2007.01.25 (第2話) 私が社交ダンスを始めた“本当の理由” Ⅱ
目次へ
私にきつーい“洗礼”を施してくれたこの時の先輩方は、卒業後そのままゴールイン。
お祝いに駆けつけたところまでは記憶がある。
その後のダンス人生の中で、
それはもうたくさんのすごいダンスと出会ってきたけれど、
私の中ではこの時の“ワルツ”がいまだ破られない最高・ピカ1なんですよねぇ。
私の人生を変えた、ダンスシーン。
今思い出してもジーンと胸が熱くなります。
(その後卒業までの4年間のさまざまな思い出が、引っ張りだされてきそうになることも。関西大学社交ダンス部、万歳。私のダンスのルーツがいっぱい詰まっている・・・)
→→→ここで、わが愛する生徒さんたちへの提言
社交ダンスは人の潜在意識にガンガン訴えかけてくる凄さがある。
「あなたのダンスを見て感動した。自分の中の何かが変わった」
なんてことは充分起こりうる。
(雲の上のプロのダンスよりも“感動的なダンス”があなたたちには可能なのですよ!)
見るだけでそうなんだから、触れ合って踊ることはもっとス・ゴ・イ!!
ということを、今一度思い返して欲しいのです。
たった1回一緒に踊るだけで、「人生が変わった!」となっちゃう人も。
その人の思い出の中で“あなた”が生き続けるなんて素敵だとは思いませんか?
・・・てな思いで日々精進するのもいかがでしょう?
当時の4回生の先輩はそのカップルを含めて4組いたんだけれど、
どの人たちも、お・と・な 素敵!
新入部員の私にとってダンスの神様のような存在。
もう、絶対的な人たちだった。
面白いことに、いまだにソウ思っているところがあるのよね。
私の中では、マーカス・ヒルトンやホーキンス組より上位ランクであったりする。
ものすごく、美化しているってワケです。
実際、その方たちから受けた手ほどきは、捨てられないテクニックとして体に染み付き、後々まで困っちゃった経験さえあるのですから。
(あの頃は体を固めて、一生懸命に上を向いて、必死で踊っていましたもの)
ウーン「※すりこみ」って恐いなぁ。
※生まれたばかりの動物、特に鳥類で多くみられる一種の学習。目の前を動く物体を親として覚え込み、以後それに追従して、一生愛着を示す現象。「ヤフーの辞書より」
おっと、話がそれてしまった。
「私が社交ダンスを始めた本当の理由について」
で、また話が冒頭の先輩の“ワルツ”シーンに戻るのですが、
あの時味わった不思議な感動、ドキドキ感は、今もすぐ手の届くところにあって、
ある意味、私がダンスを今もなお続けられている純粋な原動力にもなっている。
原点は「男女の最高の仲むつまじき行為」「オンリーラブ♥のコミュニケーション」・・・
そういえば、世界ラテンチャンピオン、敬愛していたドニー・バーンズ氏もダンスで最も大切なことは「セクシュアリティー」だって豪語していたなぁ…
ん?ちょっと待って。
そんな「セクシュアリティー」だなんて、
あのお堅いウチの両親(特におかあさん)が許すわけないでしょ!
テレビのラブシーンを見るや
「ホンマにぃ、いやらしいなぁ~」
というような“禁句”を口にし、
家族の集う楽しい夕餉の空間にいたたまれない空気を流し続け、
思春期の娘2人のハートにちっちゃな傷をつけてきた、わが母よ。
男女交際なんてしようものなら、
「えらいマセてるなぁ、今の子は」
「私らの娘時分は手を握ることはおろか、口きくことも恥じらっていたのに」
そんな母に
「社交ダンスしたいネン」
なんて打ち明けようものなら、
途端に眉間にシワを寄せ
「まぁ~」
「ジュンコ、悪いこと言わへんから、やめときなさい!」
「親の言うこと聞いていたら、間違いないって」
ア~悲しそう・苦しそうな顔が浮かんでくるよ。
どうしようかなぁ…
ちなみに、この「どうしようかなぁ…」は、
社交ダンス部はやめておこうか、いや、入ろうかの
レベルでの迷いではすでに、ない。
なぜって、もう心は決まっていたから。
何と言って親を説得しようか、という話でももはやない。
ジャ、何についての「どうしようかなぁ…」かというと…
続く 第3話へ
応援クリックありがとうございます。
私にきつーい“洗礼”を施してくれたこの時の先輩方は、卒業後そのままゴールイン。
お祝いに駆けつけたところまでは記憶がある。
その後のダンス人生の中で、
それはもうたくさんのすごいダンスと出会ってきたけれど、
私の中ではこの時の“ワルツ”がいまだ破られない最高・ピカ1なんですよねぇ。
私の人生を変えた、ダンスシーン。
今思い出してもジーンと胸が熱くなります。
(その後卒業までの4年間のさまざまな思い出が、引っ張りだされてきそうになることも。関西大学社交ダンス部、万歳。私のダンスのルーツがいっぱい詰まっている・・・)
→→→ここで、わが愛する生徒さんたちへの提言
社交ダンスは人の潜在意識にガンガン訴えかけてくる凄さがある。
「あなたのダンスを見て感動した。自分の中の何かが変わった」
なんてことは充分起こりうる。
(雲の上のプロのダンスよりも“感動的なダンス”があなたたちには可能なのですよ!)
見るだけでそうなんだから、触れ合って踊ることはもっとス・ゴ・イ!!
ということを、今一度思い返して欲しいのです。
たった1回一緒に踊るだけで、「人生が変わった!」となっちゃう人も。
その人の思い出の中で“あなた”が生き続けるなんて素敵だとは思いませんか?
・・・てな思いで日々精進するのもいかがでしょう?
当時の4回生の先輩はそのカップルを含めて4組いたんだけれど、
どの人たちも、お・と・な 素敵!
新入部員の私にとってダンスの神様のような存在。
もう、絶対的な人たちだった。
面白いことに、いまだにソウ思っているところがあるのよね。
私の中では、マーカス・ヒルトンやホーキンス組より上位ランクであったりする。
ものすごく、美化しているってワケです。
実際、その方たちから受けた手ほどきは、捨てられないテクニックとして体に染み付き、後々まで困っちゃった経験さえあるのですから。
(あの頃は体を固めて、一生懸命に上を向いて、必死で踊っていましたもの)
ウーン「※すりこみ」って恐いなぁ。
※生まれたばかりの動物、特に鳥類で多くみられる一種の学習。目の前を動く物体を親として覚え込み、以後それに追従して、一生愛着を示す現象。「ヤフーの辞書より」
おっと、話がそれてしまった。
「私が社交ダンスを始めた本当の理由について」
で、また話が冒頭の先輩の“ワルツ”シーンに戻るのですが、
あの時味わった不思議な感動、ドキドキ感は、今もすぐ手の届くところにあって、
ある意味、私がダンスを今もなお続けられている純粋な原動力にもなっている。
原点は「男女の最高の仲むつまじき行為」「オンリーラブ♥のコミュニケーション」・・・
そういえば、世界ラテンチャンピオン、敬愛していたドニー・バーンズ氏もダンスで最も大切なことは「セクシュアリティー」だって豪語していたなぁ…
ん?ちょっと待って。
そんな「セクシュアリティー」だなんて、
あのお堅いウチの両親(特におかあさん)が許すわけないでしょ!
テレビのラブシーンを見るや
「ホンマにぃ、いやらしいなぁ~」
というような“禁句”を口にし、
家族の集う楽しい夕餉の空間にいたたまれない空気を流し続け、
思春期の娘2人のハートにちっちゃな傷をつけてきた、わが母よ。
男女交際なんてしようものなら、
「えらいマセてるなぁ、今の子は」
「私らの娘時分は手を握ることはおろか、口きくことも恥じらっていたのに」
そんな母に
「社交ダンスしたいネン」
なんて打ち明けようものなら、
途端に眉間にシワを寄せ
「まぁ~」
「ジュンコ、悪いこと言わへんから、やめときなさい!」
「親の言うこと聞いていたら、間違いないって」
ア~悲しそう・苦しそうな顔が浮かんでくるよ。
どうしようかなぁ…
ちなみに、この「どうしようかなぁ…」は、
社交ダンス部はやめておこうか、いや、入ろうかの
レベルでの迷いではすでに、ない。
なぜって、もう心は決まっていたから。
何と言って親を説得しようか、という話でももはやない。
ジャ、何についての「どうしようかなぁ…」かというと…
続く 第3話へ

応援クリックありがとうございます。