
ありがとうございます
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
特別シリーズ
社交ダンスが教えてくれたこと 人間美学そして哲学vol.1
ダンスは人生シンリ(真理・心理)
ゲームと心得る
見ってェ~
スンゴイタイトル名・・・カッコイイ!?
って、突然ですが、
社交ダンスが上手くなるということ
社交ダンスを教えるということ
に続く、
社交ダンス○○○○ことシリーズ第3弾
社交ダンスが教えてくれたこと
コレ、書きたかったんだよナァ、
自分自身のためにも。
なぜって、本当にいっぱいあるんだもんな、
社交ダンスサンから教えてもらったことって。
ダンス・テクニックはもちろんのこと
人体の構造や
カラダと精神との関わりや
この世界ならではの、
相手とのコミュニケーションから生み出される
さまざまな世界観、
なにげなーく歩き始めたダンスという道が
これほどまでに、生ナマしい実体験を伴った
“人間という不思議を解読していく道”
だったとはね・・・。
大げさじゃなく
“人間美学” そして “哲学”
といえるほどに深く、
面白い内容満載なんだもん。
私、ジュンコという人格なり体格なりの形成に、
ものスンゴク影響を与え、
今もなお最新再生させ続ける、
ソレは偉大なる知恵の授け親。
社交ダンスサン、
ありがとうって気持ちをこめて・・・
レッツ・ライティング!
ってことで、
これからも“ちょっと中休みエッセイ”風に
前触れナシのいきなり登場
なぁんてことになるやもしれませんゆえ、
よ・ろ・し・く!
で、今回はその1回目。
ズバリ!
「ダンスは人生シンリ(真理・心理)ゲーム」だぁ!
つまりは、
これからのシリーズ化に向けての
“序章”ってことでお願いしやす。
さて、今は小学生でも社交ダンスができる時代だけど
(以前は風俗営業法により18歳未満は禁止だったモンね)
こと社交ダンスに関しては
「大人のための人生シンリゲーム」
として捉えるほうが断然面白い!
と、私、思っちゃうんですネェ。
このシンリには、
真理と心理がかかっている。
真理は「いつどんなときにも変わることのない、
正しい物事の筋道。真実の道理」
心理は「心の働きやありさま。精神の状態」
どちらも日々の実用としては超重要事項だけど、
学校の授業では絶対に教えてくれないもの。
いや、習ってきたのかもしれないんだけど、
体験が伴わない間に頭での理解を促されたところで、
本当の納得には至らなかったハズってモン。
それにね、人から習ったところで
「そんなもの知ったってどうしようもない」
ものかもしれないし、
人によっては
「普通に暮らしてゆくには関係ない」
ものと思っちゃうシロモノでもあるんだな。
でもどんなに知らんフリしようと、
真理・心理は存在している。
もっとも、
どんなに努力しても
自分の力では変えることのできない
確固たる事実という
冷たい存在でしかないかもしれないが、
ただ、それに向かって探求していく道のりは
真に価値があるものだって、
みんなどこかで分かっている・・・。
真理だの心理だのって、
ある意味、ウサンクサソーなムードもありで、
難しく解釈すればトコトンまでいっちゃいそーな、
手ごわさもあるけれど
分かってくれば本当に面白いし、
生きてゆくのが今よりズット楽になるはずなんだ。
そんな真理・心理の探究が
ホントーにダンスの中でできるってなら
素晴らしい! と思いません?
コレをお読みくださっている方々の中にも、
ダンスと言うゲームの中には
実にたくさんの人生的な学びが隠されている
ってことをお気づきの面々、
すでにたくさんいらっしゃるかもしんないね。
色々な人生経験を積んでいる人のほうがそのこと
(ダンスの中における人生的な学び)
に気づきやすいのではないかとは思うけれど。
しかもそれは決して
「お仕着せ=強制」の学習ではないから
余計に興味深いものなんだ。
日本における社交ダンスの歴史自体もそう長くはない分、
「~道」といった習い事のように伝承するべき大切な
「文化的意識」なるものの確立はまだされてはいないため、
ダンスから何を学ぶか
何を受け取るかは
その人自身の見方によって
大きく変わってくるんだな。
言い換えれば、
ダンスそのものが持っている意味・意義はまだ、
あんまりなくて
その人自身のダンスへの取り組み方・心構え
つまり「姿勢」次第で、
ソレ(意味・意義)は大きく変わってくる・・・
人によって全くベツモノとなっちゃうんだ。
だからこそダンスは
「大人のための人生シンリゲーム」になりうるんだ。
全く違う価値観の人間たちがダンスの名の下に集ってきて、
アレヤコレヤが始まる・・・
だから勉強なのだ。
と、いう風に考えれば
例えばダンスサークルの一クラスは、
いわば「人生シンリゲーム」に参加すべく集合し、
一緒に真理と心理を学んでいく
小学校の一クラスみたいなものだろうね。
では、チョイ学びの課程を見てみよう。
ダンスの中では自分にとって都合の悪いことが、
それはモウ頻繁に起こる。
一緒に組んで踊っている相手が、
自分の行きたい方向へと行ってくれない、
音楽を外す、
力で振り回して勝手に踊りだす、
機械的な心を伴わない踊りをする・・
相手だけではない。
そうだ、一番言うことを聞いてくれないのは
「自分のカラダ」だ。
思うようにちっともなってくれない。
ハァーとため息。
どれもこれもみんな事件だ! 問題だ! さぁどうする?
実はこんなときこそ、
ダンスの中で学べる真理・心理を知るチャンスなんだな。
なぜなら、その勃発してくる事件・問題こそが、
あなたが成長するために、
特別にあなたのために用意された
“課題”“テスト”だからだ。
課題をクリアし、テストに合格するためのポイントは、
どんな問題が起こっても
自分自身のこととして解釈しなおす
そして絶対、
ソコから学ぶべきものは
アルと知ること
・・・かな。
周りや相手や自分のカラダに責任を押し付けることなく
「もっと自分にできることはないか?」
を常に探しだし、
アクシデントを回避できるなんて
すごくカッコいいことではないか!
また、イライラせずに相手を、
また自分のカラダをジーッと観察することによって
「なぜそんなことをするのか」が見えてきて、
それら(相手や自分のカラダ)のことを理解することで
相互理解への道を切り開こうとするなんてことを
サァッとやってのけられたら、素敵じゃない!?
「なんでソーなるんだよ!」
「あんな踊りされたら、こっちが困るわよ!」
と、怒ってしまうより
ズット健全な問題解決に至るのではないかと思うのよね。
「大人のための人生シンリゲーム」の
上級者にはある特長がある
また、反対にその特長が現れるようになることで、
その人は上級者の仲間入りぃ~
とみなされるようになるんだけれどもね。
って、ソレは
“内的安定性”が育ってくる・・・こと。
ダンス的に言えば、
「センター=中心がある踊りになってきた」とか
「シッカリと
グラウンディングできる(床に立てる)ようになったね」
とかいった変化になる。
バラバラに存在していたダンス・テクニックが、
センターを通し、
つながってくるという意味でもあるんだ。
精神的変化もアル。
内的安定性が育ってくると、
外側で起こっている
さまざまな試練・問題・アクシデントを
すべて客観的な目で
捉えることができようになってくる。
そして
1. 自分の力で変化可能、
影響を与えることができると判断→勇気を持って実行!
2. 自分の今現在の力では、
無理、影響を与えられないと判断→見方を変えてゆく
3. 上記2つをちゃんと判断できるくらいに、
いつも落ち着いた存在でいられる
こうなってくると、例えば
踊っているとき(男性)相手(女性)が
左ホールドを重く押さえてきても
「もうしょうがないナァ」
って早々にあきらめたりしないで
かといって、
我慢をして無理やりチカラでホールドを張ろうとせず、
まず、
「自分の力量で変更可能かどうか」を判断し、
こりゃ難しいなと見るや
「女性の重みに逆らって
肩の力のみで持ち上げても到底支えられない」
と診断を下し
見方を変え、
「手、腕の力はかえって抜いて、
重心の位置をさらに下げ、
相手の重みを床から支えるテクニックに切り替える」
なぁんてことが、
冷静にしかも瞬間的にできるようになるだろう。
興味深いことにコウいうことができるようになれば、
ダンスの中だけではないすべての人生的アクシデント
(包丁で指を切る・水たまりに
落っこちるといった小さな事件から、
命に関わる病気、不慮の事故、
人の死、降りかかってくる理不尽な災難)
との遭遇に際し、
より良い解釈ができるようになり、
表面に現れている事象にとらわれることなく
もっと本質的な深い理解が
できるようになってくるに違いないんだな。
ってな感じで、
「たかがダンス、されどダンス・・・
ダンスって奥深くって、やめられねぇんだよなぁ」
って、お話、実話体験を交えつつ、時折のご紹介、
乞うご期待!!
(していただけると、うれしいな♥)
続く 第344話へ
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社交ダンスを教えるということ
に続く、
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社交ダンスが教えてくれたこと
コレ、書きたかったんだよナァ、
自分自身のためにも。
なぜって、本当にいっぱいあるんだもんな、
社交ダンスサンから教えてもらったことって。
ダンス・テクニックはもちろんのこと
人体の構造や
カラダと精神との関わりや
この世界ならではの、
相手とのコミュニケーションから生み出される
さまざまな世界観、
なにげなーく歩き始めたダンスという道が
これほどまでに、生ナマしい実体験を伴った
“人間という不思議を解読していく道”
だったとはね・・・。
大げさじゃなく
“人間美学” そして “哲学”
といえるほどに深く、
面白い内容満載なんだもん。
私、ジュンコという人格なり体格なりの形成に、
ものスンゴク影響を与え、
今もなお最新再生させ続ける、
ソレは偉大なる知恵の授け親。
社交ダンスサン、
ありがとうって気持ちをこめて・・・
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ってことで、
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前触れナシのいきなり登場
なぁんてことになるやもしれませんゆえ、
よ・ろ・し・く!
で、今回はその1回目。
ズバリ!
「ダンスは人生シンリ(真理・心理)ゲーム」だぁ!
つまりは、
これからのシリーズ化に向けての
“序章”ってことでお願いしやす。
さて、今は小学生でも社交ダンスができる時代だけど
(以前は風俗営業法により18歳未満は禁止だったモンね)
こと社交ダンスに関しては
「大人のための人生シンリゲーム」
として捉えるほうが断然面白い!
と、私、思っちゃうんですネェ。
このシンリには、
真理と心理がかかっている。
真理は「いつどんなときにも変わることのない、
正しい物事の筋道。真実の道理」
心理は「心の働きやありさま。精神の状態」
どちらも日々の実用としては超重要事項だけど、
学校の授業では絶対に教えてくれないもの。
いや、習ってきたのかもしれないんだけど、
体験が伴わない間に頭での理解を促されたところで、
本当の納得には至らなかったハズってモン。
それにね、人から習ったところで
「そんなもの知ったってどうしようもない」
ものかもしれないし、
人によっては
「普通に暮らしてゆくには関係ない」
ものと思っちゃうシロモノでもあるんだな。
でもどんなに知らんフリしようと、
真理・心理は存在している。
もっとも、
どんなに努力しても
自分の力では変えることのできない
確固たる事実という
冷たい存在でしかないかもしれないが、
ただ、それに向かって探求していく道のりは
真に価値があるものだって、
みんなどこかで分かっている・・・。
真理だの心理だのって、
ある意味、ウサンクサソーなムードもありで、
難しく解釈すればトコトンまでいっちゃいそーな、
手ごわさもあるけれど
分かってくれば本当に面白いし、
生きてゆくのが今よりズット楽になるはずなんだ。
そんな真理・心理の探究が
ホントーにダンスの中でできるってなら
素晴らしい! と思いません?
コレをお読みくださっている方々の中にも、
ダンスと言うゲームの中には
実にたくさんの人生的な学びが隠されている
ってことをお気づきの面々、
すでにたくさんいらっしゃるかもしんないね。
色々な人生経験を積んでいる人のほうがそのこと
(ダンスの中における人生的な学び)
に気づきやすいのではないかとは思うけれど。
しかもそれは決して
「お仕着せ=強制」の学習ではないから
余計に興味深いものなんだ。
日本における社交ダンスの歴史自体もそう長くはない分、
「~道」といった習い事のように伝承するべき大切な
「文化的意識」なるものの確立はまだされてはいないため、
ダンスから何を学ぶか
何を受け取るかは
その人自身の見方によって
大きく変わってくるんだな。
言い換えれば、
ダンスそのものが持っている意味・意義はまだ、
あんまりなくて
その人自身のダンスへの取り組み方・心構え
つまり「姿勢」次第で、
ソレ(意味・意義)は大きく変わってくる・・・
人によって全くベツモノとなっちゃうんだ。
だからこそダンスは
「大人のための人生シンリゲーム」になりうるんだ。
全く違う価値観の人間たちがダンスの名の下に集ってきて、
アレヤコレヤが始まる・・・
だから勉強なのだ。
と、いう風に考えれば
例えばダンスサークルの一クラスは、
いわば「人生シンリゲーム」に参加すべく集合し、
一緒に真理と心理を学んでいく
小学校の一クラスみたいなものだろうね。
では、チョイ学びの課程を見てみよう。
ダンスの中では自分にとって都合の悪いことが、
それはモウ頻繁に起こる。
一緒に組んで踊っている相手が、
自分の行きたい方向へと行ってくれない、
音楽を外す、
力で振り回して勝手に踊りだす、
機械的な心を伴わない踊りをする・・
相手だけではない。
そうだ、一番言うことを聞いてくれないのは
「自分のカラダ」だ。
思うようにちっともなってくれない。
ハァーとため息。
どれもこれもみんな事件だ! 問題だ! さぁどうする?
実はこんなときこそ、
ダンスの中で学べる真理・心理を知るチャンスなんだな。
なぜなら、その勃発してくる事件・問題こそが、
あなたが成長するために、
特別にあなたのために用意された
“課題”“テスト”だからだ。
課題をクリアし、テストに合格するためのポイントは、
どんな問題が起こっても
自分自身のこととして解釈しなおす
そして絶対、
ソコから学ぶべきものは
アルと知ること
・・・かな。
周りや相手や自分のカラダに責任を押し付けることなく
「もっと自分にできることはないか?」
を常に探しだし、
アクシデントを回避できるなんて
すごくカッコいいことではないか!
また、イライラせずに相手を、
また自分のカラダをジーッと観察することによって
「なぜそんなことをするのか」が見えてきて、
それら(相手や自分のカラダ)のことを理解することで
相互理解への道を切り開こうとするなんてことを
サァッとやってのけられたら、素敵じゃない!?
「なんでソーなるんだよ!」
「あんな踊りされたら、こっちが困るわよ!」
と、怒ってしまうより
ズット健全な問題解決に至るのではないかと思うのよね。
「大人のための人生シンリゲーム」の
上級者にはある特長がある
また、反対にその特長が現れるようになることで、
その人は上級者の仲間入りぃ~
とみなされるようになるんだけれどもね。
って、ソレは
“内的安定性”が育ってくる・・・こと。
ダンス的に言えば、
「センター=中心がある踊りになってきた」とか
「シッカリと
グラウンディングできる(床に立てる)ようになったね」
とかいった変化になる。
バラバラに存在していたダンス・テクニックが、
センターを通し、
つながってくるという意味でもあるんだ。
精神的変化もアル。
内的安定性が育ってくると、
外側で起こっている
さまざまな試練・問題・アクシデントを
すべて客観的な目で
捉えることができようになってくる。
そして
1. 自分の力で変化可能、
影響を与えることができると判断→勇気を持って実行!
2. 自分の今現在の力では、
無理、影響を与えられないと判断→見方を変えてゆく
3. 上記2つをちゃんと判断できるくらいに、
いつも落ち着いた存在でいられる
こうなってくると、例えば
踊っているとき(男性)相手(女性)が
左ホールドを重く押さえてきても
「もうしょうがないナァ」
って早々にあきらめたりしないで
かといって、
我慢をして無理やりチカラでホールドを張ろうとせず、
まず、
「自分の力量で変更可能かどうか」を判断し、
こりゃ難しいなと見るや
「女性の重みに逆らって
肩の力のみで持ち上げても到底支えられない」
と診断を下し
見方を変え、
「手、腕の力はかえって抜いて、
重心の位置をさらに下げ、
相手の重みを床から支えるテクニックに切り替える」
なぁんてことが、
冷静にしかも瞬間的にできるようになるだろう。
興味深いことにコウいうことができるようになれば、
ダンスの中だけではないすべての人生的アクシデント
(包丁で指を切る・水たまりに
落っこちるといった小さな事件から、
命に関わる病気、不慮の事故、
人の死、降りかかってくる理不尽な災難)
との遭遇に際し、
より良い解釈ができるようになり、
表面に現れている事象にとらわれることなく
もっと本質的な深い理解が
できるようになってくるに違いないんだな。
ってな感じで、
「たかがダンス、されどダンス・・・
ダンスって奥深くって、やめられねぇんだよなぁ」
って、お話、実話体験を交えつつ、時折のご紹介、
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