2007.02.08 (第16話) コンプレックスと向き合うとき・・・前編
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どんなに恵まれているように見える人でも、
“意外なコンプレックスに悩んでいる”
なんてことはよくありまして。
この場合のコンプレックスとは、一般的に使われている、
劣等感=自分が他人より劣っているという感情って思ってもらったら良いんだけど。
例えば、
「体の割に足が細すぎるところ。
なんか、ウィーク(=弱々しく)に見えちゃうのよね」
「イカリ肩で首がナイ! タートルネックなんか着たら埋もれちゃう」
「ボン・キュッ・ボンからは、ほど遠い、
胸もお尻もない、薄っぺらなシルエット。イヤだ!」
「かなりの0脚、それに外またで歩くところ。カッコわるぅー」
「すぐに緊張して、力んじゃう癖。体もめっちゃ固い!!
開脚はおろか、前屈しても手のひらは床から遥かに遠く・・・」
実はコレ、
何を隠そう大学当時のワ・タ・シが持っていたコンプレックスの数々。
なんて話を生徒さんに言うと、
「またぁ、ウソでしょ?」
「信じられない!! 私たちを勇気づけようとして言ってハルんでしょ」
などとエラク混乱を招いちゃうんだけれど、
もちろんすべて本当の話。
正直なところ、いまだ自分に対するコンプレックスというか、
自己愛の欠損というかは、結構持っている。
自分に対する感受性が強い分、
「あ、ダメ」なんてところをすぐに捕まえて、人知れず悩んだり、後悔したり。
ネガティブシンキング・ジュンコになっちゃうこともしょっちゅうだ。
ただ昔と違うところは、
「エーイ変えてやる!」と無理やりがんばったり、
「どうせ、私なんか・・・」とあきらめムードに陥ったり、
反対に、
「自分のことを好きになってあげなくちゃ」と必死になってもがき始めたり、
といった精神的なブレがずいぶんなくなってきたという点かな。
それは、プロになり、しばらくしてから、
偶然出合ったある本がキッカケで、
「あ、そうか。コンプレックスって憎むべきものではなくて、
大切なメッセージだったんだ」
って気がついたから。
おそらくコンプレックスに対してのイメージが変わっちゃったんだ思う。
その本にはこんなことが書いてあった。
「魂は、インカーネイト(受肉)するときに、自らの使命を果たすために必要な
“肉体”を※ガイドスピリットと綿密に打ち合わせをしながら作っていく」
※いわゆる今はやりの守護指導霊
ハァっ??
ってことは、このカラダ、自分でわざわざ選んだってワケ?
自分の体が嫌いでコンプレックスバリバリだった私にとっては、
とても受け入れられないようなとんでもないことが書いてあるわけだけど、
「ひょっとしたら、コレって本当かもしれない・・・」
と言う直感みたいなものがあったんだな。
どんどん内容に引き込まれていき、
「個人の肉体は、体つきの一つひとつから髪の毛の質にいたるまで、
各自の使命にあわせて完璧に計算され、全く狂いなく、その人専用に作られる」
ナニナニ?
この弱々しいO脚も、イカリ肩も、ぺちゃパイも、完璧に計算されてできたシロモノってこと??
このとき、私の中で、何かハッとした気づきのようなものがあったんだな。
「そうやって作られた肉体は、個々すべてが他者とは全く違う完全に独自のものである。自我が目覚めるにつれ“優越感”や“劣等感”の対象となって自覚されることも多いが、人はその本当の意味を知ることによって、自分のルーツと出会い、自分が生まれてきた真の目的を知るにいたる」
ということは、
ただ単にコンプレックスの対象と見てきたソレらには、
何らかの大切なメッセージが含まれているってことじゃない!?
考えてみれば、
マァ、ぺちゃパイはまだしも、ウィークな足や、短い首や、
すぐリキミを生むドンくさい体質などは、
「わざわざダンスなんかせんでもエーヤン」
「コンプレックスに悩んで、傷つくためにダンスやってんの?」
ってものばかりでしょ。
そんな私が、あんなカタチで偶然ダンスにめぐり合っちゃったのも、
(1月24日の記事参照)
これまた運命、イヤ自分で計画してきたことなのか、
・・・って視点に立てば、ガゼン世界は変わって見えてくる。
それになんだか、想像したら愉快にもなってくるじゃない!
私って“魂”と、ガイドさんたちとで、
「次、足のカッコウはどうしましょう?」
「0脚でいこう。
今回は、ソレをダンスを通して自力で治してゆくってプロセスが、大切だからな」
「じゃぁ、もうちょっとヒドクしておきましょうか?
そのほうが治せたときの喜びが大きいですものね」
「そうだな。同じ悩みを持つ多くの人々のためにも、
手本にならなきゃならんからな」
なぁンて、真剣に会議を開きながら、この“足”ができ上がったなんて・・・。
もし本当だとしたら、面白いし、勇気の出てくる話だし、
何よりも、“足”に新鮮な好奇心や愛しさを感じ始めている自分を見ていると、
「こういう考えでカラダのコンプレックスと向き合うのも良いんじゃないかな?」
って思えてきんだよな。
続く 第17話へ
おかげ様で、
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どんなに恵まれているように見える人でも、
“意外なコンプレックスに悩んでいる”
なんてことはよくありまして。
この場合のコンプレックスとは、一般的に使われている、
劣等感=自分が他人より劣っているという感情って思ってもらったら良いんだけど。
例えば、
「体の割に足が細すぎるところ。
なんか、ウィーク(=弱々しく)に見えちゃうのよね」
「イカリ肩で首がナイ! タートルネックなんか着たら埋もれちゃう」
「ボン・キュッ・ボンからは、ほど遠い、
胸もお尻もない、薄っぺらなシルエット。イヤだ!」
「かなりの0脚、それに外またで歩くところ。カッコわるぅー」
「すぐに緊張して、力んじゃう癖。体もめっちゃ固い!!
開脚はおろか、前屈しても手のひらは床から遥かに遠く・・・」
実はコレ、
何を隠そう大学当時のワ・タ・シが持っていたコンプレックスの数々。
なんて話を生徒さんに言うと、
「またぁ、ウソでしょ?」
「信じられない!! 私たちを勇気づけようとして言ってハルんでしょ」
などとエラク混乱を招いちゃうんだけれど、
もちろんすべて本当の話。
正直なところ、いまだ自分に対するコンプレックスというか、
自己愛の欠損というかは、結構持っている。
自分に対する感受性が強い分、
「あ、ダメ」なんてところをすぐに捕まえて、人知れず悩んだり、後悔したり。
ネガティブシンキング・ジュンコになっちゃうこともしょっちゅうだ。
ただ昔と違うところは、
「エーイ変えてやる!」と無理やりがんばったり、
「どうせ、私なんか・・・」とあきらめムードに陥ったり、
反対に、
「自分のことを好きになってあげなくちゃ」と必死になってもがき始めたり、
といった精神的なブレがずいぶんなくなってきたという点かな。
それは、プロになり、しばらくしてから、
偶然出合ったある本がキッカケで、
「あ、そうか。コンプレックスって憎むべきものではなくて、
大切なメッセージだったんだ」
って気がついたから。
おそらくコンプレックスに対してのイメージが変わっちゃったんだ思う。
その本にはこんなことが書いてあった。
「魂は、インカーネイト(受肉)するときに、自らの使命を果たすために必要な
“肉体”を※ガイドスピリットと綿密に打ち合わせをしながら作っていく」
※いわゆる今はやりの守護指導霊
ハァっ??
ってことは、このカラダ、自分でわざわざ選んだってワケ?
自分の体が嫌いでコンプレックスバリバリだった私にとっては、
とても受け入れられないようなとんでもないことが書いてあるわけだけど、
「ひょっとしたら、コレって本当かもしれない・・・」
と言う直感みたいなものがあったんだな。
どんどん内容に引き込まれていき、
「個人の肉体は、体つきの一つひとつから髪の毛の質にいたるまで、
各自の使命にあわせて完璧に計算され、全く狂いなく、その人専用に作られる」
ナニナニ?
この弱々しいO脚も、イカリ肩も、ぺちゃパイも、完璧に計算されてできたシロモノってこと??
このとき、私の中で、何かハッとした気づきのようなものがあったんだな。
「そうやって作られた肉体は、個々すべてが他者とは全く違う完全に独自のものである。自我が目覚めるにつれ“優越感”や“劣等感”の対象となって自覚されることも多いが、人はその本当の意味を知ることによって、自分のルーツと出会い、自分が生まれてきた真の目的を知るにいたる」
ということは、
ただ単にコンプレックスの対象と見てきたソレらには、
何らかの大切なメッセージが含まれているってことじゃない!?
考えてみれば、
マァ、ぺちゃパイはまだしも、ウィークな足や、短い首や、
すぐリキミを生むドンくさい体質などは、
「わざわざダンスなんかせんでもエーヤン」
「コンプレックスに悩んで、傷つくためにダンスやってんの?」
ってものばかりでしょ。
そんな私が、あんなカタチで偶然ダンスにめぐり合っちゃったのも、
(1月24日の記事参照)
これまた運命、イヤ自分で計画してきたことなのか、
・・・って視点に立てば、ガゼン世界は変わって見えてくる。
それになんだか、想像したら愉快にもなってくるじゃない!
私って“魂”と、ガイドさんたちとで、
「次、足のカッコウはどうしましょう?」
「0脚でいこう。
今回は、ソレをダンスを通して自力で治してゆくってプロセスが、大切だからな」
「じゃぁ、もうちょっとヒドクしておきましょうか?
そのほうが治せたときの喜びが大きいですものね」
「そうだな。同じ悩みを持つ多くの人々のためにも、
手本にならなきゃならんからな」
なぁンて、真剣に会議を開きながら、この“足”ができ上がったなんて・・・。
もし本当だとしたら、面白いし、勇気の出てくる話だし、
何よりも、“足”に新鮮な好奇心や愛しさを感じ始めている自分を見ていると、
「こういう考えでカラダのコンプレックスと向き合うのも良いんじゃないかな?」
って思えてきんだよな。
続く 第17話へ
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teddy
一位目前ですねえ。
潤子先生、ご自分の長い経験のなかで、まだちょっぴりしか出されていませんよねえ。
これからどう展開していくのか、楽しみにしてますよ!
潤子先生、ご自分の長い経験のなかで、まだちょっぴりしか出されていませんよねえ。
これからどう展開していくのか、楽しみにしてますよ!
2007/02/08 Thu 02:53 URL [ Edit ]
ジュンコ
teddyさん
ありがとうございます!
そうなんですよぉ。
面白ネタは尽きなくって。
今までの色々な苦しかった体験もやっとコレで報われていきそうです。
これからもよろしくね!
ありがとうございます!
そうなんですよぉ。
面白ネタは尽きなくって。
今までの色々な苦しかった体験もやっとコレで報われていきそうです。
これからもよろしくね!
2007/02/08 Thu 06:56 URL [ Edit ]
キャプテン・ピカード
寝なければ・・・今日は、遠征の日なのに・・・寝なければ・・・
本日のブログは、前半も後半も濃いですねぇ・・・
特に前半・・・・読まなきゃ良かった・・・眠るのに、時間かかりそう。
僕も、いっつも思うんですよ。
それぞれ違う肉体を持つ意味を。
あれは、精神が先なのか、肉体が先なのか・・・・・。
第三者の介在まで考えてなかった。
自分で制御出来るとしたら、瞳くらいか・・・
でも、常に意識してるジュンコ先生は偉い。
寝なければ・・・・!
本日のブログは、前半も後半も濃いですねぇ・・・
特に前半・・・・読まなきゃ良かった・・・眠るのに、時間かかりそう。
僕も、いっつも思うんですよ。
それぞれ違う肉体を持つ意味を。
あれは、精神が先なのか、肉体が先なのか・・・・・。
第三者の介在まで考えてなかった。
自分で制御出来るとしたら、瞳くらいか・・・
でも、常に意識してるジュンコ先生は偉い。
寝なければ・・・・!
2007/02/08 Thu 07:37 URL [ Edit ]
ジュンコ
キャプテン・ピカードさん
交感神経を刺激してしまったようで
ごめんなさい!!
ゆっくりお休みなさい。
まぶたは、いつも重力に逆らってがんばってくれているから、
休ませてあげてくださいね。
交感神経を刺激してしまったようで
ごめんなさい!!
ゆっくりお休みなさい。
まぶたは、いつも重力に逆らってがんばってくれているから、
休ませてあげてくださいね。
2007/02/08 Thu 07:49 URL [ Edit ]
ジョアン
いつもお世話になってます。新町のジョアンです~ブログ先週から食い入るように読んでます
これからの展開が楽しみです!
お昼休みに読んでいるのでお昼休みの楽しみが出来ました。

お昼休みに読んでいるのでお昼休みの楽しみが出来ました。
2007/02/08 Thu 12:40 URL [ Edit ]
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