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チョット中休み エッセイvol.6
ワルツの体感
~競技用ワルツ? 社交用ワルツ? ③~
アレから(競技選手をやめ、
ダンスを教授することのみになってから)
15年
今、私の中での
“ワルツ”は大きく変貌を遂げている。
ん、どの変が一番変わったのかって?
それは・・・
“体感”
ワルツを踊っているときに、
自分のカラダを味わう量が
圧倒的に増えたのだ。
少し詳しく話しておこう。
その体感って大きく3種類に分かれるんだ。
1つ目は、
音楽からの刺激によるもの。
スイング・ターン・スウェイ・・
音楽を“聞く”から
“聴く”にシフトすること(第15話)によって、
ワルツの基礎テクニックといわれるものが、
実はミュージックから誕生したんだってことが、
よく分かるようになったんだ。
筋肉を固め、
ただただ一生懸命に足で動いていただけの頃には、
どんな音楽がかかっても
いつも同じ動きをしていただろうし、
とにかくエライせわしなかった。
ところが、
音楽という刺激に対して
カラダが反応した分だけ動く
にとどめ、そして
その集合体としての“踊る”という行為を成す
・・・チト難しいがソンナ訓練を繰り返した結果、
「今までは音楽とは関係のない
イラン動きをいっぱいしていたんだな」
「音楽を良く聴いて
カラダの中で踊ることができるようになると、
アラ?不思議。
音楽がゆっくり聴こえるよ」
てなことが分かってきたんだ。
また、ホールドを作るというアクションも、
ただ単に筋肉でコウやってアアやって作る
・・・なんてことはやめた。
むやみに固めたり、張ったりすると、
音楽を“ハネテしまう”ことが分かったからだ。
ホールドの形成には
音楽からの刺激が
スッゴイ影響を与えている
言うなれば、音楽が皮膚にしみこみ、
カラダの内側を満たし、
そのエネルギーを栄養としてスクスク育ち、
やがて咲く大輪の花のようなホールドに
・・・といった具合に。
そうやって出来上がったホールドは、
いくらワイド&ストロング(大きく強い)でも
ソフトでカンファタブル(柔らかく心地よい)
なものであることも、体験済みだ。
体感2つ目は、
相手からの刺激によるもの。
競技で頑張っていた頃は、
相手との関わりといっても、
あらかじめ決められてあるステップの
順番どおりの中でのリード&フォローだったし、
しかも外への表現が多くなる分、
ソレさえも甘くなってしまうことが多く、
今から思えば、
「リーダーのことなんてナーンにも感じていない」
に等しいほどの情報量しか
(相手から)受け取っていなかったなって思うんだ。
「ステップやらテクニックやら・・
ほかにやるべきことがいっぱいあったんだもん」
“あなた”と共にダンスを作るとか、
二人で力を合わせて踊る・・なんて言葉だけ、
「アーン、もう、あんたが邪魔で踊れないのよ!」
なんていう“おたがい様”事態も
いっぱいあったように思うんだな。
それが、
競技選手をやめ、
ユッタリとワルツに取り組み始めてみて
一緒に踊る相手との間に
目に見えない“やり取り”を
すごく感じるようになったんだ。
そのやり取りは “リード&フォロー”とは
まだ呼べないくらいに
微弱・精妙(きわめて細かく巧み)なものも含めてだ。
うーん、例えて言えば、
言葉になる以前の原初の
“音”といったようなもの。
例えば、
相手の体温・息遣い・カラダの中にある固有のリズム・・
ソノ人の体内での何らかの変化が、
結果ダンスというアクションを生み続けるプロセスを
感じ取れるようになってきたのだ。
究極、相手が今一体何を思っているか、
そんな感情の粒のようなものが、
実はダンスのある部分を
請け負って形作っている・・・
てなことさえ感じられるようになってきたんだ。
体感の3つ目は、
自分のカラダ自体から発せられるモノだ。
現役時代これの感覚が何よりもなかったと思う・・
って、一番身近なものなのにね。
いや、身近すぎてかえって拾いにくいんだ。
競技スタイルを作るのに、
カラダを力ませてしまっていたから
意識的に感覚を拾おうとしないと、
わっかんないほどに
自分のカラダからの発信を
キャッチできなくなっていたんだな。
そういや、
学連のときにワルツを踊っているとき拾っていた、
自分のカラダ感覚ってどんなだったろう?
「グッと伸ばしている首と、
ホールドを張っている感覚はあったナァ。
あと、足。
一生懸命、使っていたんだろうけど、
うーん、あんまし覚えていないや」
が、ホントの気持ちなんだもん。
プロの現役で踊っていた頃にしても、五十歩百歩。
テクニック量は学連の頃より半端じゃなく増えたけど、
ソレよって、かえって自分からの
内側からの
“素の体感”は余計に薄れていったように思うんだ。
さて、ようやくカラダ探索が進んできた今、思うに、
自分のカラダの中が感じられるほどに、
つまり、
自分のことが自分で分かるほどに、
音楽との関わりも相手との関わりも濃くなっていく・・・
コミュニケーションレベルが
向上していく実感があるんだな。
ワルツとは
音楽であり
相手と踊った感覚であり
それらをひっくるめた
自分自身の感覚である・・・
あ~これこそが競技をやるにしても
ものすごく必要なことであり、
その自分に対する繊細さで持って
相手と関わることを勉強することが
社交用ダンスにも絶対的に
つながっていくんだろうなって分かり始めたのは、
まだまだ近年だけれどね。
競技スタイルワルツも社交スタイルワルツも
原点として戻るべきところ、
そして到達するべきところは、
全く一緒なんだって
思うようになったってことんなんだ。
え?ソレはどこかって?
ワルツという音楽の源泉の表現を
まず個々が
そして次に二人で体現すること
・・・かな。
私は今、競技はやっていないし、
これからもやることはないのだが、
競技スタイル=
イングリッシュスタイルの“本質”には
現役選手であった頃以上に
(また別の角度からではあるが)
大いに興味があるし、
もっともっと知りたいし、
できる限り上手くなりたい!!
そして、あのロンドン留学で触れた
一流のダンスに1歩でも多く近づきたい!
ソウ思っているんだ。
その思いが絶えない限り、
私と同じ夢をもち、希望をもち続ける、
生徒さんたちとも共に過ごし、
歩んでいけるとも思っているよ。
続く 第238話へ
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~競技用ワルツ? 社交用ワルツ? ③~
アレから(競技選手をやめ、
ダンスを教授することのみになってから)
15年
今、私の中での
“ワルツ”は大きく変貌を遂げている。
ん、どの変が一番変わったのかって?
それは・・・
“体感”
ワルツを踊っているときに、
自分のカラダを味わう量が
圧倒的に増えたのだ。
少し詳しく話しておこう。
その体感って大きく3種類に分かれるんだ。
1つ目は、
音楽からの刺激によるもの。
スイング・ターン・スウェイ・・
音楽を“聞く”から
“聴く”にシフトすること(第15話)によって、
ワルツの基礎テクニックといわれるものが、
実はミュージックから誕生したんだってことが、
よく分かるようになったんだ。
筋肉を固め、
ただただ一生懸命に足で動いていただけの頃には、
どんな音楽がかかっても
いつも同じ動きをしていただろうし、
とにかくエライせわしなかった。
ところが、
音楽という刺激に対して
カラダが反応した分だけ動く
にとどめ、そして
その集合体としての“踊る”という行為を成す
・・・チト難しいがソンナ訓練を繰り返した結果、
「今までは音楽とは関係のない
イラン動きをいっぱいしていたんだな」
「音楽を良く聴いて
カラダの中で踊ることができるようになると、
アラ?不思議。
音楽がゆっくり聴こえるよ」
てなことが分かってきたんだ。
また、ホールドを作るというアクションも、
ただ単に筋肉でコウやってアアやって作る
・・・なんてことはやめた。
むやみに固めたり、張ったりすると、
音楽を“ハネテしまう”ことが分かったからだ。
ホールドの形成には
音楽からの刺激が
スッゴイ影響を与えている
言うなれば、音楽が皮膚にしみこみ、
カラダの内側を満たし、
そのエネルギーを栄養としてスクスク育ち、
やがて咲く大輪の花のようなホールドに
・・・といった具合に。
そうやって出来上がったホールドは、
いくらワイド&ストロング(大きく強い)でも
ソフトでカンファタブル(柔らかく心地よい)
なものであることも、体験済みだ。
体感2つ目は、
相手からの刺激によるもの。
競技で頑張っていた頃は、
相手との関わりといっても、
あらかじめ決められてあるステップの
順番どおりの中でのリード&フォローだったし、
しかも外への表現が多くなる分、
ソレさえも甘くなってしまうことが多く、
今から思えば、
「リーダーのことなんてナーンにも感じていない」
に等しいほどの情報量しか
(相手から)受け取っていなかったなって思うんだ。
「ステップやらテクニックやら・・
ほかにやるべきことがいっぱいあったんだもん」
“あなた”と共にダンスを作るとか、
二人で力を合わせて踊る・・なんて言葉だけ、
「アーン、もう、あんたが邪魔で踊れないのよ!」
なんていう“おたがい様”事態も
いっぱいあったように思うんだな。
それが、
競技選手をやめ、
ユッタリとワルツに取り組み始めてみて
一緒に踊る相手との間に
目に見えない“やり取り”を
すごく感じるようになったんだ。
そのやり取りは “リード&フォロー”とは
まだ呼べないくらいに
微弱・精妙(きわめて細かく巧み)なものも含めてだ。
うーん、例えて言えば、
言葉になる以前の原初の
“音”といったようなもの。
例えば、
相手の体温・息遣い・カラダの中にある固有のリズム・・
ソノ人の体内での何らかの変化が、
結果ダンスというアクションを生み続けるプロセスを
感じ取れるようになってきたのだ。
究極、相手が今一体何を思っているか、
そんな感情の粒のようなものが、
実はダンスのある部分を
請け負って形作っている・・・
てなことさえ感じられるようになってきたんだ。
体感の3つ目は、
自分のカラダ自体から発せられるモノだ。
現役時代これの感覚が何よりもなかったと思う・・
って、一番身近なものなのにね。
いや、身近すぎてかえって拾いにくいんだ。
競技スタイルを作るのに、
カラダを力ませてしまっていたから
意識的に感覚を拾おうとしないと、
わっかんないほどに
自分のカラダからの発信を
キャッチできなくなっていたんだな。
そういや、
学連のときにワルツを踊っているとき拾っていた、
自分のカラダ感覚ってどんなだったろう?
「グッと伸ばしている首と、
ホールドを張っている感覚はあったナァ。
あと、足。
一生懸命、使っていたんだろうけど、
うーん、あんまし覚えていないや」
が、ホントの気持ちなんだもん。
プロの現役で踊っていた頃にしても、五十歩百歩。
テクニック量は学連の頃より半端じゃなく増えたけど、
ソレよって、かえって自分からの
内側からの
“素の体感”は余計に薄れていったように思うんだ。
さて、ようやくカラダ探索が進んできた今、思うに、
自分のカラダの中が感じられるほどに、
つまり、
自分のことが自分で分かるほどに、
音楽との関わりも相手との関わりも濃くなっていく・・・
コミュニケーションレベルが
向上していく実感があるんだな。
ワルツとは
音楽であり
相手と踊った感覚であり
それらをひっくるめた
自分自身の感覚である・・・
あ~これこそが競技をやるにしても
ものすごく必要なことであり、
その自分に対する繊細さで持って
相手と関わることを勉強することが
社交用ダンスにも絶対的に
つながっていくんだろうなって分かり始めたのは、
まだまだ近年だけれどね。
競技スタイルワルツも社交スタイルワルツも
原点として戻るべきところ、
そして到達するべきところは、
全く一緒なんだって
思うようになったってことんなんだ。
え?ソレはどこかって?
ワルツという音楽の源泉の表現を
まず個々が
そして次に二人で体現すること
・・・かな。
私は今、競技はやっていないし、
これからもやることはないのだが、
競技スタイル=
イングリッシュスタイルの“本質”には
現役選手であった頃以上に
(また別の角度からではあるが)
大いに興味があるし、
もっともっと知りたいし、
できる限り上手くなりたい!!
そして、あのロンドン留学で触れた
一流のダンスに1歩でも多く近づきたい!
ソウ思っているんだ。
その思いが絶えない限り、
私と同じ夢をもち、希望をもち続ける、
生徒さんたちとも共に過ごし、
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